零くんと私の4つの季節

 ――― 春 ―――

 「復唱、合コンには誘われても参加しない、オールはしない、男と二人で飲みにいかない。お酒は二十歳になってから」
「合コンには誘われても参加しない、オールはしない、男の人と二人で飲みにいかない、お酒は二十歳になってから…………過保護過ぎない?」
そう言うと、目の前で腕組みをしている男が睨みつけてきた。
「このくらいで丁度いいんだよ。大学生なんて羽目を外したがる時期なんだから、酒絡みの事件なんて掃いて捨てるほどあるんだ。気を付けるに越したことはない」
「そうかもだけどさー。そこまで気にしなくても大丈夫だよ多分」
「なんだ多分て。とにかく、用心するにこしたことは無いんだ。だからさっき言ったことは禁止。ちゃんと守れよ」
「復唱、合コンには誘われても参加しない、オールはしない、男と二人で飲みにいかない。お酒は二十歳になってから」
「合コンには誘われても参加しない、オールはしない、男の人と二人で飲みにいかない、お酒は二十歳になってから…………過保護過ぎない?」
そう言うと、目の前で腕組みをしている男が睨みつけてきた。
「このくらいで丁度いいんだよ。大学生なんて羽目を外したがる時期なんだから、酒絡みの事件なんて掃いて捨てるほどあるんだ。気を付けるに越したことはない」
「そうかもだけどさー。そこまで気にしなくても大丈夫だよ多分」
「なんだ多分て。とにかく、用心するにこしたことは無いんだ。だからさっき言ったことは禁止。ちゃんと守れよ」
話は終わったとでも言うように席を立つ男に向けて、ぼそりと恨み言をこぼす。

「なんだよう、唯の幼馴染のくせに横暴だぁ……」
「何か言ったか?」
ギロリ、と効果音が付きそうな顔で睨まれてしまい、私は口を閉ざす。
「何でも無いです……」
「はぁ……いいか、俺ははなこの両親からお前のことを任されてるんだ。おばさんおじさんと約束したからには、約束を違える訳にはいかないんだよ」
そう言いながら二人分のマグカップを持ちながら、再び目の前に戻ってくると座りながら頭を撫でられた。わかってはいるが、なんだか出鼻を挫かれた気分になってしまったのだから仕方がない。
 
この春から、私は花の大学生になる。大学入学と同時に独り暮らしを始めたいと言った私に両親が出した条件がこの男、二つ年上の幼馴染である零君の住む場所の近くに住むこと、零君の言うことはちゃんと聞くこと、だったのだ。
 最初は零君にだってプライベートがあるし迷惑だからそんなの嫌だと反対したのだが、両親からの申し出にこの男は笑顔で了承しやがったのである。しかも丁度引っ越そうと思っていたと言い、私と零君は同時期に引越を敢行、同じアパートの隣の部屋に住むことになったのだ。私は零君は違う大学に通う予定の為、零君は今まで住んでいた所よりも学校が離れてしまい、通学に時間がかかる様になってしまったのだ。ここまでされてしまったら、文句も言えないし言いつけは守らなければ気分的に良くない。だからこそ、破ることが許されない約束事を提示されてしまったことに不満があるのだ。
 それに、私だって春から大学生、いつまでも子ども扱いして欲しくないし、妹扱いもまっぴらごめんなのだ。いい加減、少しは私の事を意識してくれたって良いじゃないか、というのはここ最近の私の悩みでもあったりする。だがしかし、零君は私のそんな気持ちなんて全く知りもしないし気づいてもいない、尚且つ零君の過保護は今に始まった事じゃないので簡単にはどうにもならないだろうな、とは思っている。妹みたいな扱いではあるが、零君に特別扱いしてもらっている自覚もあるので、これはこれでアリなのかな、なんて思ったりもする。
「夕飯、何食べたい」
「んーオムライス?」
「何で疑問形なんだ」
「んーだって零君のご飯基本何でもおいしいし、食べられるだけで幸せだもん」
「それは光栄だな。冷蔵庫の中漁るな。オムライスと何か付け合せ適当に作る」
「わーいありがと。私も微力ながらお手伝いします」
「ん、助かる」
 そう言って二人キッチンに並ぶ。零君が大学に入学し、1人暮らしを始めてからはこうして一緒に居られる時間も少なくなっていた為、唯いっしょに居られるだけで嬉しくなり、私は先ほどの話も忘れて上機嫌だった。
零君の手によって作られた料理が食卓に並ぶ。二人手を合わせて食べ始めてから、零君が口を開く。
「あ、そういえば明日ヒロが来るって」
「ヒロくん!?わー久しぶりだ、嬉しいな」
 ヒロくんとは私のもう一人の幼馴染であり、零君の親友である。彼とは零君を通して知り合ったのだが、歳下の私を零君と同じように妹の様に可愛がってくれている。そして私の良き相談相手でもある。最初は隠していたのだが、割とバレバレだったらしい私の恋心にヒロくんはいち早く気づき、気づかれたのなら仕方がない、と開き直って相談までするようになったのだ。まぁ相談といっても、軽く愚痴を言ったりするぐらいなのだが。明日はヒロくんに会えるし、今日は零君と一緒に料理をしてご飯を食べている、そう思うと無意識に口角があがりニコニコしてしまう。
「嬉しそうだな」
「うん、嬉しいよー」
「……そんなにヒロと会えるのが嬉しいのか?」
そう口にする零君は少しだけ眉にシワが寄っている。ヒロくんの話題でこんな顔をする零君は珍しい。
「ん?それもあるけど、久しぶりに零君と一緒にご飯食べられてるから、嬉しいなって」
「……は?ヒロに会えるからじゃないのか?」
「え、いやヒロくんに会えるのも嬉しいよ?でも零君と一緒にご飯食べるのも久しぶりじゃん」
「まぁ……そうだけど、そんなことでそんな上機嫌なのか?」
「そんなことじゃないよー!だって一緒にご飯食べられるのだって次いつになるかわかんないし、貴重でしょ!」
そう言うと零君は少しぽかんとして、突然笑い出した。
「ふはっ……なんだ、俺とご飯はそんなに貴重か?」
「貴重だよ!零君にとってはそうでもないかもしれないけど、私にとってはそうなの!」
全く、零君は本当に私の気持ちなんかわかっちゃいない。零君が大学に入学してからの2年、私は中々に寂しかったのだ。
「じゃあ、これからは毎日一緒にたべるか?」
「へ……?」
突然の言葉に思考が止まる。何か私にとってめちゃくちゃ嬉しい言葉を口にしなかったかこの人は。
「まぁ、毎日は無理かもだけど。折角となりに住んでるんだし、一緒に食べられる日は一緒に食べよう。作るのも一人分と二人分そんなに変わらないし、そっちの方が安上がりだろ」
「え……いいの?」
「もちろん、お前が良ければだけど」
「私は良いに決まってるよ!嬉しい!」
「じゃ、決まりだな。一緒に食べるのは夕飯で、作るのは早く帰れる方、駄目な日は連絡する、こんな感じで良いか?」
「うん、大丈夫。ふへへ……嬉しいな」
今私は絶対に締まりのない顔をしているだろう。でもそんなことどうでも良いくらいに嬉しい。例え近くに住んでいても、大学も違うし何かと忙しい零君とは中々会えないだろうと思っていたからだ。ああ、お父さん、お母さん、零君に無理を言ってくれてありがとう……この時だけは感謝した。



 零君との約束もあり、私は中々に真面目な大学生活を送っていた。もともとそこまで騒いだりするのがすごく好きという訳でも無かったし、零君という想い人を諦められていない時点で合コンに行くという選択肢も無かった為、誘われても断っていたのだ。それに何より、零君と一緒のご飯、それより優先すべきものでも無いと私が感じていたからだ。
とは言っても、お互いにバイトやら友人との付き合いなどもあり、思うように一緒の時間が取れているわけでは無い。そんな中でも今日は1週間ぶりに一緒にご飯が食べられる日だ。今日は私が早く帰れるから、作る担当は私。何を作ろうか、そんなことばかりを考えながら1日を過ごしていた。

