幸せの定義

 私には学生時代から付き合っている彼氏がいる。その人の名前は降谷零と言い、警察官だ。高校の同級生だった彼だが、しかし付き合いが始まったのは高校を卒業してからであった。むしろ高校時代は一度も話したこともないレベルで、私が彼のことを一方的に知っている程度だった。
 そんな状況で何故彼と高校卒業後に付き合い始めたかと言うと、本当に偶然起こった小さな事件がきっかけだった。



 高校卒業後一人暮らしを始めた私は、夕飯の準備をしていた。いつも料理なんてあまりしないのに、クリームシチューが食べたくなったのだ。しかし、突発的に作り始めた為、肝心の牛乳が無いことを失念していた。
 仕方なく、近くのコンビニかスーパーで牛乳を調達しようと、適当にあったトートバッグに小銭入れを入れ、ポケットに携帯をしまい家を出る。買うものは牛乳のみだし、お財布は置いていこう、と思ったのだ。この時の私の判断を後の私は感謝することになる。
家を出ると日が暮れるのが早くなったのか、あたりは夕陽に染まっていた。ここから徒歩10分程度のところにスーパーがある。本当はコンビニの方が近いが、一人暮らしの苦学生ゆえ、なるべく安く済むなら安く済ませたい、という気持ちでスーパーに向かう。
とぼとぼと一人道を歩いていると、突然背後から衝撃があり、肩にかけてあったトートバッグが引っ張られる。ひったくりである。
 ぼーっと歩いていた私はその衝撃に耐えきれず体勢を崩して割と勢いよく転んでしまった。転んだ衝撃と驚きとで、声もあげられずに座り込んでいた私に声をかけてくれた人がいた。それが彼だったのだ。
「大丈夫ですか!?」
 駆け寄ってきてくれた人を見上げると、そこには警察官の制服を着た高校の同級生。同じクラスになったことも無い彼は、けれども文武両道、顔も芸能人顔負けといったくらいのイケメンだったため、学年問わず人気があり、校内の女子で知らない人はいないのではないかといったくらいだった。
 その彼、降谷零が今目の前に現れたのである。
「大丈夫ですか?けがはありませんか?申し訳ありません、警官である自分が近くを巡回していながら、危険な目に合わせてしまって……」
いわく、彼は近くを通りかかった所にひったくり被害の現場を目撃、犯人を追うか迷った末に転んでけがをしているだろう被害者の私を優先してくれたらしい。ひったくり被害に高校時代の同級生の登場に、と混乱を極める。え、今何が起こってるの?半ば茫然としていた私だったが、取りあえずお礼を言わなければと口を開く。
「降谷くん、だよね。ありがとう」
「え、なんで、名前……」
 彼が一瞬顔を顰める。そりゃそうだ、知らない人間から名前を呼ばれるなんて恐怖でしかない。あ、これストーカーとか思われてたらやだな、この人ならストーカー被害とか受けててもおかしくないし。そんな不名誉なこと思われてたらたまったもんじゃないと慌てて弁解する。
「あっ、私同じ高校だったから。クラスは違ったし話したことも無かったけど」
「そうなのか。すまない、覚えていなくて」
「いや、いいよ。喋ったこともないんだから知らなくて当然だし。あ、私の名前は相川はなこと言います。一応、隣のクラスだったんだよ?」
「相川な。俺はまぁ知ってるだろうけど、降谷零だ」
「ふふ……知ってる。なんかおかしいね、こんな時にこんな所で降谷くんと自己紹介しあってるなんて」
 降谷君が律儀に私にならって自己紹介してくれるから、状況も忘れて和んでしまった。見た目に反して真面目なんだろうな、とはずっと思っていたが、思った以上に真面目さんっぽい雰囲気がある。
「そういえば降谷くん、警察官になったんだね。びっくりした」
「ああ、今はこの近くの交番に勤めてるんだ。というか、とりあえず交番に行こう。被害届も出さなきゃいけないし、相川のけがの治療もしなきゃだろ」
 そう言って彼は立ち上がり、手を差し出される。ぼけっと手を眺めていると、何ぼやっとしてるんだ、と言いながら彼は私の手を取りひっぱりあげた。彼に引っ張られる形で立ち上がると、擦り傷だけだと思っていたのに、足首が痛むこと気づく。ずっと座り込んでいたから気づかなかったが、転んだ際に軽くひねってしまったのかもしれない。
「足、痛むのか」
 私の表情の変化に気付いたらしい彼に問いかけられる。そこまで大げさに顔をゆがめたつもりは無かったのに気づくとは、彼はもしかしたら人の機微にするどいのかもしれない。
「うん、ちょっとだけ。もしかしたら足ひねっちゃったのかも」
「前に引っ張られる形で盛大に転んだからな。ひざも血が出てるし、痛いだろ。二人乗りは禁止だからできないけど、自転車の後ろに乗ってくれれば俺が引いてくから」
「え、いや、大丈夫だよ。私自分で歩けるし、降谷くん大変じゃん」
 彼の提案を即座に断る。さすがに恥ずかしいし、多分というか絶対重い。こんなイケメンに重いなんて思われたくない。例え特に意識している訳でもない相手であっても、男の子に体重がなんとなくでも知られてしまうのはこの年頃の女子だったら誰だって嫌だろう。そう言った意味も込めて、丁重にお断りをさせて頂く。
 彼を見ると、私の言いたい事がわかっているのか、顔を顰めながらため息をつかれた。ため息はやめてちょっと傷つく。
「いいから、すぐそこだしそのくらい平気。大人しくしたがっとけ」
 反論は許さん、といった雰囲気で言われて手を取られる。そうされてしまえば、これ以上断ることもできず、大人しく自転車に座る。それを確認した降谷くんはゆっくりと自転車をひいて歩き始めた。

