銀色の夢
2004年、コメリカのとある都市。
その日、4歳になったばかりの天理は、母親と手をつないで歩道を歩いていた。
車一台がやっと通れるくらいの、一方通行の細めの道。
時刻はちょうど15時だった。
「お母さん、今日のおやつはなあに?」
「そうねぇ。今日は天理の好きなパイを焼こうかしら」
天理が笑って頷いた、その時だった。
背後から近づいてくるエンジン音。尋常ではないスピードと急ブレーキ音に振り返る間もなく、黒い車が二人のすぐ横に急停車。
「——!」
車から飛び出してきた男が、天理の腕を掴んだ。
「お母さん……!」
「天理っ……!? ちょっと、何を——!」
伸ばされた母の手が、あと少しのところで届かない。
もう一人の男が母を突き飛ばし、天理は車の中へ引きずり込まれた。
「はな、して……はなしてよぉ……!」
ドアが乱暴に閉まる。窓の外で、母が何かを叫んでいるのが見えた。声は聞こえない。
ただ、小さくなっていく母の姿だけが、天理の目に焼き付いた。
◇ ◇ ◇
数時間後、天理が目を覚ましたのは、埃っぽい倉庫の中だった。
目隠しをされているのか、真っ暗で何も見えない。
冷たい床の感触と、錆びた鉄パイプの匂いだけは分かった。天理は膝を抱えて横になったまま、震えていた。
「まだ寝てんのか、あのガキ」
「金さえ払われりゃこっちのもんだ。……にしても、妙に大人しいな」
見張りの男たちが話しているが、声がはっきり聞こえない。
自分が何かに閉じ込められているのがわかった。恐らく扉か壁を隔てているせいで、はっきり聞こえないのだろう。
天理には、男たちの言葉の意味がよくわからなかった。
頭の中では、ただ「お母さんに会いたい」という気持ちだけがぐるぐると回っていた。
いや——正確には、天理の頭に流れ込んでくるのは、自分の気持ちだけではなかった。
(……足がついたら厄介だな)
(早いとこ次の連中に渡しちまおう)
見張りの男たちの声とは別の、直接頭の中で響く誰かの声。
テレパスである天理には、それが超能力で受信した声だとすぐに分かった。
「……っ」
小さな頭を抱えて、天理はぎゅっと目を瞑った。
特に受信が強い天理は、聞きたくないことも聞こえてしまう。
今日もリミッターを付けているのに、また無意識に人の心の声が勝手に聞こえてしまい、怖くて震えた。
(怖いよ…誰か助けて———!!)
無駄だと分かっているが、小さな手で耳を塞ぐ。
そのとき。
(——大丈夫かい?)
今までとは違う声が、頭の中に響いた。優しく、どこか落ち着いた声だった。
天理はびくりと肩を震わせて、真っ暗な中あたりを見回す。もちろん、この空間には誰もいない。
これもテレパシーで受信した声だった。
(怖がらなくていい。もうすぐ、君を助ける)
その言葉に、天理は耳をおさえていた力を緩めた。
それから少しして、目隠しのせいで真っ暗だった視界に、強い光が強烈に差し込んだ。
◇ ◇ ◇
天理が優しい声を受信する、その少し前。
(……足がついたら厄介だな)
(早いとこ次の連中に渡しちまおう)
倉庫の外にいる男たちの思考を読む青年が、倉庫の上空を浮遊していた。
彼の名は兵部京介。日本人の超能力者で、国内では犯罪者としてバベルの特別な牢獄に収監されていた。
だが、お忍びで時折、このように抜け出している…というのは、まだバベルに知られていない。
今回訪れたコメリカで、兵部は人身売買組織の存在を知り、その動きを数日前から調べていた。
表向きは荷物の横流しを装った、コメリカ国内の裏ルート。
だがここ最近、扱う"荷物"の中に、明らかに毛色の違うものが混ざり始めていた。
——超能力者。それも、子供ばかりだ。
「……日本人まで狙われるとはな」
どこから情報を仕入れているのか、特に富裕層の超能力者の誘拐が多い。
どうにも、身代金を要求して金を奪うものの、子供の身柄は返さずに人身売買に流すという手法らしいのだ。
今回は、コメリカ人の父と日本人の母を持つ、ハーフのテレパスの子供が誘拐された。
今までと同じ手口で、身代金を受け取った後売り渡されるに違いない。
(怖いよ…誰か助けて———!!)
少女の悲痛な叫びが、兵部の脳に刺さった。
実は、コメリカのエスパー機関に情報を流して対応させるという選択肢も考えていた。
だが、相手が日を空けずにすぐ"次の連中に渡す"算段を進めているとなれば、そんな根回しをしている時間はない。
(——大丈夫かい?)