あらかた夕飯の準備も終わり、一息つく。後は零君の帰りを待つだけである。ゼミが終わってからだから、8時前には帰ると言っていた。現在の時刻は7時半を回ったところ、もう直ぐ帰ってくるかな、と思いスープだけでもと温めるために立ち上がる。
その時、携帯が鳴った。友達からのメールか何かかなと思ったが、中々鳴り止まないので電話らしい。携帯を見てみると、発信源は零君である。なんだろ、と思いながら電話に出ると、すぐにガヤガヤとした雑音が聞こえ始めた。
「あ、俺だ。悪い!急に飲みに誘われて……断ったんだが、どうしてもって言われて離さなくてな……。今日はちょっと遅くなりそうだ。ご飯作っちゃっただろ?ごめん……」
「そうなんだ?それなら仕方ないよ、大丈夫。余った分は明日のお弁当にでもするから」
だから周りがガヤガヤしているのか、と納得しながら返事をする。零君にだって付き合いがあるんだから、こう言うことは仕方ない。そう思って返事をしていたら、ふと、電話口から「降谷くん」と呼ぶ女の人の声が聞こえた。飲み会だから女の人がいても全然不思議じゃ無い。それはわかっているのだけれど、胸が騒ぐ。
「ほんと、ごめんな。明日は早く帰れるから、俺がご飯作る。明日は一緒に食べよう」
「うん……」
私は零君の紡ぐ言葉の後ろから聞こえてくる声に気を取られてしまう。女の人の零君を呼ぶ声と一緒に、男の人の声が聞こえる。その台詞に私は自分の心が凍りつくのがわかった。
―いつまで電話してんだよ降谷ぁ今回の合コンの目玉はお前なんだから早くしろよーそう、聞こえた。聞き取りづらくはあったが、はっきりと聞こえた。
「うるさいっちょっと待ってろ!……ほんとごめん」
「うん……気にしなくて大丈夫だよ。あの、後ろから零君呼んでる声聞こえるし、もう電話切るね。こっちこそごめんね、じゃあね」
「あっ……」
そう言って一方的に電話を切る。零君が何か言いかけていた気もするが、それを気にしている余裕もなかった。合コン……合コンなんだ……。今日の飲み会は合コンなんだ。私には禁止にしたくせに、自分は行くんだ……。零君は格好良いから、零君を餌にして合コンをセッティングされたとか、そう言う感じではあるんだろう。決して零君が乗り気で行く合コンでは無いことはわかっているが、それでも、出会いの場ではあるのだ。もし零君に気になる子が出来て、付き合うことになったのなら……そんな考えばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
このままここで一人でいたら、嫌なことばかり考えてしまう。そう思い、携帯から一人の名前を探し出し、電話をかける。数回の呼び出し音の後、お目当の人の声がけいたいからきこえてきた。
「はい、もしもし?どーした?」
「ヒロくん!今どこ?!今から家行って良い!?」
「は??何?なんかあったの?」
「それは後で話す。今外?行っちゃダメ……?」
「いや、家だし別に良いけど、俺もう酒飲んでんだけど……ゼロはどうした?」
「……零君は良いの。じゃあ今から行くね。ヒロくんご飯食べた?食べてなかったら私作ったのもってくよ」
「まーたなんかあったんだな……。お、それは助かる!丁度夕飯どうしよっかなって思ってたところ」
「じゃあ今からご飯持って行くね!多分30分くらいでいけると思う」
「りょーかい、まってる」
そう、電話の先はヒロくんである。私の良き相談役である彼も、この近くに一人暮らしをしている。今日は零君がいないのだ。一人寂しく悶々としているより、ヒロくんに話を聞いてもらったりして楽しく過ごした方がいいに決まっている。
そうと決まれば早々と用意に取り掛かる。零君は朝食べると言っていたが、朝は朝で作れば良いだろう。それに今日のご飯は朝には重いだろうし。そう思い作ったばかりのおかずをタッパーに詰め、軽くジャケットを羽織って家を出た。


ヒロくんの家に着き、私の顔をみると彼は困ったように笑って出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します……。はいこれ、おつまみにでもしてください」
そう言って持ってきたおかずを渡すと、ヒロくんは中を見て嬉しそうに声を上げた。
「お!サンキュー!うまそう。最近まともな飯食べてなかったから嬉しいわ」
そう言ってもらえると持ってきた甲斐がある。ヒロくんにはいつも話を聞いてもらっているから、すこしでもその恩を返せてたらいいな。

荷物を置いて、席に着く。目の前にはヒロくんが出してくれた麦茶と私の持ってきたおかず達がテーブルに並んでいる。それをつまみながら、彼が口を開いた。
「で、何があったんだ……?」
「…………合コン」
「は……?合コン?」
「零君が、今日、合コンに行ってるの」
「ゼロが??なんでまた合コンなんて……あー、頼まれで強引にだな多分」
そう言いながら呆れたようにヒロくんは笑った。
「それで、お前はゼロが行きたくて合コン行ったとでも思ってんの?」
「それは、思ってないけど……」
「だろうなぁ〜わかってても嫌ってやつか」
ヒロくんにはなんでもお見通しである。ムッとしている私を気にせず、ヒロくんは私が持ってきたおかずを摘みにお酒を飲む。
「だって!!私には合コン行っちゃダメって言ったのに、零君は行くんだって感じなんだもん!そりゃさ、私に零君が合コン行くのダメとか、言う権利ないけどさぁ」
「あーまぁ、でも、納得いかないよなぁ」
そう言ってブーたれる私の頭を撫でてくれる。
「もういい加減告白すればいいのに」
そう言ってグリグリと笑いながら私の頭を撫でる。告白なんて簡単に言ってくれるが、告白して成功する気がしないのだ。ヒロくんだってそれはわかってるだろうに。
「告白なんてそんなの無理だよぉ振られるに決まってるもん……。零君私のこと妹みたいにしか思ってないもん」
わかっているのだ。一番近い位置にいるけど、それは決して恋愛対象としてではなくて、妹のような、家族の立ち位置なのだ。
「んー、そんなこともないと思うけどなぁ……」
「そんなことあるもん……」
零君のことを考えると、先ほどの電話を思い出してしまう。姿は見えなかったが、聞こえてきた声は可愛らしい声をしていた。零君の行く合コンは総じて女子のレベルが高いと以前ヒロくんが言っていたし、きっと可愛らしい人なんだろうな。そう思うと零君がその人と今日の出会いがきっかけで付き合ってしまったらどうしよう、と不安で仕方なくなる。今日帰っててこなかったら、お酒の入った勢いで一夜を共にしてしまったら、考え始めめるとぐるぐると嫌なことばかり考えてしまう。
「ううううう……ヒロくん今日泊まってっちゃだめ……?」
「は!?ダメだよ何言ってんだ。お前泊めたりしたら俺がゼロに殺される」
「なんで零君がヒロくん殺すの。ありえないでしょ」
「いやーありえなくもないんだなこれが……」
ヒロくんは小さな声でボソボソと何かを言っているが、私の気分的にはもう今日はここに泊まるの一択だ。家に帰ったらきっと隣が帰ってくるのか、女の人の声が聞こえないか、そんなことばかり気になって眠れないだろう。
また嫌なことを考えてしまう、と思い気分を変えようと机の上にあったコップを手に取り一気に飲み干す。
「うえ……なにこれまじゅい……」
「あっ!ばかっお前それ俺が飲んでた日本酒……」
「あ、これヒロくんの飲んでたやつか……美味しくない……」
「あーあーしかもそんな一気に飲んで、これ結構度数高いのに……大丈夫か?気分悪くないか?」
随分と心配そうな声を出すヒロくんに、私はなんだかおかしくて笑ってしまった。なんだか一気に気持ちがふわふわする。
「だぁいじょーぶだよぉ……ヒロくんは心配性だなぁ」
うへうへ笑ってヒロくんの肩を叩く。なんだか頭がクラクラする。面白くないのに笑えてきて笑ってしまう。
「あー絶対酔ってる……。ったく……とりあえず水飲め、持ってくるから。ちょっと待ってろ」
そう言ってヒロくんはどこかへ行ってしまう。ヒロくんがいないとつまんないな、なんて思っていると急激に眠気が襲ってきた。もうなにも考えたくないし、このまま睡魔に身を任せて寝てしまおうか。そんなことを考えていたら、実際にそうしてしまったらしく、私の意識は闇の中に落ちて行った。