 降谷くんが勤務するという交番は本当にすぐそこで、そういえばここに交番あったな、と思い出す。毎日のように通る道なのだが、意識して見なければ存在を忘れてしまうこと等よくあることだ。こんな近くにずっと降谷くんがいたなんて全然気付かなかった。
 交番に着くと降谷君の先輩であろう警察官の方に、軽い調書をとられ、ひったくりに取られてしまった物などを伝えた。幸いトートバッグに入っていたのは小銭入れ程度で、その中にも大した金額は入っていない。1人暮らしの苦学生からすると少額でも苦しくはあるが、不幸中の幸いだろう。
 調書のあとに怪我の手当をされた。手当をしてくれたのは降谷くんで、仕方ないとはいえ降谷君に足をまじまじと見られるのは少しの緊張と恥ずかしさがあった。ひざの擦り傷には軽い消毒、足首には湿布と包帯を巻いてくれた。彼の手つきは非常に手馴れており、けがをすることが多かったのかな、と感じさせる手つきだった。
 手当を終えると今日はもう帰って良いと言われ、降谷君の先輩さんの言葉により、私は降谷君に家まで送ってもらうことになった。始めは遠慮していたのだが、先輩さんの「折角の久しぶりの出会いなんだから」という言葉と押しの強さに加えて降谷君の賛成もあり、私の抵抗は呆気なく散ったのだ。


