桔梗に触れる
桔梗に触れる

FBI捜査官としてかなりの切れ者である男、赤井秀一。
切り札とさえも称されているこの男は今、酷く弱った表情を浮かべていた。
それもこれも、原因はただ1人。この目の前で顔を真っ赤に染めている女性である。


「い、や! 絶対に嫌!!」
「そう我が儘を言うな。自分の状況が分かっているのか。」
「だから、こんなの大したことなッゴホ、ゴホッ!」
「それのどこが大したことないんだ……。」


事の発端は今朝。
赤井はいつものように、恋人である#ナマエ#を抱きかかえながら目を覚ました。
だが、今朝だけはふとした異変によって意識が浮上した。熱いのだ。

抱いている体がやけに熱く、微かに開いている唇から漏れる吐息も同様。
表情はどこか苦しそうで、汗も尋常じゃない程かいている。
まさか――。


「おい、起きろ。#ナマエ#。」


慌てて赤井は#ナマエ#を起こして、熱があるのではないかと告げた。


「あぁ……かも。だるい、しゴホッ、あー……。」


昨夜までは普通だったのに。突然咳が出始め熱まで引き出す始末。
早速、体温計で熱を測らせてみれば、予想以上の高熱だった。
当然ここまでくればこの後とる選択は1つ。


「病院に行くぞ。」


赤井はごくごく自然にそう告げ、愛用のジャケットに腕を通した。
だが#ナマエ#が動く気配は見せない。
それほどまでに身体が重苦しいのだろうかと、自然と赤井の眉間にしわが寄る。


「……車を表に回してくる。その間に着替えられそうか?」
「…や、」
「?」


小さく掠れた声が耳に届く。
や?


「いや。」
「……なに?」


次にはっきりと聞こえる拒絶の言葉。


「……だから、いやだって言ってるの。」
「なにが嫌だと?」
「…………病院。」
「…………。」
「…………。」


今、この彼女は何と言ったのか。
赤井は一瞬自分の思考回路が停止するのを感じた。
だがすぐにそれは再起動する。


「……子どもか。」
「うっさいわよ。」
「とにかく行くぞ。着替えろ。」


赤井は適当にタンスの中から衣類を取り出し、#ナマエ#の足元に放り投げた。
だが#ナマエ#は毛布の下で足を動かし、その衣類をベッドから落とす。
その行動に、思わず赤井の動きが止まる。


「……はあ。」


そして大きく溜め息を吐く。
小さく首を横に振りながら、赤井は布団の下に隠れた#ナマエ#の腕を掴んだ。
体を起こさせようと腕を引くが、#ナマエ#は心底嫌そうに抵抗をする。


「い、や! 絶対に嫌!!」
「そう我が儘を言うな。自分の状況が分かっているのか。」
「だから、こんなの大したことなッゴホ、ゴホッ!」
「それのどこが大したことないんだ……。」


激しく咳き込む#ナマエ#の身体を起こし、赤井は優しくその背中を撫でた。
少しでも、気持ちが落ち着くように。


「いいか、#ナマエ#。寝起きであの体温だ。これからますます上がるのはお前でも分かるだろ。」
「別に、辛くなんてないわ。」
「そんな顔してよく言う。」


#ナマエ#の顔は酷く辛そうだ。
汗によって前髪が額にぴったりとくっついている。
息だって先ほどよりも荒い。相当苦しいはず。
赤井は1つ溜め息を吐いた。


「とにかく、病院は嫌なの。寝てればすぐに、こんなの……。」
「医学は専門外なのだがね。寝て治るような状態でないのは見て取れる。」
「……、」
「あまり、心配をかけさせないでもらいたいがな。」


赤井の言葉に、#ナマエ#は気まずように視線を逸らした。


「分かったら、早く着替えてくれ。車を回してくる。」
「い・や。」
「……#ナマエ#、いい加減にしてくれ。」
「絶対に嫌! 病院行くくらいなら東都タワーから飛び降りてやるわ!!」
「#ナマエ#……。」


また1つ、次は先ほどよりも大きなため息が零れる。
普段見せない駄々をこねている姿は可愛らしいものがある。
とは言え、今は現状が現状だ。このまま放置しておくわけにはいかない。
赤井は困ったように首を横に振った。