「おーい水持ってきた……うわ寝てる」
誤って飲んだ酒に酔った幼馴染に水を渡すべく少し離れて戻ってきたら、幼馴染は既に撃沈、夢の中に旅立っていた。今日も学校だったぢろうし、その後に料理をして、うちに来たのだ。慣れない大学生活にもそれなりに疲れがたまっていたのだろう。仕方ない、と思いつつも、この後この幼馴染の娘をどうするか、頭を悩ませる。送って行くのが最善だろうが、自身も酒を飲んでしまっているため、彼女を背負って彼女の家まで行くのは流石にしんどいものがある。だからと言ってタクシーを呼べるほどのお金は一介の大学生には少し厳しいものがある。
仕方ない、泊めるか……。もう一人の幼馴染で彼女の想い人である自身の親友に知られた時のことを考えると頭が痛いが致し方ない。彼女をベッドへと運んでやり、自分は適当にブランケットをかけ眠る体制に入る。
彼女も、そして自身の親友も、もっと素直に気持ちを伝え会えば簡単なのに。見ていてこっちがヒヤヒヤするし、もどかしい。なによりずっと一途に親友を想い続けている彼女に、早く幸せになってほしい兄心もある。とりあえずは明日、朝起きたら一番に彼女を家まで送っていこう。そう決意して眠りについた。


翌日は慣れないお酒を飲んだ影響か絶不調だった。朝、といっても昼前だが、ヒロくんに簡単に男の部屋で酒を飲むな、酔潰れるなと叱られながら帰路に着いた。今日の授業休講で良かった……。
ヒロくんは授業があるからと私を家の前まで送るとさっさと行ってしまった為、一人部屋の鍵を開けようと玄関まえで鞄を漁っていると、突然隣のドアが開いた。零君の部屋だ。音につられてそちらをみると、案の定零君が部屋から出て来たところだった。
「あ、零君……おはよう……」
なんだか昨日のことがあった為、勝手に一人気まづい、なんて思いながらも声をかける。だが、平時なら帰ってくる返事がない。聞こえなかったのかな、と思ったが零君は険しい顔でこっちを見ているから、聞こえなかったと言うことはないだろう。
「れいくん……?」
「昨日……」
「え?」
「昨日、どこ行ってたんだ。家にいなかっただろ。どこに泊まった」
「え、なんで……」
何故それを知っているのだろう。私の疑問をわかってか、零君が言う。
「昨日、あの後早めに抜けられたからお前の家に寄ったんだ。部屋の電気も付いてるし、チャイム鳴らしても出ないから寝てるのかとも思ったんだが……。俺は今の今まで家にいて、お前が家を出る物音を一切聞いていない。そして今、帰ってきたらしいお前がそこにいる。どこかに泊まったのは明白だろう?」
「えと、その、昨日はヒロ君のところ行ってたの」
「ヒロの……?」
「う、うん……一人寂しかったし、電話したら来ても良いって言ってくれたから」
「それでヒロの家に泊まったのか?」
「え、うん」
実際本当は泊まる予定は無かったし不可抗力での出来事だが、泊まったことは事実なので頷く。零君はすごく怖い顔をしている。
「……ヒロと付き合ってるのか?」
「え?なんて……?」
「はなこはヒロが好きなのか」
「なっ!何でそうなるの!?」
「じゃあはなこは好きでもない男の家に泊まるのか」
「それはっ……!」
零君の責めるような口調と、怖い顔に泣きたくなる。そりゃ、付き合ってもいない男の人の家に泊まるなんて良くないことかもしれない。ヒロ君にも今日散々叱られた。でも、だからって何で零君にこんな対応されなきゃいけないのだ。
「零君だって、飲みに行って朝まで帰ってこない事だってあるじゃん」
「俺は男で、お前は女なんだ。違うだろ」
「そうだけど、私だってもう大学生になったんだから、少しくらい……それに零君に迷惑はかけてないから良いじゃない」
「前にも言っただろ、俺はご両親からお前のことを頼まれてるんだから、気にかけるのは当然だし、その時点で十分迷惑かけられてるんだが?」
 いつもだったらここまで言い合いにはならないし、この時点で私は多分素直に謝っていただろう。だけど昨日の電話口での声が私の中で反芻して、私の口は止まってくれなかった。
「そんな、そんな風に思うならもう良いよ!私のことなんかほっとけばいいじゃない!私の事なんか気にしないで、零君は可愛い彼女作って、その彼女の事を気にかけてあげればいいじゃない。昨日だって合コンだったんでしょ!聞こえてたもん!零君が何してたって私に関係ないように、私が何したって零君には関係無いじゃん!」
 言ってしまった。そう思った時にはもう遅くて、零君の顔も見れないし何かを言われるのが怖くなって私は自分の家のドアを引っ掴んで部屋の中へかけこんだ。家に入った瞬間、我慢していた涙がとめどなくあふれてきて、でもまだ近くにいるだろう彼に泣いているなんてこと感づかれたくなくて必死に声を殺した。
 もしかしたら、話している途中で逃げた私に何か言ってくるかもしれないと思ったが、零君から何か言われることは無く、耳をそばだてていると、彼はそのまま家に入ることなく出かけたようだった。
 そのまま玄関で気分が落ち着くまでぼーっと座り込んでいたが、携帯のメールの着信音で我に返る。見ると、友人からの飲み会の誘いだった。今日予定していた飲み会に急に来れなくなった子がいるから、参加してくれないかとのことだった。ああ、これは合コンかな、断ろう。そう思って返信しようとしていた手を止めた。
あんなひどい事を言った。多分、傷つけた。例え仲直りをしたとしても、彼が私を恋愛対象として見ることなんて一生無いだろう。わかっていたことだけど、今日の言い合いで彼が私を気にかけてくれているのは、やっぱり私の両親に頼まれているからという事実が浮き彫りになってしまった気がした。
実らない片思いを抱えているよりも、新しい出会いを探してみるのも良いかもしれない。例え出会いなんて無かったとしても、1人で落ち込んでいるよりは、誰か人と一緒にいた方が良い。どうせ彼との今日の約束は無かったことになっているだろう。そう思い、いつもだったら速攻で断っている所を了承の返事をすると、友人も断られると思っていたようで驚きと感謝の返事が来て、一緒に詳細が送られてきた。飲み会自体は夕方開始とのことで、時間に余裕はある。シャワーでも浴びてこの泣きはらしたひどい顔を何とかしようと私は立ち上がった。