 帰り道、先ほどと同じように自転車の後ろに乗る様に勧められたが、しっかりと手当して頂いたことにより然程痛みを感じなかった為、丁重にお断りをさせて頂いた。降谷君は若干釈然としないといった顔をしていたが、なんとか頷いてくれ、今は二人並んで夜道を歩いている。なんだか不思議な感じだ。
「降谷君が警察官になってるなんてびっくりした」
「そうか?ずっと夢だったんだ、だから俺としてはやっと、って感じだな」
「そうなんだ?夢叶えるなんてやっぱりすごいね降谷君は。あ、もしかして、諸伏くんも警察官になってたりする?」
 彼の幼馴染で親友である諸伏くんは、一年の時に同じクラスだったこともあり、少しだけ話したこともある。降谷君と同じくイケメンさんだけど、少しとっつきにくいイメージの降谷君と違って話しかけやすい雰囲気を持つ人だ。いつも降谷君と一緒にいるイメージだったから、もしかしたら、と思ったのだ。
「ヒロも知ってるのか?まぁそりゃそうか、あいつも結構目立ってたしな。そう、アイツも一緒に警察官。子供の頃から二人で警察になるぞってずっと言ってたんだ」
「お、当たった!すごいね二人とも!夢叶えたんだね!かっこいいなぁ……」
 自分はまだ大学卒業後の将来なんて何も考えていないというのに、彼らは既になりたい自分への一歩を歩み始めているのだ。自分の夢を叶える人って言うのは、それだけの努力をしている人だということだ。それだけで、人としてすごく格好良く見える。そう思って素直に口にすると、彼は少しだけ驚いたような顔をして、それから嬉しそうに笑った。あ、その笑顔はかわいい……なんて思って、顔が少しだけ熱くなったのを誤魔化すように口を開く。
「ていうか降谷君、目立ってる自覚あったんだ?」
「さすがにあれだけ騒がれれば嫌でも気づく」
 ため息とともに吐かれた言葉は彼の苦労が伺える。高校時代、それはそれは大変だったのだろう。遠くから眺めていた私でさえ、大変そうだな、と思ったくらい彼の人気はすごかった。
「諸伏君はね、一年の時同じクラスだったから、知ってるの。降谷君のこともその時知ったんだよ。よく諸伏君と喋ってたから、イケメンさんがいるなぁって」
「イケメンって……まぁ一応ありがとう」
「うわ、降谷くん言われ慣れてるでしょ」
「いや、流石に女子から面と向かって照れもせずに言われることはそんな無いぞ」
 笑いながら言う降谷君はやっぱりイケメンで、絶対自分の容姿を知ってる人だな、と思った。
「このあたりに住んでるのか?実家?」
「ううん、1人暮らし。大学入ってからこっちで一人暮らし始めたの。今日は何か突然シチュー食べたくなっちゃって、牛乳切らしてたの忘れて買いに出てきたらこんな目にあっちゃった」
「それは、なんというか……災難だったな」
「ね。でもまぁそのおかげで降谷君と会えたし、これはこれで良かったのかも……なんてね」
 そういって笑うと、降谷君はなんとも言えない顔をしてため息をついていた。
「あのなぁ……良いわけないだろ。今回は被害も少なくすんだけど、もっと大変な目にあってたかもしれないんだぞ。危機感をもっともて……って俺たち警察がもっとちゃんとしていれば、相川が被害に合うことも無かったんだよな」
ごめん、と謝る降谷君に、私は慌てて降谷君の言葉を否定した。
「そんな!降谷君なにも悪くないし、むしろ助けてもらったし!私警察のお世話になることとか今まで無かったから、今回降谷君が居てくれてすごい安心したし、むしろありがとうだよ。謝ることなんて何もないよ」
 本当に、彼が私に謝ること等何一つ無いのだ。今口に出した言葉通り、本当に降谷君には感謝しかない。だからこそ、本当にすまなそうにしている降谷君は見ていられなかった。
「ありがとな、そう言ってくれるだけで助かる」
「ううん、こちらこそありがとうおまわりさん」
 おまわりさんって何か照れるな、そう言って降谷君は笑い、でも、と真面目な顔で再度口を開いた。
「相川は一人暮らしなんだろう。やっぱりある程度は危機感とか持った方が良い。この町は穏やかだけど、比較的犯罪発生率も高い。気をつけるに越したことはないぞ」
「はーい。でも、降谷君が警察官になって、しかもこんな近くの交番で働いてるなんてびっくりした。毎日前通ってるのに全然気が付かなかったし」
「だな。といっても、あそこの勤務になったのは9月からだから、まだ数か月なんだけど」

 こんな他愛もない会話をしながら夜道を歩く。降谷君とは今日初めて言葉を交わしたが、見た目の派手さから受けるイメージとは違い、やっぱり普通に真面目な男の子だった。あまり異性の友達が多いというわけでもない私が、気負わずにポンポンと会話を続けられるくらい話しやすく、交番から家までの10分があっという間で、たった10分の道のりではあったが、すごく打ち解けられた気分にさせられたのでる。

