Act-18 前哨戦
「おや、君はリサイタルは初めてかね?」
「はい。 ライ、といいます。 お見知りおき下さい。」
「ライ、というと此処の幹部で招待客か! 若いのに素晴らしい」
「ありがとうございます。ですが、社長程ではありません。 貴方の製薬会社は組織にとって必要不可欠ですし、貴社の高い評価とお噂はかねがね……」
「いや〜 そんな事は。」
顧客たちの下らない世間話に付き合っていると、ピアノの生演奏が聞こえてくる。
生演奏は<リサイタル>が始まる1時間前から10分前の50分。
生演奏は会場に入っても良いというサインで知っている顧客は連れと一緒に入っていく。
ロビーで話をしていても全く構わない。
何を演奏するのかは決まっておらず、演奏家に任されている。
そして<リサイタル>の放送やアナウンスは入らない。
10分前にオーケストラスポットに入った楽団メンバーの最終調整とカーテンの奥にスタンバイした歌い手達との声合わせだと、リサイタルの常連らしい男は諸星に説明した。
このピアニストは組織に属さなくても交響楽団のピアニストで即日採用されるのではないかと、RYEは思った。
全員が組織に洗脳されているわけではない。
何も知らずに協力しているだけという場合もある。
(ディーヴァの事はさておいて…… リサイタルだけは楽しみだ)
歌い手達の歌唱力、ディーヴァのアカペラ……
ディーヴァの声は前々回で扉越しに聴いているが、生は初めて。
お手並み拝見…… という所か
ライは正面入り口に向かう。
「あれ、ライさん? 警備の仕事は…… あぁ……そういえばご招待幹部でしたね。 幹部になって直ぐのご招待とは羨ましい限りです」
「そんな事は無いが…… と、携帯とインカムを持ってきてしまったな。 すまない。一寸預けてくるよ」
「此処で電源を切ってくれればいいですよ。 ライさんは、<リサイタル>後にすぐに警備にもどるんでしょう?」
「それはそうだが……」
「じゃあ、電源はここで落としてください。それからこのポーチに入れてお持ち下さい。 アルミでできてますから、電波を妨害してくれます。 稀にいるんですよ。 招待幹部の方で携帯持ってきて、会場に入る直前に気づく人が。」
「了解。 すまないな。」
「ワーカーホリックですね。お互い」
「全くだ」
ホストとホステスの男女が銀盆にブランデーとキールとシャンパーニュにソフトドリンクが入ったグラスを持って会場内の招待客に配っている。
その中に、ホステスとして指名を受けたらしい明美の姿。
RAY=諸星大が警備として召集されたのは知っているが、<リサイタル>に正式に招待されているのは話して居ない為に、驚いたような顔を向けてくる。
RAYは警備担当者として明美がホステスとして前回の招待客から指名を受けたのを知っていたが、何も知らない振りをした。
明美とてホステスに指名された、なんて事は性格上云えない筈だ。
(明美。驚いた顔をしたが無理もないか……)
指名されたホストとホステスは開演10分〜5分前まで顧客の傍を離れる事が出来ず、躰を触られも文句は言えない。
そして、<リサイタル>が終わるまで防音効果のある部屋で待機して…… 客が帰る時にお持ち帰りされるのだ。
夕食だけで済むのか、夜も一緒にすごすのかは顧客次第。
帰りたいとか夜だけとかの我儘をいうのは赦されない。
燕尾服のウェイターからブランデーグラスを貰うと、お摘み替わりなのか小さなブラックチョコレートが幾つか置かれた小皿が届く。
流石に極上品が用意されていて、するり、と喉を通って行く。
生の演奏を聴きながらゆっくりとした時間をまどろむ。
グラスの中身が無くなる頃を見計らって。新しいグラスが届いた。
ふ……と、周囲を見渡すと、半数以上の人間が恍惚とした顔に代わっていく。
(そういう事、か!)
諸星はつい、と立ちあがり、燕尾服の男に、煙草の匂いが気になるので嗽の為に化粧室へとミントタブレットを見せて声を掛ける。
「あと10分弱で<リサイタル>が始まります。お急ぎ下さい」
「承知した」
RAYは化粧室へ入ると、嗽をして、ネクタイを直すふりをしてタブレットケースに入れといたカプセルを口に含んで噛み砕くけばハッカの味。
煙草の匂い消しだと云えば十分誤魔化せる口臭剤だ。
そして、さりげない振りで会場に戻って驚いた。
ふわふわとした甘い香り。
男も女も会場全体がどんよりとしている。
オーケストラピットで音合わせが始まって、明美の姿は既にない。
ライは目をつぶってゆっくりと呼吸を整える。
頭の先から足の先まで意識するような呼吸法。
何度か繰り返すとふわふわした気分がすっきりとなってくる。
なる程…… な
これが<リサイタル>で振る舞われる食前酒、という事か……
ライの口元が上がって、ステージを凝視する。
厚いカーテンの奥で歌い手が並んでいるのがわかる。
(面白いやり方だ)
組織のやり方…… じっくりと見せて貰おうか
諸星は悠然と足を組み、軽く目を閉じて、回りに同調するような怠惰な姿勢を作り出した……。
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