 飲み会はやはりというか、合コンだった。一応合コンと銘打ってはいないが、男女同数集められ、ほぼ皆が初対面ときたら合コンだろう。相手側の男性が一人遅れてくるということで、今は同数になってはいないが。
 初めて参加する合コンは、まだ始まって30分ほどだが、もう既に帰りたい、と思い始めていた。他大の2つ上の3年生とのことで、勿論話せばそれなりに楽しくはあるのだが、どうしても零君と比べてしまって駄目だった。
 帰りたいな、と思いながらも場に水を差すこともできず、当たり障りない様振る舞いながら過ごす。途中進められるがままに飲んだジュースがお酒だった事に気付いたのは気分が悪くなってからだった。
 甘くて美味しいから、と手持無沙汰に飲み続けていたのが悪かったのだろう。昨日のお酒もまだ抜けきっていなかったのか、とたんに気分が悪くなってきた。ちょっとトイレに、と席を外して一息つくと、気分は少しだけ楽になった。だけどいつまでもここにいる訳にもいかないと席に戻ると、隣の椅子には今までいなかった人物が一人増えていた。遅れてくると言っていた男性側の一人だ。
「あれ?ヒロ君?」
 そこに居たのは見慣れた姿の幼馴染で、驚きで声をかける。
「え、うわ、びっくりした。お前こんな所で何してんの」
「何って、誘われたから参加したの。ヒロ君こそ」
「俺は人数合わせで入れられただけ。そんなことより、ゼロは知ってんの?」
「何で零君が出てくるの……」
「あー、言ってないのね。ていうか昨日の事とか、ゼロに何か言った?」
「……喧嘩した」
「あーだから荒れてたわけだ。ていうか何言ったの」
「別に、どこ行ってたんだって言われたから、ヒロ君の所泊まってたって言っただけ。そしたら怒られて……零君には関係ないじゃんって言っちゃった」
「おまえ……なんて面倒くさいことを……。だからゼロの俺に対する態度もなーんかトゲトゲしかったのか。納得」
 零君ヒロ君への態度がトゲトゲしい何てことあるのだろうか。しかも私が原因で?
「それ、私のことじゃなくて、ヒロ君自身が何か零君怒らせることしたんじゃないの?」
「ばーか、んな訳ないだろ。原因はお前、これは明白」
「むうぅ」
「ていうかお前、何か顔色悪くないか……?」
「え、あ、そういえば気持ち悪かったんだ……」
 ヒロ君に言われて体調がすぐれなくてトイレに行っていたことを思い出す。
「う……何か言われたら気持ち悪くなってきた」
「うわ、大丈夫かよ。もうお前帰れ。迎え呼ぶから」
「え、迎えって……」
「ゼロに決まってんだろ」
「え、やだ」
「やだじゃない。俺はまだ抜けらんないし、その状態じゃ1人じゃ帰れないだろ。んでもってちゃんと仲直りしろ」
「う、はい」
 基本的に私はヒロ君には敵わない。零君が意外と私に甘い分、ヒロ君は私を簡単に甘やかさないのだ。
「ジュースと間違えて酒飲んだんだろ。全く……ゼロすぐ来るって言ってるから、ちょっと休んでろ」
 零君、来てくれるんだ。あんな喧嘩をした直後なのに、やっぱり零君は優しい。やだなぁ、自己嫌悪しかない。自分ばっかり子供っぽくて、こんなんじゃ零君に迷惑かけてないなんて言えないや。
 目元を隠される。友人達の心配する声が聞こえる。その声にヒロ君が大丈夫だと答えているのが聞こえ、ああ、私は零君だけじゃなくて、色んな人に迷惑をかけているな、と実感した。

 ゆらゆら、揺れる。心地よい暖かさに、一定間隔で揺れる振動に気持ち良くなって身じろぎをする。すると前から私の名が呼ばれ、一気に意識が覚醒した。
「起きたか?」
 目の前にいたのは零君で、私は零君におんぶされている状態に目を白黒させる。いつの間に、こんな状態に?先ほどまで確かに私は飲み屋に居て、と記憶をたどっていると、そんな私の考えが読めたのか零君が説明してくれる。
「迎えにいったら、寝てたから、背負ってきた」
「あ、そっか寝ちゃったんだ、私。自分で歩くからもう降ろしてくれて大丈夫だよ」
「良いから。背負われてろ」
 そう言って零君は私をおぶったまま歩き続ける。零君、本当に迎えに来てくれたんだ……。嬉しいと同時に、罪悪感が募る。無言の時間がつらい。折角零君と一緒にいるのに、こんなに重苦しい空気はいやだな、本当に自分の馬鹿さ加減が嫌になる。今日初めて合コンに行ってみて、実感した。私はまだ零君を諦められない。そう思うと素直に言葉がこぼれた。
「あの、れいくん、今日はごめんなさい」
 もう意地を張っていても意味がない。良いじゃないか、どんなだろうと、彼は私を気にかけてくれている。その事実だけで、今は十分だ。
「いや、俺も言い過ぎた。ごめん」
「零君は何も謝ることないのに。でも、じゃあこれで仲直り」
「ああ、仲直り」
 零君が笑ってくれたのを気配で感じて、先ほどまで重かった心が一気に軽くなる。零君のちょっとした仕草ひとつで嬉しくなるんだ、諦めるなんて無理な話だ。
 零君の首に回したてに少しだけ力を入れると、彼の肩がピクリと反応する。
「あ、ごめん。苦しかった?」
「いや、違う……あーーーくそっ」
「え、なにどうしたの」
 突然立ち止まり暴言を吐きだした零君にびっくりしていると、彼が私の名を呼んだ。
「なに?」
「好きだ」
「へ……」
「今日言われて気づいた。ご両親に頼まれてるって言っても、俺はお前の交友関係だったりに口は出せないなって。だから俺は、それに口を出せる立場になりたい」
「え、それって、どういう……」
「俺ははなこが好きだから、隣にいるのは俺が良いし、他の男と二人でいてほしくないし、ましてや泊まったりなんかしてほしくない」
 そう言って彼は私を一度降ろして、向き直る。私はされるがまま地面に足をつき、茫然と彼を見つめることしかできないでいた。
「好きです。俺と付き合ってください」
 夢を、見ているのかと思うくらい、ありえない出来事が繰り広げられている。零君が、私を好きなんて、ありえない。だって彼は私を妹としてしか見ていなかった。短期間だけど、彼女だっていたことがあるのを知っている。
「う、うそだぁ」
「嘘じゃない。本当は、言うつもりなんて無かったんだ。お前はヒロの事が好きだとずっと思ってたから」
「ちがうよっ!私、ヒロ君の事は好きだけど、そういう好きじゃない」
「うん、ヒロにも同じ事言われた。多分俺は自信が無かったんだと思う。情けないことにな。でも今日はなこと喧嘩して、突き放されて、このままじゃ駄目だなって思ったんだ。はなこが俺のこと意識してないなら、意識させてやればいい。好きじゃないら、好きにさせてやれば良い……。例え今俺の事を、兄としてしか認識していなかったとしても、いつか絶対俺の事を好きって言わせるよ。だからこれは、その宣言」
 月明かりに照らされた零君の顔は真剣で、からかっているのでもなんでも無いことがわかる。すごいことを言われているな、とどこか他人事みたいに思う。それより、何で彼は私が彼の事を好きじゃない前提で話を進めるのだろう。いや、私も零君は自分の事を妹として見ていると信じ込んでいたのだから、お相子だ。
「私たち、似たもの同士だね」
「え?」
「私もね、零君は私のこと、妹としてしか見てないってずっと思ってたの。だから、零君への気持ちはちゃんと自分の中で消化したら諦めようと思ってた。でも、諦めないで良いんだね……この恋心は、捨てなくても良いんだね」
 話しているうちに溢れてくる涙を止められなくて、最後の方は涙声になってしまったけれど、彼には届いているだろう。でも、この先ははっきりと言わなければいけない。前を向いて、彼と目を合わせる。視界はゆがむが、これは悲しい涙じゃない。
「わたしも、私も零君が好き。お兄ちゃんだなんて思ったこと一度もないよ。ずっと、ずっと零君が好きだった!……だから、その、不束者ですが、よろしくおねがいしまっ」
 突然の衝撃、全身に感じる暖かさと、力強さに、彼に抱きしめられているのだとわかった。無言で私を抱きしめる彼の背中に手を回して、思いっきり抱きしめ返す。
「零君、すき、だいすき」
 言葉があふれて止まらなくて、それと一緒に涙も流れる。こんな幸せがあって良いのだろうか。まだ信じられない、でも、今感じるこの熱が私にこれが現実だと教えてくれる。
「俺も、好きだ……」
「うん、嬉しい……夢みたい」
「夢じゃない、夢であってたまるか」
「うん、うん……」
 今日は一日、最悪な日だと思っていたけれど、最高の一日になった。一生忘れられない、