 楽しい時間はあっという間に過ぎるというように、いつの間にか私の住むアパートの前まで来ていた。アパートの前で立ち止まり、改めて降谷君にお礼を言う。
「今日は本当にありがとうございました。家まで送ってもらっちゃって……。降谷君これからまだお仕事でしょ?お疲れ様、がんばってね」
「ああ、こっちこそすまなかったな。犯人は必ず捕まえるし、盗られたものも相川の元へ戻ってくるようにするから。多分また多分交番に来てもらうこともあるかもしてないけど……その時はよろしく頼む」
「うんわかった。今日は本当にお世話になりました。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。戸締りはしっかりしろよ」
 お父さんみたいなことを言う降谷君に笑ってしまいながら、はいと返事をする。それを見て降谷くんは満足そうに頷き背を向ける。バイバイ、と手を振って分かれて、私もアパートに入る。
 

 これが、私と降谷君との始まりである。この後なんやかんやあり、降谷君と私は交流を続けた。始めは普通に友人関係から始まり、徐々に距離が縮まり今の関係に収まった感じである。その間に呼び方も降谷君から零君に、彼も私の事を相川からはなこと呼ぶようになった。
 降谷君とは、彼の職場も近く、家もそれなりに近かったこともあり、彼が交番勤務をしている間はわりと互いの家を行ったり来たりしていたのだが、彼の交番勤務期間が終わった時から、それも変化していった。
 彼が交番勤務期間を終え、配属が決まった時、一度別れを切り出されたことがあった。彼曰く、配属先は教えられないし、きっとこれから連絡が取りづらくなる、良くても数か月、悪ければ年単位で連絡がつかない事もあるだろう、そんな状態で君を縛り付けて良いかわからないから、別れてくれ、と。その時の私はなんだか、言われていることの実感もわかなかったけれど、一番に思ったのは別れたくないな、だった。だからその時の私の返答はこれだった。
「私は零くんのこと、好きだから別れたくないな。今はまだ、連絡取れなくなるとかそういうの実感わかないからまだわからないけど、もしまだ零くんが私のこと好きでいてくれるなら、駄目になるまでは別れたくない、な……」
 そう言った私に、零くんは少しだけ泣き出しそうな顔をしながら頷いてくれた。こんな事言っておいて、耐えられないってなったらごめんね、そう言って笑うと、零くんは、それでもいいよ、ありがとう、と言って抱きしめてくれた。
 その後は零くんが言った通り、本当に2年ほどは連絡が取れなかった。これ零くん生きてるのかな?とか本当は体よく捨てられたのかな?とか考えてしまったこともあったけど、年に一度だけ、送り主も何もわからない、メッセージも無い絵葉書が、私の誕生日に届いたのだ。こんなことするのは零くん以外考えられず、それを支えに信じていられた、待っていられたのだと思う。
 全く会えない期間が2年程、それから数年は数か月に一回だったり、年に一回だったこともあった。それでも会えれば嬉しくて、別れようなんて思えなかった。そんな期間が数年続き、最近はなんと月一回は会えるくらいになっていた。
 

 零くんとの付き合いも長くなり、いつの間にか私は29歳になっていた。あと1年で大台の30歳、立派なアラサーである。
 29歳のクリスマス、私は今年も1人寂しくクリボッチだ。零くんとクリスマスを過ごせたのなんて、付き合い始めてから初めて迎えたクリスマスの1度だけ。一緒に過ごせないなんて毎度のことだし、彼が寝る間も惜しむほどに公務に勤しんでいるのを知っているし、今さら平気ではあるのだけど、会える頻度が増えたからこそ、少しの寂しさは隠せなかった。
 今年のクリスマスは3連休の最後にイブがあるから、彼氏持ちの友人や夫婦はこの機会に旅行に行ったりで、周りはみんな予定があり、私といえば昼に独り身の友人とご飯をした程度で、明日も仕事だからと早々に別れた為、イブの夜は寂しく1人なのである。
家に帰り、ご飯を食べ、特にすることも無いし見たいテレビもなかった為、早々に寝てしまおうとベッドに潜り込む。私は眠りにつくのだけは早いので、すぐに眠気は襲ってきた。


