「どういう!ことだよ!」
大広間にシリウスの大声が響く。朝の喧騒の中でひときわ目立つそれは容易に周囲の注目を集めた。
いまにも掴みかかりそうな勢いで迫る相手は、服を乱したサイラスだった。
「どうって言われてもさ…」
「なんであれが、あんな!俺の姉が!」
「気持ちはわかるけど事実だし…」
その言葉に周囲はウンウンと頷いた。シリウスの胸中では驚愕と不安がさらに増していく。なんてことだ、あの姉が。お嬢様を絵に描いたような、優しくて美しい姉が。
「あー、えーとつまり、シリウスのお姉さんのリゲルは?家ではどうだか知らないけどここではあれが普通だってこと?」
きっちりベルトを締め直したジェームズが疲れた顔で問えば、サイラスは頷いた。
「去年の…10月くらいか、その辺りからあんな調子だ」
「でも俺は、何にも、」
「そりゃそうだろうなあ」
「だってだれも信じないでしょう?」
イヴェットが呆れたように言いながら近くに座り、パンを手に取る。
「美人で純血のお嬢様。学校の外では真面目でお利口…そんな人が人のパンツとベルトにご執心だなんて」
「悪いもんでも食ったんじゃないのか」
「残念、私たちと同じ美味しい食事をとってるわ、彼女」
視線の先にはスリザリン寮。何人かの学友に囲まれながら(その全員がうっすらと彼女と距離を開けているが)美味しそうに食事を頬張るリゲルがいた。
シリウスはいよいよ狼狽した。こんなこと、父や母に知られたらどうなるだろう。この学校にはシリウスのいとこであるナルシッサや、ベラトリックスの夫の弟であるラバスタンがいる。それだけじゃない、ブラック家と関わりのある人間たちは山ほどいる。もし姉がその素行不良を理由に家から勘当されたりしたらどうしよう。
そこまで考えて、イヴェットの言葉を反芻する。あのスリザリンで純血名家の人間たちに山のように囲まれながら、のびのびと羽を伸ばしすぎているリゲルのことを誰も、本当に誰もこの一年間、告げ口したりしなかった。ズボンを引き摺り下ろされるなんて悪夢みたいな目にあってなお、誰も報復しないのだ。シリウスにとって嫌な時間でしかないクリスマスパーティや、その他の集まりにきていた連中はいつだって口を滑らせることができただろうに、それをしていない。もしかして本当に、そんなことを言っても誰も信じないを理由だけに彼女はここまできたのだろうか。
「チキンがなくなるよ、シリウス」
「チキン!」
朝と同じ言葉でジェームズに呼ばれてはっと我に帰る。
忘れたくても忘れられないが、今はいったん姉のことを横に置いておこう。そう思った。
それからの学校生活は、時折聞こえてくる誰かの悲鳴を除けばそこそこに平和だった。リゲルの「ターゲット」は大体いつものメンバーで固定されているらしい。寮を飛び越えてやってくることはあまりなく、あっても合同授業で同じクラスになった時くらいのようだ。ようだ、というのは慰められながら帰ってくるグリフィンドールの諸先輩方の落ち切った肩から想像しているだけだが。
待ちに待った飛行術の授業。シリウスはジェームズの隣で箒に跨っていた。「上がれ」に素直に従った箒の感触に思わず口角が上がる。ジェームズもすんなりこなし、奥の方でピーターが床を転げ回る箒に苦戦しているのを見つめている。
「いいですか、それでは地面を蹴って、しばらく浮かんだら降りてきてください」
その言葉を聞くや否や、シリウスは地面を蹴った。途端に軽々と浮かび上がる箒に思わず歓声を上げる。
「おーいシリウス!」
下を見ればジェームズがこちらへ向かって飛んできているところだった。彼は軽々と浮かび上がり、そのままシリウスの周りを一周してみせた。
「これなら僕ら、来年にはクィディッチの選手になれるかもね」
「俺はパス。クィディッチは見てるほうが好きなんだ」