 ――― 夏 ―――
 
 今日は朝からとても浮き足立っていた。なんてったって今日は夏祭り、しかもいつも留守がちで中々帰って来ない旦那様が今日は帰ってくるのだ。しかも一緒に夏祭りに行こうとまで言ってくれた。浮き足立たない訳がないのだ。
 大きな案件の片が付きそうだから、久しぶりに一緒に夏祭りに行こう―そう連絡が入った時から、この日をずっと楽しみにしていたのだ。私と彼が結婚してから、というよりも彼が今の職に就いてからというもの、一緒にどこかへ出かけるなんて事は皆無と言って良いくらい無かったのだ。寧ろ家に帰って来ること自体稀なくらいだ。まぁだからこそ結婚したんだけども。
 とまぁ結婚後もそんな状態が長々と続いていた為、勿論その状態に不満があったという訳では無いが、単純に久しぶりに一緒に出かけられることが嬉しいのだ。
 時計を見ると彼が帰ると言っていた時間が迫っている。折角の夏祭りだ、久しぶりに浴衣を着よう。髪も浴衣に合わせてアップにして、やることはたくさんある。
 一通りの準備を終えて鏡を見る。うん、着付けも大丈夫だろう。髪型も浴衣に合っている。後は彼の帰りを待つだけだ。ソワソワしながらソファに座り、彼の帰りを待つ。先程携帯に今から帰ると連絡が来ていたから、もうそろそろ帰って来る頃だ。時計をチラチラと見ていると、玄関の鍵を開ける音がし、私は彼を出迎えるべく、玄関へと向かう。
 ドアを開けて家に入ってきた彼を見た瞬間、私の今までの上がりに上がっていたテンションは急降下した。


「零君、何日寝てないの」
帰ってきて早々、おかえりの声をかけるよりも前にその言葉が出た。彼はそんな私を見て、少し困ったように笑いながら言った。
「大したことないよ。三日……くらいかな?」
「三日!?三日は大したことあります!」
「慣れてるからこのくらい大丈夫さ。それより、浴衣着たんだな。久しぶりに見た。可愛い」
「お……おう。ありがと。ってそうじゃなくて!零君酷い顔してるよ?もう今日はお出かけ良いから、休んでください」
「大丈夫だよ、行こう。楽しみにしてたんだろ?浴衣着てオシャレしてる」
「そりゃ、楽しみにはしてたけど、そんな顔した零君連れ出せないよ。折角お仕事ひと段落して、家で休めるんだからしっかり休んで」

そう言い募っても零君は首を縦には振ってくれない。それどころか、折角だから俺も浴衣着るか等と言いながらクローゼットを漁り出した。  
「零君っ!!」
痺れを切らした私が怒りながら少し大きな声を出すと、零君は少しだけ寂しそうに笑って言った。
「俺も久しぶりにはなこと出かけるの、楽しみにしてたんだ。だから、これは俺のわがまま。俺の我が儘、聞いてくれないか?」
そんな事を言われてしまうと弱い。一緒に出かけたいって思ってくれてたんだ、とか、楽しみにしてくれてたんだ、とか思ってしまう。でも、これだけは譲れない。例え零君の頼みだろうとこれは譲れないのだ。零君の妻として、旦那の体調が優れないのに連れ出すなど、そんなのでよく零君の妻が勤まるな!という感じだ。
「駄目です!!零君は今日は休む。また機会があったら、一緒にお出かけしよ?私は零君が無理してても嬉しくないよ。一緒にお出かけするなら、2人とも元気な時がいいな。零君だって、私が具合悪そうだったらどんなに私が行きたいって言ってもお出かけ中止にするでしょ?」
そう言って零君の手を握る。零君は少し不満そうな顔で尚も何か言おうとしている。
「でも、せっかく可愛くしてるのに」
 ここまで引き下がらない零君は珍しい。何か代替え案が無いか考える。
「あ!じゃあこうしよう。夏祭り、お出かけはしないけど、二人でお家で花火みよ。零君も浴衣着て、私も着替えずにそのままでいるから。あとは、何かご飯軽く作って、それ食べながら、ベランダで花火見ながら、ゆっくり晩酌するの。いかがでしょう?」
「でも……」
「私は、零君と一緒に居られるならそれが一番嬉しいの。知ってるでしょ。それに外にいるより家の中の方が人目とか気にならないから気楽だし。……零君にくっつけるし」
最後の方は恥ずかしくて小声になってしまったが、それでも零君には聞こえたらしい。嬉しそうな顔で笑って、わかった、と頷いてくれた。
「俺も久しぶりにお前を充電したいしな、とりあえずシャワー浴びてくる」
「なっ……いってらっしゃい!」
「はは、いってきます」
私の頭をひと撫ですると、零君はお風呂場へと向かった。さて、私はこれから軽食の準備だ。零君の言葉に熱を持ってしまった顔を扇ぎながらキッチンへ向かう。幼馴染でもある零君との付き合いは幼少期からになるが、それでも彼の一挙一動に動揺してしまうのは変わらない。

簡単におつまみと、軽いお酒を用意してベランダへ出る。ここは割とセキュリティもしっかりしていて、尚且つ良いマンションのため、ベランダも少し広めに作られている。レジャーシートを広げ、零君が来るのを待つ。
少しすると、浴衣を着た零君が出てきた。零君の浴衣姿なんてすごく久しぶりに見たけど、やっぱり格好いい。イケメンは何着てもイケメンだな、と改めて実感する。
「準備、ありがとな」
「いえいえ、どういたしまして。あまりものだけどね」
 お風呂から上がった零君は先ほどの死にかけの顔よりは少しすっきりしていた。この分なら、多分大丈夫だろう。そう判断し、隣に座った彼にお箸とお皿を渡すと、お腹も空いていたのか食べ始めた。
「零君、お酒飲む?体調もあれだろうから少しだけだけど」
「ん、もらおうかな。明日は久しぶりに一日休みだし」
「え、明日もお休みなの?」
「ああ、特に何もなければ、一日家にいるつもり。はなこも仕事休みだろ?」
「うん、明日はお休み。じゃあ今日これから明日まではゆっくりできるね」
嬉しくてそう言って笑うと、零君も一緒に笑ってくれた。