気が付けば、少女に向けて優しく語り掛けていた。
(怖がらなくていい。もうすぐ、君を助ける)
一刻も早く、この少女を安心させてあげたい。
衝動に駆られるように、身体がすぐ動いていた。
「邪魔するよ」
兵部は、迷いなく倉庫の扉を破壊して侵入した。
爆弾を使ったかのように扉が勢いよく吹き飛んだのを見て、倉庫内の人間は一斉に兵部を見る。
「誰だ、テメェ——」
言い終わる前に、男の体が何かの圧で吹き飛ぶ。何もない空間から殴り飛ばされたようにしか見えないその光景に、他の見張りたちが騒ぎだした。
「化け物か……!」
「エスパーだ、気をつけろ——」
だが、遅かった。兵部は一人また一人と、瞬く間に男たちを制圧していく。テレポート、サイコキネシス——超能力を隠す気はなく、圧倒的な力の差を見せつけていた。
物騒な物音、銃声、男たちの断末魔。そして、静寂。
やがて、天理を閉じ込めていた扉が、ゆっくりと開かれる。
「……大丈夫かい?」
目隠しを外された天理の前には、先ほど頭の中に響いた優しい声と同じ人物——兵部が立っていた。
その背後から満月の光がまるで後光のように兵部を照らし、白い髪が銀色のように反射して輝く。
天理は、膝を抱えたまま、じっと兵部を見上げた。怖いはずなのに、なぜか——不思議と、怖くなかった。
「お母さんに、会いたい……」
震える声でそう言った天理に、兵部は小さく笑った。
「……ほら、もう大丈夫だ。ちゃんとお家に帰してあげるよ」
兵部は膝をついて、天理と目線を合わせた。
そっと天理の頭を撫でる。
「怖い思いをしたね。悪いやつらは皆倒した。もう君に怖い気持ちを聞かせてくるやつは誰もいないよ」
天理は、こくりと頷いた。
テレパシーで会話した相手だ。自分の超能力に理解のある人なんだとすぐに分かった。
そして優しく寄り添ってくれる姿勢に、「この人なら大丈夫」という安心感が生まれる。
差し出された手を握ると、頭を撫でていた手が天理の目元を覆った。
「少しだけ、眠っててくれるかい」
また優しい声だった。抗う理由はどこにもなかった。
ふわりと、柑橘系の爽やかな香りが天理の鼻をかすめる。
天理は大きく息を吸い込んだ。
まぶたが、ゆっくりと落ちていく。
指の隙間から見えていたはずの月光も消え、また視界が真っ暗になった。
だが、今回は不思議と怖くなかった。
「おやすみ天理。君の幸せを、心から願っているよ」
兵部は握り返してくれた天理の手をそっと自分の額へと導いた。
髪が指先をくすぐる感触の中、天理は兵部の優しい声に身を任せた。
それを、天理が思い出すことはなかった。
「——うわ!!」
天理は、ぱちりと目を開けた。びくっと体を震わせると、そのままベッドの下に落ちる。
変な夢だった。自分が小さい子供の姿で、誰かに助けられたような気がする。
でも助けてくれた人の顔も声もまるで覚えていない。
なんとなく、雰囲気が…先日脱獄したエスパー犯罪者 兵部京介に似ている気がしたが、まさかそんなわけないと手で空想を払ってみせる。
そもそも、これは”過去の記憶”ではなく、”夢”のはずなのだから。
「……なんだったんだろ」
そう呟いて、天理は体を起こす。一緒に寝ていたチルドレンの3人はまだ目覚めていない。
ふと壁に飾られたカレンダーに目を向けた。
今日は、10歳の誕生日。1ヶ月のコメリカ留学のために、日本を発つ日だ。
5歳でザ・チルドレンに加入してから毎日すごしてきた3人とも、1カ月だけお別れ。
なんだか急に寂しくなった天理は、勢いよくベッドにダイブして3人を起こした。
「みんな起きてー!!!」
「きゃあ?!」
「え、今何時?!」
「ん…?!天理にセクハラされてる?!」
大きな衝撃に、3人は勢いよく飛び起きた。それからじゃれ合っていると、皆本が起こしに来る。
「みんなおはよう!ほら、朝ごはんできてるから早く食べて支度しろよ〜」
「「「「はーい!!」」」」
声をそろえて答える4人。少しだけしんみりした天理より先に、3人がベッドから降りてリビングに向かう。
ドアの前で薫が立ち留まり、「天理?」と振り返った。
「今行く!!」
今生の別れじゃないしへこたれるな!と自身を奮い立たせる天理。
使っていた枕をキャリーケースの上において、リビングに向かうのであった。
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