
転生後、悟が盲目の世界線
彼の目はとても綺麗で、海や空を思わせるブルーをしている。私はそこに星のような光を見たけれど、それは彼自身にはなんの光も与えていないらしい。
なんでもない日のお昼にやってきたお客さん。その片手に握られているものを私はなんとなく知っていた。見かけたら助けてあげましょう、なんて言っていたのは小学校の先生だったかな。慌てる私の声に反応し顔をこちらに向けた彼は「君のおすすめの席で。飲み物も、おすすめで」と微笑んだ。
それからどれだけ経っただろう。常連さんになった彼と、店員と客の枠組みを越えた今、物の少ない綺麗なマンションに二人で帰るのは日常になっていた。
だからわかる。今日はなんか変。
いつもより口数が少ない。いつもよりぼーっとしてる。ご飯を作りながらキッチンの向こうに目をやるけれど、なんだが元気がないように思える。いつもなら、私の視線に気がついて笑って、いい匂いだなんて言ってくれるのに。カレーの気分じゃないのかな。良い頃合いに仕上がった鍋の中身を見ながら他を考えたけど、ルーを入れた後だからもう遅い。カレーとカレーうどんは誤差の範囲内だ。
「お腹空いてないの?」
一旦火を止めてソファーへ向かう。自分に向けた声に彼はううんと首を振った。
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあ熱でもある?」
そっと額に触れる。いつも通り、少し冷たいぐらいの温度が伝わってきた。風邪ではないみたい。じゃあなんだろう。胸焼け?ううん、昨日は焼き魚だからそれはない。お昼に食べすぎた?うちのミニグラタンはそんなに多くない。ぺたぺた彼の顔に触れながら色々考えてみる。
「暦、」
その手がそっと包み込まれて、瞬間私の体が引き寄せられた。バランスを崩した私を抱きとめながら、彼の体も横に傾いでいく。大きめとはいえ大人二人には狭いソファーの上で私の体は彼の体に密着していた。
「え、あ、…えっ」
苦しくない程度の重さがかかって、私が入れた柔軟剤の香りがふわっと漂って。コマーシャルみたいなんて笑う余裕はなくて。
「ちょっと疲れちゃった」
笑っているのに笑えていない。彼らしくない声が届いた。
ああそっか。
彼は、私の知らないものをたくさん抱えている。体のことも、人付き合いのことも。そういうものを彼は私に全然見せようとしない。
言いたくないことを言う必要はないと思っていたけれど、少し気にはしていたのだ。
それが今日こうやってこぼれ落ちた。私なら辛い時大声で喚いて文句を言うけれど、彼は違う。きっとこれが、溜まったコップから溢れた一滴を誤魔化すための彼なりの方法なんだろう。
隙間から腕を伸ばす。
私は、それを見せていい相手になれたのかな。だとしたら嬉しいななんて不謹慎なことを考えながら、とんとんと優しく背中を叩く。
休憩しよう。彼がそうしたいのなら、私は付き合うだけだ。腕に込められた力が少し強くなる。
「寝かしつけようとしてる?」
「うん。疲れたんでしょ。寝たらいいよ。起きてお腹空いてたらカレー食べよっか」
「なにそれ、子ども扱いしてる?」
「こんなでっかい子ども育てた覚えないですー」
「言うね〜」
少しだけいつもの調子が戻ってきた。でもまだ離れようとしない。
「暦」
「なぁに」
少しの間。
「起きるまでここにいて」
「いいよ」
別に起きたって遠くになんか行かないけど、今は余計なことを言わなくてもいい。それ以降口を閉じた彼の腕の中で、私もほんの少しだけ眠ろうと目を閉じた。
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情交と街