 ふと、頭を撫でられる感触に目を覚ます。寝惚けた頭で視線を巡らすと、グレーのスーツ姿の零くんがベットに腰掛け、私の頭を撫でていた。
「ごめん、起こした」
「ん?んー」
 零くんがここにいるはずはない。彼は毎年この時期仕事に忙殺されていて、私に会う暇なんて全くないのだ。しかも彼は今何故か偽名を使って喫茶店の店員までしている。警察って副業OKなの?まぁきっと何かしら事情があるのだろう。
 これだって彼に教えてもらった訳ではなく、偶然私がその喫茶店に行ったことがきっかけで知ってしまっただけである。きっと彼は自分からそのことを言うことは無かっただろう。そういう人だし、そういうお仕事だって理解している。それに、彼はポアロに来てはダメだとは言わなかった。無論、安室透としてしか接することはできないけれど、それでも良ければ好きに来て良いと言ってくれたのだ。
 たとえ降谷零としてじゃなくたって、零くんの姿を見れるならなんだって良いし、嬉しいから、零くんはとても忙しそうで、大変そうだけど、昔の会えない期間を考えると私はなんだかんだで今の状況がとても幸せではあるのだ。
 そんな零くんが今私の部屋にいるなんてあり得る訳がない。だからこれは夢なんだろう。零くんに会いたすぎてみた私の願望が見せた夢。
 そんなに零くんに会いたかったんだ、とそんな自分にふふ、と少し笑っていると、零くんは何笑ってるんだと言ってきた。
「零くんに会えたから、私自分が思ってる以上に、すごくすごく零くんに会いたかったんだなって思ったら、笑っちゃった」
 そう言うと零くんは優しく笑って、また私の頭を撫でてくれた。
「そっか」
「うん」
夢の中の例くんもやっぱり優しくて、私は零くんの腰に抱きついた。寝転がっている私に対して、零くんはベッドに腰掛けているから、私は零くんのお腹に顔を埋める形になって、思う存分彼のお腹に頭ぐりぐりと擦り付けた。
 息を吸うと、零くんの匂いがして、夢なのにすごいリアルだなと感じながら、やっぱり安心する零くんの匂いと体温に、私はまた瞼が落ちてきた。
 夢の中なのに眠いなんて、そう思いながらぐりぐり頭を押し付けておると、上からこえがかけられる。
「眠いのか」
「んーでもれーくんにくっついてたい」
「シャワー浴びたらすぐ来るから、寝てろ。」
 おやすみ、と言って零くんは私の腕を自分の腰から外すと、私にしっかりと布団をかけ直してから部屋を出ていく。それを見送りながら、なんて幸せな夢なんだろう、なんて考えていたら、私はまたいつのまにか夢の中に落ちていた。