 二人で話しながら食事をし、お酒を飲んでいるとあっという間に時間も過ぎ、そろそろ花火が始まるという時間になった。花火が始まる前に飲み物を追加しようと席をたつ。お水を片手に戻ると、零君に名前を呼ばれた。近寄っていくと、彼は自分の足の間を指をさす。ここに座れ、という意味だろう。結婚してしばらくたつし、今さら恥ずかしがることも無いだろうに、久しぶりの彼だと思うと恥ずかしさが先に立ち躊躇していると痺れを切らした彼に腕をとられた。
「イチャイチャ、するんだろう?」
倒れこむようにして彼の足の間に座る。腰に手を回され、がっちりと逃げられない様ホールドされる。すぐそばに零君の体温を感じられて、顔が赤くなるのがわかる。恥ずかしさに零君の胸に顔を押し付けると、浴衣から除く褐色の肌が目に入り、また顔が赤くなる。私の状態をみてか零君の方が揺れる。
「笑ってる……」
憮然とした顔で言うが、零君には何の効果もない。
「いや、だって……かわいいなって思って」
「なっ……」
「私の顔が赤いのは零君のせいなんだからね」
「ん、嬉しい」
そう言って笑う彼は嬉しそうで、その顔を見ていたら私は何も文句は言えない。その顔を直視していられなくて、また彼の胸に顔を埋める。
「嬉しいけど、そうしてたら折角の花火見れないだろ」
上から降ってくる零君の言葉に、確かに折角の花火が見れないのは嫌だと顔を上げる。すると彼は私の身体を反転させて、彼の胸に背中を預ける様な形で座らされた。
 花火の音とともに辺りが光に照らされる。背中に感じる彼の体温を感じながら、お腹に回された彼の手に自分のを重ねる。
「きれいだな」
「うん、すごいきれい」
後ろから聞こえる彼の声は優しい響きを伴っていた。
「今日、帰ってきてくれてありがと」
「いや……本当はちゃんと夏祭り堪能させてあげたかったんだけど」
「んーん、勿論行けば行ったなりの楽しさはあると思うけど、私はこれはこれで嬉しいし楽しいから、良いの。その……零君とくっついていられるし」
恥ずかしすぎて零君の顔は見れないので、目線は絶え間なく上がり続ける花火に固定している。彼の体温を感じながらこんなきれいな景色をみているからか、私の箍が外れてしまったのかもしれない。でも紛れもない本音でもあった。でもやっぱり反応は気になる所で、何の返事も帰ってこない事に何こっぱずかしいこと言ってんだ引かれてしまったのかなと不安になる。
「……零君?」
反応が無いことを不安に思い、彼の方を振り返ろうとしたら、ガッと頭を押さえられて振り向くことを阻止された。え、と思っていると、ものすごく長い溜息をつきながら彼は私の肩に顔を埋めてきた。
「え、なに。どうしたの」
「これははなこが悪い」
「え、やっぱり気持ち悪かった?ごめん」
「いや、違う。そうじゃない。そうじゃないけど、はぁ……無自覚が一番立悪い」
「んえ?」
意味が分からずにいると、肩に埋まっていた零君の顔が首筋に埋まる。くすぐったさに肩を竦めると彼の唇が肌に触れ、ちくっとした痛みが走る。
「れ、れいくん!」
「これでも我慢してるんだぞ。花火終わるまではこれ以上しないけど、終わったら覚えとけよ」
「な、な……」
「言っただろ?充電したいって」
そう言って不適にほほ笑む彼の顔は花火の明かりに照らされて更に無敵さが増している。私の顔は多分真っ赤だ。この後のことを考えると、もう花火どころではなくなってしまって顔を俯ける私に、は楽しそうに笑っていた。




―――秋――――

季節は秋、零君はもうすぐ警察学校を卒業する。お隣に住んでいる、といってもほぼ寮に住んでいるし、お休みの時に戻ってくるくらいで、しかも戻ってきても大体は私の家にいるからあの家借りているお金が無駄なのでは?と思う今日この頃である。
そして今日は久しぶりに零君が帰ってくる日だ。そろそろ配属が発表されるとのことだったので、それも気になるところである。

零君が来る前にご飯の用意をしてしまおう、と思いキッチンに向かう。零君ほど凝った料理は作れないが、なんだかんだで一人暮らしも数年経てば、料理も覚えるものである。しかも自分の師は零君その人であるのだから、味はまぁそれなりに自信がある。
とりあえず彼の好きなセロリのサラダと、あとはハンバーグでも作ることにしよう。
ご飯の準備も佳境に差し掛かった所で、玄関の鍵を開ける音がする。鍵を持っているのは私と零君のみなので、零君が帰ってきたのだろう。お出迎えをしよう、と手を洗って玄関へ向かう。丁度扉が開いた所で、家に入って来た零君と目があった。

「零君!おかえりなさい」
「………………」
「零君?」
いつもだったらすぐにただいまと返事が帰って来るのに、零君は私を見つめるばかりで返事がない。何かあったのだろうか。
「零君、どうしたの?」
「いや、何でもない。ただいま」
「うん、おかえりなさい。ご飯あとちょっとでできるよ」
「ああ、ありがとう。……なぁ、結婚しよう」
「いえいえ、今日はねーハンバーグだよ。あと零君の好きなセロリの…………は?」
「結婚しよう。婚姻届は貰ってきた。ちゃんと書き損じしても良いように余分に貰ってきたから安心しろ」
「ん?ありがと……?え、ごめん何言ってるの?」
真顔で急に何を言いだすんだこの人は。本気で訳がわからなくて混乱する。からかっているのかな、とか、正気じゃないのかなとか思って顔を見るが、零君はこんな悪趣味な揶揄いなんてしないし至って正気のようである。いや、ある意味正気じゃないのかもしれないけれど。
「と、とにかく、よくわかんないけどとりあえず入って。落ち着いて座って話そ」
そう言って零君の腕を取る。彼は素直に従ってくれて、靴を脱ぎ私に腕を引かれるままに部屋に入る。
兎にも角にも彼を机の前に座らせ、お茶を入れるべくキッチンへ向かう。作りかけのハンバーグが目に入るが、今はそれどころではない。急須にお茶を淹れ、彼の待つ部屋へと急ぐ。
二人分のお茶を持って部屋へと行くと、机の上には何やら書類らしきものが揃えられていた。近づいてみると、そこに記されていたのは婚姻届……。本気だ……。
彼と向かい合うように座り、気合いを入れるように姿勢を正して会話を切り出した。

「それで、零君。急にどうしたの……?」
「結婚しよう。俺と籍を入れて欲しい。……嫌か……?」

先程まで有無を言わさず、と言った風情だったのに急にしおらしく小首を傾げて問うて来る彼に、うっ……となる。
彼は自分の顔の良さとか、私がその表情に弱いこととかわかってやってるのだ。そしてそれがわかっていながら、その行為に負けてしまう私もダメダメなのだが。

「嫌とかじゃなくて、その、なんでこんな急に……。まぁその、仮にもプロポーズなのに夢が無いとかそういうのは……まぁ良いよ。良いんだけど、どうして急にそんなこと言い出したのか聞いてるの」
「俺はずっと前から、いずれははなこと結婚する気だったよ。それが今になっただけだ。それともお前は俺と結婚する気なかった?」
「そんなことない。そんなことないけど……私まだ学生だし、すごい急じゃない。理由教えて貰えないと簡単に頷けないよ」

勿論零君と結婚したいとは思っていたし、このままいけばいつか結婚するのかな、なんてぼんやりとだが考えてもいた。でもここまで急な行動をするからには理由があるはずだ。零君は意味のない事をしない人だから。
じっと零君を見つめていると、観念したかのようにため息をつきながら話し始めた。

「昨日、卒業後の配属先を聞かされたんだ……」
「うん」
「どこに配属になったのかは言えない。何をするのかも、きっと言えない事ばかりになると思う」
「そっか」
「……危険な任務に就く事だってあると思う。配属が正式に発表になって、俺がそこに所属になったら、簡単には結婚なんて出来なくなる……。それに、今の関係じゃ俺にもし何かあったとしても、はなこには知らせがいかないだろう……結婚して配偶者になってしまえば、まずは君に連絡がいく」
「え、まって……何かって……」
「一応警察官だからな、危険はつきものだ。勿論、簡単に死んだりしないから安心しろ」

そう言い、不安になる私に向かって笑いかけてくれた。零君が警察官になった時からわかっていた事だが、いざ本人の口から言われるとやはり不安が募る。それが顔に出ていたのか、零君は少しだけ困ったように笑いながら、私の手を握ってくれた。