「いったい、病院の何が嫌なんだ。」
「……。」
「都合が悪くなったら口を閉ざす、か。それじゃ何も進展はしないぞ。」
「……。」


いっこうに答える気がない#ナマエ#に、赤井の眉は遂に下がった。
一度瞼を伏せて息を吐くと、ベッドの端に腰を下ろす。
そして、俯くナマエの頭を優しく撫でた。


「恋人が苦しんでいる目の前で、何もできない男にはなりたくないのだがね。」
「……お母さんが、」
「ん?」
「お母さんが、死んだのよ。病院で。」


母親の死。初めて聞くその告白に、赤井は目を細めた。
だが病院で死ぬのは何もおかしなことではない。
何が、そこまで嫌悪感を生ませているのか。赤井は静かに紡がれる言葉に耳を傾ける。


「……がんで、病院で療養していたの。薬の副作用が酷くて、お母さんは毎日辛そうだった。
食欲もなくなって、体はやせ細っていくばかり……。」


その時のことを思い出しているのだろうか。
ナマエの身体が小さく小刻みに震えていることに気付く。
赤井は頭を撫でていた手を下ろし、彼女の小さな手を握った。


「始めは小さいから薬で対処できるって言っていたのに、そんな気配見せない。
毎日励ましの言葉をかけてくれた医師や看護師も、次第に口を閉ざしていく始末。」


#ナマエ#の首が小さく横に振られる。


「結局お母さんは、病院で息を引き取ったわ。
何もしてくれない病院で。ろくな治療を受けられなかった、病院でね。」
「だから嫌なのか。」
「……そうよ。……怖いの、病院は。」


繋がれた手に、力が籠められる。
赤井は瞼を閉じて、#ナマエ#の熱い体を優しく引き寄せた。
そして、背中をゆっくりと撫でる。


「だがな、#ナマエ#。俺はこのままお前を放置するなんてこと、できないぞ。」
「……ごめんなさい。でも、私、」


事情は分かるが、それとこれとは別だ。
赤井にとって一番大事なのは#ナマエ#のその身。
いくら病院にトラウマがあったとしてもこのまま「分かった。ベッドで大人しく寝ていろ。」とは言えなかった。


「俺の知り合いに、医者がいる。」
「秀一、でも私は、」
「落ちつけ。そいつはある大学病院に勤務していたんだが、前に辞めたと言っていた。
今はただの愛妻家で通っている主夫をやっているそうでな、いつも暇らしい。」
「秀一?」


撫でる手を止め、赤井は#ナマエ#の頭にそっと顎を乗せた。


「病院が嫌でも、ただの主夫になら、診せるくらいいいだろ?」
「…………。」
「変なことをしでかせば、俺が脳天ぶち抜いてやるさ。」
「…………。」
「頼む、#ナマエ#。」
「秀一……。」


珍しく耳に届く赤井の声が弱弱しい。
#ナマエ#は思わず顔を顰めた。
自分のわがままのせいで彼を酷く困らせている。悩ませている。
一番いいのは病院へ行くことなのだろうが、過去を思い出せば思い出すほど体が拒絶をする。

そんな自分を気遣って、赤井は選択肢をくれた。
怖くないと言えば嘘になるが、これを断れば更に彼を困らせることになる。
こんなに自分のことを想ってくれている彼を。


「……い、く。」
「#ナマエ#、」
「行くわ。……ただの主夫、なんでしょ?」
「ああ、そうだ。」
「……怖がることなんて、ないんだよね?」
「ああ、もちろん。」


赤井が#ナマエ#の額に自分のを合わせる。
ぐっと近くなる距離に、#ナマエ#はくらりと眩暈した。


「秀一、」
「ん?」
「……ごめんなさい。」
「それは治してからだ。」
「ええ……。」


寝起きよりも身体はだるく、重くなっている。
だが心はどこか、少しだけ軽くなっているのを感じた。





サイトの3周年企画で

病院嫌いの夢主が夏風邪を引いて病院に連れて行きたい赤井。
兎に角赤井さんを困らせて下さい

と、リクエストさせて頂きました。

桔梗の花言葉は「優しい愛情」
しぐれ様。 困ってる赤井さんをありがとうございました!
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