 朝、眼が覚めるといつもよりお布団の中が暖かくて、何かに巻きつかれていた。眼前に広がるのは褐色の肌。そこにいたのは零くんで、私を抱き込むような形で彼は寝息をたてていた。
 昨夜のことは私の願望がみせた夢だと思っていたのだけれど、もしかしたらあれは現実だったのでは?などと考えて固まっていると、私が起きた気配で起こしてしまったのか、零くんの目が開いた。
「ん、起きたのか……おはよう」
「あ、おはよう……ごめん起こした?」
「いや、そろそろ起きようとおもってたところ。丁度よくはなこが起きたから」
 そう言いながら身を起こす彼は案の定、上半身に何も身につけておらず、下にいたってもパンツのみだ。これはいつもの事だけど、いくら付き合いが長くてもやはり目のやり場に困る。ここは彼の家じゃなくて私の家で……そのくらい気を許してくれているのだと思うと嬉しくはあるがやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「また裸……ちゃんと服着て寝てっていつもいってるのに。零くん寒くないの?寝る時もちゃんと服着ないと風邪ひくよ」
「そんな柔じゃないから大丈夫だ。それに一緒に布団に入ってたからあったかいし」
 私の苦言なんてなんのその、零くんはあっさりやり過ごしてしまう。いつもの事だし、いくら言っても変わらないのだからもう諦めている。でもやっぱり目のやり場に困るし、風邪は引いて欲しくないから言ってしまうだけだ。
「それに俺の裸なんてみるの今さらだろ?もっとすごいことしてるのに」
「なっ……!」
 ニヤっと笑う零君の言葉に顔が熱くなるのがわかる。それはそれ、これはこれなのだ。彼は自分のイケメンっぷりと出来上がった身体の色気を理解していない。どれだけ経っても恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「そう言う問題じゃないのっ!零君のばかっ」
 彼の腕を軽く叩けば、はいはい、と笑いながら返事をされる。全く、私は彼に振り回されてばかりである。たまには私も彼の事を振り回してやりたいものだ。
「昨日零くんが来たの、夢かと思った」
「ははっそうじゃないかと思った。やけに甘えてきたし」
「う……でも会いたかったのは本当だよ」
「うん、俺も会いたかった」
 そう言って零くんは私の腕をひく。私は倒れこむような形で零くんに抱きしめられた。目の前に広がるのは褐色の肌。彼は服を着ていないから、直に感じる彼の体温が気持ちいい。
「ポアロでさ、バイトしてたら、女子高生達がクリスマス彼氏と会うんだとか言って嬉しそうに笑ってて。梓さんとかも、やっぱりクリスマスはなんだか特別ですよね、大切な人と過ごしたい日ですね、とか言ってて。ずっと、一緒にクリスマスなんて過ごせなかったけど、折角近くにいるんだ、はなこに会いたいなった思ったんだ。少しでも会えればって思って、仕事早く片付けて来たんだ」
 会えて良かった……そう呟く零くんに、私は少しだけ泣きだしそうになってしまって、零くんに抱きつく腕に力を込める。
「零くんがそう思って会いに来てくれたの、すごく嬉しい。零くん、大好き……」
 そう言うと、零くんは私の頬に手を添える。私は零くんの手に導かれるかの様に顔を上げると、零くんの綺麗な青い目と目があった。
 その瞳に吸い込まれる様に見つめていると、そっと、零くんの唇が私のそれに触れる。優しい、触れるだけのキスだった。
「俺も、愛してる……。ずっと、側にいてくれてありがとう。」
「私だって、こんななんの取り柄もない、普通の女を選んでくれて、側にいることを許してくれて、ありがとう。」
「中々会えないかったり、言えないことも多いから、愛想を尽かされたっておかしくなかったのにな。君はずっと待っててくれた。あの時、別れようって言った時、別れたくないって言ってくれて、すごく嬉しかったんだ……今、君と居られることを俺は本当に幸せに思うよ」
「当たり前だよ。だって私は零くんのこと好きで、大好きで、零くん以上に好きになれる人なんて、見つけられないから。あなた以上の人、私知らない……」
大好き、そう呟いて今度は私から零くんにキスをする。触れるだけのキスは、それでもとても幸せで、私はそのままに零くんに抱きついた。


 そのあと、ふと目に入った時計の時刻に悲鳴をあげた私を笑いながら、大急ぎで支度をして家を出る。零くんもこれからお仕事で、今日はポアロではなく登庁するとのことだ。私もクリスマスだろうと平日なので、お仕事である。
家を出て別れ際に、零くんが言った。
「今日はなるべく早く仕事終わらせて来るから、クリスマス、一緒にすごそう」
 そう言って笑う零くんに、私は嬉しすぎて、うん、と大きく頷いた。それを見た零くんも満足そうに頷き、ケーキでも食べるか、なんて言っている。楽しみ、でも無理はしないでね、そう念を押して零くんと別れる。


 クリスマス、例え友人達の様に旅行や素敵なレストランでディナーなど出来なくても、私にとって今年はとても幸せなクリスマスになった。彼と過ごせる、そう思うだけで自然と笑みが溢れる。
 いつもだったら憂鬱な週の初め、だけれども今日はとても幸せな気分で過ごせるだろう。だって、仕事が終わって家に帰れば、零くんと過ごす時間が待っているのだから……。