「配属される部署は、きっと危険が伴うことになる。だからきっと、はなこに不自由をさせるだろうし、言えない事だって沢山ある。不安にさせるかもしれない。でも俺は、もうはなこのことを手放せないから……待っていて欲しいんだ。君が俺に愛想をつかして俺のもとから逃げてしまわない様に……安心したいんだ……。ごめん、これは俺のエゴだ。でも逃してあげられない……俺と結婚してください」

逃げる訳ないのに。私がどれだけ零君が好きで、思い続けていたのか知らないのだろうか。零君は分かっていないのだ。むしろ私の方が、もう何を言われても彼のそばを離れられないし離れてやらない。

「最初から、そうやってちゃんと言ってくれれば良かったのに……いきなり過ぎだよ……。零君、不束者ですが、よろしくお願いします」

そう言いながら零君に抱きつく。背中に手を回してぎゅっと力を入れると、零君も私を抱きしめ返してくれた。
「本当は……何も言わずに別れて、普通の男と結婚した方が、君は幸せになれるのかもしれない。でも、これは俺のエゴだ。ずっと一緒にいたい。君を、はなこを手放すなんて考えられなかった……」
「嬉しい……私を手放さないでくれてありがとう……。私も、零君とずっと一緒にいたいから、私を諦めないでくれて、すごく嬉しい」

彼の言葉通り、別れを告げられる可能性だってあった。必要とあれば、彼はたとえ迷いながらもすべき事をする人だ。彼の口ぶりからすると、きっと大変な部署に配属になったのだろう。警察のことなんてわからないが、ここまで強引かつ急に物事を進めようとするなんてそれ以外考えられない。
きっと私のことなんて切り捨てた方が楽なはずだ。それでもその道を選ばないでいてくれたことが、すごく嬉しい。彼にとって、私は必要な存在だと言われたみたいだ。

思う存分、愛しさを込めて彼に抱きついていると、彼の体重が徐々に私の方へと傾き始める。あ、と思った時には私は床の上にあおむけに転がっていた。顔の横には零君の手がおかれ、眼前に広がるのは天井と彼の顔。何かを考える間もなく彼の顔が近づいてきて、反射的に目をつむった。
「んっ……」
最初は触れるだけだった唇が徐々に深いものになっていく。久しぶりに触れる零君の体温に嬉しくなり、自分から零君の首に手を回す。一度唇が離れ、零君は優しく笑いながら私の頭を撫でてくれた。零君の唇が、私の顔のいたるところに落ちてくる。おでこ、目元、頬と降りていき、それに合わせて彼の手が私の身体をなぞる。その感覚に身を捩ると、ふとキッチンが目に入った。あ、ごはん……。
 このまま流されてしまいたい気持ちは山々だが、このまま放置すると肉がやばい。零君が帰ってくるからと、少しだけいつもより良いお肉を買ったのだ。駄目にしてしまうのはあまりにも勿体無い。
「零君……」
「ん?どうした?」
声をかけるとそれはそれは甘い優しい声色で問われる。その間も零君の手は止まらず、今にも私の服の中に入ろうとしている。
「あ、あの、ごめん。ちょっとタイム」
「は?」
「いや、その……ご飯作ってる途中だったなって……」
「なんで今ここでこのタイミング」
「だってキッチンが目に入ったんだもん。今日零君かえってくるなって思っていつもよりちょっと良いお肉買ったんだよ!」
「…………はぁ」
ため息をつきながらも、零君は私の上からどき、手を引っ張り起こしてくれた。
おおう……零君の顔が怖い。だがしかし、私には肉を無駄にすることは出来ないのだ。意外とあっさりと解放されたな。ぼんやりと考えていると零君は早々に立ち上がり声をかけてきた。

「夕飯ハンバーグなんだろ?続きは俺がやっとくから、はなこはこれ書いといて」
そう言って指差す先は、机の上にある書類。婚姻届というものだ。
「明日、出しに行こう。その後、実家に行って挨拶しに行こう」
「え、うん。良いけど……大丈夫だとは思うけど私親に何も言ってない」
「ちゃんと電話でだけど了承貰ってるから心配するな」
「え、いつの間にそんなことになってるの……」
「大事な娘さんを貰うんだ、当然だろ。急なことで電話になってしまったのは申し訳なかったが……かわりと言ってはなんだけど、明日ちゃんとご挨拶に行こう」
「零君は真面目だねぇ。うちの親なんて言ってた?」
「二人ともどうぞもらてやってくださいって」
「だろうね!知ってた!」
だって零君だもんね。うちの両親は昔から零君の事が大好きで過剰に信頼を寄せている。零君と付き合うことになったと報告した時は真顔で今後そんなラッキーな奇跡は起きないから絶対に離すな、と二人にこんこんと言われたくらいである。結婚なんて言ったら飛んで喜ぶに決まっているのだ。
「とりあえず、これ書いちゃえば良いんだよね。あれ?でも婚姻届って保証人とか必要なんじゃなかったっけ?」
そう言いながら書類に目を通せば、保証人欄にはすでに署名があった。見てみるとそこに書かれている名は諸伏景光、伊達航……私のもう一人の幼馴染と、零君のお友達の名前だ。
「用意周到……」
「すぐに出しに行きたかったからな。頼んで書いてもらっておいた」
まぁ零君が良いならいいや、と深く考える事をやめ、書類の記入に集中することにした。中途半端になっているご飯は零君が続きを作ってくれると言っているのだ、私が作るより豪華にパワーアップして完成されてくることだろう。ここは彼の言う通りにした方が賢い。

零君がエプロンをつけてキッチンに向かうのを横目に、書類の記入部分を埋めていく。まだあまり実感などは湧かないが、こんなに早くこの書類を書くことになるとは思わなかった。彼が記入する部分はもう既に埋まっていて、名前のところには当然だが降谷零の名前がある。その横に自分の名前を書いていく。これを書いて、提出したら私も降谷になる。
「ふふ……」
降谷かぁ……と思っていたら無意識に気持ち悪い笑いを漏らしていた。
「何一人で笑ってるんだー?」
キッチンから彼の声が飛んでくる。私の笑い声が聞こえていたらしい。そこまで大きな声ではなかったと思ったんだけど、恥ずかしいな……。
「なんでもなーい」
気を取り直し、埋まっていない部分を埋めていく。よし、一度も間違えることなく書た。
捺印を押して、全てが記入された婚姻届を眺める。すると、あらかた用意ができたのか、零君がハンバーグがのったお皿を持ってやってきた。
「何やってるんだ?」
「んー?いやぁ、これ出したら、降谷になるんだなぁって」
「いや?」
「嬉しいに決まってるじゃん。私、小さい頃の夢叶っちゃったんだよ?」
「夢?何、お嫁さんになりたいとかそんな感じ?」
「んーちょっと外れ。零君の、お嫁さんになれますようにって、私の小さな頃の夢。叶っちゃった」
そう言って笑うと、いつのまにかお皿を机の上に置いた零君に抱きしめられた。ギューっと離さないっていってるみたいな力で抱きしめられて、少しだけ苦しくて、でもその力が嬉しくて私も抱きしめ返す。
「絶対、幸せにするから……」
「うん、私も、零君のこと、幸せにする。一緒に幸せなろ?」
そう言うと零君は少しだけ私の身体を離し、おでことおでこをくっつける。視界いっぱいに広がる零君の青い瞳は、もう迷いなんてなくて、決意が秘められているように見えた。
「ああ……約束」
「うん、やくそく……」
これから、きっと大変なこともいっぱいあるけど、この人の横に居られることを、待っていることを許される、それがどれだけ幸せな事か、きっと私はこれから知っていくだろう。笑って、泣いて、そんな未来が待っている。