「そう?なら僕の応援を頼むよ!」
「二人とも、降りてきなさい!」
その声に箒の先端を傾けた時だった。
地面からバビュン、と飛び上がる人影があった。ピーターだ。大きな悲鳴をあげて箒にしがみついている。どうやらコントロールを失っているらしい。
「ペティグリュー!」
「追いかけよう!」
ジェームズの言葉に頷いて箒の柄を握りしめる。空中でぐるぐる回るピーターを追いかけて飛び上がればピーターの箒は急速に下降し、城の廊下に向けてまっすぐ飛んでいく。
「でかいスニッチだ」
ジェームズが頭ひとつ前に出て呟き、低く身を屈めて飛んでいく。シリウスはその時廊下の柱の向こうに人影が歩いているのを見つけた。
「危ない!」
思わず叫べば人影はこちらを見た。女子生徒の集団だ。彼女たちは悲鳴をあげてしゃがみ、頭上を通り抜けて行く三本の箒を見送った。
「ピーターは!?」
叫び、正面を見据えたところでピーターの箒に誰かが乗っているのが見えた。長い髪がばさばさとはためいている。
「どうどーう」
足を絡めて箒を抑えつけるのは、リゲルだった。ピーターのローブを片手で掴んで空中で一回転するとこちらを見つめる。
「いいセンスだねえ君たち。飛行術は初めてでしょ?」
「リゲル!」
あれだけ暴れ狂っていた箒は途端におとなしくなり、リゲルの手の中でじっとしている。べちゃべちゃに顔を汚して泣いているピーターは震えながら縮こまっていた。
「リゲル、いつ…」
「さっき廊下で私たちを撥ねようとしてくれたときかな!」
「ごめん、いやごめんってのも違うような…?」
「許す!じゃあ元いたところに戻ろうか」
君はもうちょっとじっとしててね、と言われたピーターはうんうん頷いている。ジェームズの先導でもと来た道を辿る。
リゲルはふわふわと髪を靡かせながら前を見つめている。
あの日以来、一言も話していない。シリウスは堪らなくなって口を開いた。
「リゲル、あのさ…」
「どうしたの?」
聞き返す声は優しく、シリウスのよく知っている姉のものだ。胸をぎゅっと掴まれたような気持ちになりながら、言葉を紡ぐ。
「リゲルは今やりたいこと、できてるのか?」
「まだまだ!もっとたくさんやりたいし、もっとたくさん遊びたいよ」
ここでは私は自由だから。そう言って風を切る姉の姿はとても眩しく見えて。
もしかして、迷惑でも、恥をかかされても、それでも誰も告げ口したり報復したりしないのは、リゲルがどこまでも自由だからかもしれないと、シリウスは思った。
「ミスターペティグリュー!無事ですか!貴方達もどこへ…ミスブラック!?」
「はい先生、生徒を一人配達です」
わなわな震える教師を前に、リゲルはエスコートでもするかのようにピーターの手を取って立たせた。隣に降り立ち箒を片手に説明すれば、教師は感心したように息を吐いた。
「流石、シーカーですね。スリザリンに10点」
「シーカー?リゲルが?」
「そ。今年からシーカーやるんだよ、私」
「ワーオ、僕絶対試合を見に行くよ。敵だけど」
リゲルは得意げに鼻を鳴らす。ジェームズはきらきらした瞳でリゲルを見つめた。
「じゃあね若者たち、良い時間を!」
去って行くリゲルを見送りながら、シリウスはやはり彼女は自分の姉だと思う。美人で自由で、心優しい姉。
「き、君のお姉さんってすごいんだね、ブラック」
「だろ。シリウスでいいぜ、ピーター」
暖かな気持ちになって一歩踏み出した途端思い切りつんのめる。足元を見れば、そこには落ちてくしゃくしゃになっているスラックス。
前言撤回。心優しいは嘘だ。
「リゲル!!」
スラックスを引き上げながら、シリウスは向こうでハートの形で浮かんでいるベルトを取るために走った。
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情交と街