こうして私は、降谷になりました。



 ――― 冬 ―――


 年末、今年も終わりを迎えようとしている十二月三十一日。私はと言えば、お家で寂しくひとりぼっちで年越しの予定だ。いや、1人というには語弊がある。私の横にはくぴくぴと可愛い寝息をたてている仔犬のハロくんがいるのだ。
 ハロくんは夫である零君が連れてきた子で、今までは彼のセーフハウスに居たそうなのだが、中々面倒を見てあげる時間もしっかりと取れないとのことで我が家にやってきた。久しぶりに帰ってきたと思ったら仔犬を抱いて帰ってくるのだから、それはもう大層驚いたものだ。でも、ハロくんはすごく賢くてかわいくて、今まで一人で彼の帰りを待っているだけだったので同居人が増えたことは素直に嬉しかった。最初はハロくんも知らない家で戸惑っていたみたいだが、すぐに私にも懐いてくれて、今では一緒のベッドで寝る仲である。
 本当は、いつもだったら年末は彼に言われて実家に帰っているのが常で、1人で年越しなんて滅多にしない。だけれども、今年はいつもだったらある彼からの連絡が無かったのだ。いつも年末付近になると、何かしらの手段で「帰れないと思うから実家に行ってて」と連絡をくれるのだ。でも、今年はそれが無い。もしかしたら、もしかしたら今年は帰ってくるのではないか、一緒に年越しをできるのではないか、そう思ってしまったのだ。勿論、連絡をすることすらできない程忙しいのかもしれない。でも、いつも忘れずに連絡をくれる彼が連絡をしてこないということは、少しでもこの家に帰ってこようとしてくれているのかもしれ等と考えてしまったのだ。間違っていたらそれはそれ、私がただこの家で年を越すだけで、何も被害は無いし問題もない。ただ、もし彼が帰ってきたときに、この家に誰もいないなんてことが起きてしまうのは絶対に嫌だったのだ。
 いつもいつも、自分を犠牲にして休む間もなくお仕事をして1人がんばっている彼を知っている。だからこそ、この家に帰ってくるときはなるべく彼をお帰りと言って迎えたいのだ。この家に帰ってくるときは、暗い家に一人帰るなんてことにはさせたくない。それに何より、私が彼と一緒に過ごしたいのだ。
 年末の大掃除もすませ、年越しそばも食べ、テレビを見ながら炬燵の中で暖をとる。時刻は十一時過ぎ、あと少しで今年が終わる。今の所彼が帰ってくる様子もない。残念ながら年越しは1人かな、と少し笑いをこぼしながら、隣で寝ているハロ君を撫でる。頭を撫でていると気持ちよさそうに顔を擦り付けてきて癒される。気持ちよさそうに眠っているから、起こさない様に注意しながらも、気持ちの良い毛並に手を離せずに撫でまわす。そんなことをしていたら、気付くとあと十分ほどで年が変わる時刻になっていた。
 気持ちよさそうに眠るハロ君を見て、わたしもそろそろ寝ようかな、等と考えていると玄関の方から物音が聞こえた。すると、今の今まで眠っていたはずのハロ君が目を覚まし、ワンと鳴きながら玄関へと走っていく。もしかして……はやる気持ちを抑えつつ、私もハロ君に続いて玄関へと向かう。
 私が玄関へ着くよりも早く、扉が開く音とともにハロ君の鳴き声と、ずっと聞きたかった声が聞こえた。
「わっ、ハロ、起きてたのか……びっくりした」
 ハロ君が彼に飛びついたらしい。嬉しそうに彼の周りをくるくると回っていて、私と同じでご主人様の帰りを待ちわびていたことがわかる。私も我慢できずに駆け足で彼に飛びついた。
「零君!おかえりなさい」
いきなり飛びついたのに彼は少しもよろめくことなく、私を抱きとめてくれた。
「ただいま……。実家に帰ってるかなって思ったけど、いてくれて良かった」
「ちゃんといるよ。だって零君、いつもなら帰ってろって連絡くれるのに無かったから、もしかしたらうちに帰ってきてくれるのかなって思ったの」
「帰ろうとは思ってたけど、帰れる確証は無かったんだ。だから連絡できなかった……ごめんな」
 すまなそうに彼は言うが、そんな些末なこと全然良いのだ。この家に帰ってきてくれようとする気持ちが嬉しいし、実際に帰ってきてくれたのだ。
「そんなこと気にしなくて良いのに」
「うん、そう言うだろうなとは思った」
 そう言って抱きしめる手に力を入れてくれる。ギュっと痛いくらいに抱きしめられて、彼がどれ程頑張ってくれたのかを思い知る。彼の胸に顔をぐりぐりと押し付けて、息を吸う。零君の匂いだ。零君がいる。嬉しくて嬉しくて、つい離れがたくなってしまうがここは玄関。彼はお仕事から帰ってきたばかりだ。いくら室内といっても玄関は寒いし、疲れた身体を一刻も早く癒してもらいたい。
「お部屋、はいろ」
「ん、そうだな」
 私の頭を一撫ですると、彼は履きっぱなしだった靴を脱いで部屋に上がる。彼の持っている鞄を受け取り、ハロくんを先頭にリビングへと向かう。道中彼はつけていたネクタイを緩めていて、久しぶりに会うからか、そんな些細なしぐさにもときめいてしまう。そんな私に彼は気づいているのかいないのか、笑いながら頭を撫でられる。昔から、零君は私の頭を良く撫でる。そして私も彼に頭を撫でられることが大好きだったりするのだ。
 リビングに着くと、つけっぱなしだったテレビから年越しのカウントダウンが聞こえた。年が明けるようだ。
「お、年明けるな」
「ね、あ、明けた。零君、あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございます。はなこと年越しするのなんて何年ぶりだろうな」
「ふふ……零君が就職してからは無かったからね、すっごい久しぶり。あ、ハロ君もあけましておめでとう」
そう言って足元にいるハロ君に声をかけると、ハロ君もそれに返すように吠えた。零君もそれに習っておめでとうと言ってハロ君を撫でてあげている。1人と一匹のじゃれ合う姿を見ながら、幸せだなぁと思っていると、こちらを向いた零君と目があった。
「ん?どうした?」
「んーん!なんでもない!ただ、今年は絶対幸せな一年になるなって思って」
「何だ、突然」
「だって、年が明ける瞬間に零君と一緒に居られてるんだよ?絶対にいい年になるよ。ねーハロ君もそう思うよね」
そう言ってハロ君に問いかけるとハロ君もワンと答えてくれる。
「ほら、ハロ君もそうだって言ってる」
「まぁ確かに、年越しをお前と一緒に過ごせてるのは幸せなことは確かだな。うん、そうだな。きっと今年は良い年になるよ」
「ね!そう思ってた方が幸せだし、そう思ってるだけで何か本当に良い年になるような気がしてこない?」
 そう言って笑うと零君はちょっと目をしばたたかせて、笑った
「そういうところを、好きになったんだ」
「ふえ……」
「俺と夫婦になってくれてありがとう。今年も、いや、これからずっとよろしくな」
「うん、これからも、ずーっと一緒にいるんだもん。よろしくね、零君」
 明日は零君とハロ君と一緒にゆっくりご飯を食べよう。そして、近くの小さい神社に初詣に行こう。
 彼と一緒に過ごせるというだけで、こんなにも幸せなのだから、彼が結婚するときに約束してくれたことは果たされているのだろう。中々帰ってこれない事を彼は気にしているし、寂しいと思うことだってあるけれど、彼の守ってくれているこの日本で、












「桜すごいきれいだね〜」
「こんな満開の中で花見なんてなかなかできないから、貴重だな」
「ね、しかも人少ないし。零君どこでこんな穴場見つけてきたの」
「ん?内緒」
「むう……でもいいや。来年も来れるといいねぇ」
「ワン!」
「ね、ハロ君も来たいって」
「ハハ、そうだな。来年も、再来年も一緒に、三人で来よう」
「うん!あ、でも来年は三人じゃないかも……」
「は?」
「来年はー四人?」
「は……?それどういう」
「来年が楽しみだね!ね、お父さん」