ミリオンベルの旋律
「ヒマリさんの作ってくれたブーケとてもよかったわ!今度友人の結婚式があるからしっかりおすすめしときますね!」
「ありがとうございます!喜んでいただけて嬉しいです」
――春、沢山の花々が街を彩る季節。
この時期になると、小さな頃に親の目を盗んで花を摘みに行っては怒られていたことを思い出す。
今となっては誰も私を怒る人はいなくなったけれど、クラリネスの城下町で一人両親の残した花屋を営み、裕福でないながらも周りの人たちは皆優しく豊かに暮らしていた。
「ヒマリちゃん!今日も張り切ってるねぇ!」
「いらっしゃいアドさん。今日は何を持って行きますか?」
「じゃあ今日手に入ったので。一輪でいいわ。よろしくね」
取り留めのない話を交わしながら一輪を見繕い、花が傷まないよう丁寧に包みリボンを掛ける。
広くない店内を埋めているのは窓から差し込む陽の光を浴び、瑞々しさを纏う色取り取りの花たち。そこには毎日違う色が並んでいて、今日も誰かがそのうちのひとつを選んでいく。私はその手伝いをして、多くの人の幸せをつくり笑顔を見てきた。
これが、私の日常。ずっとこんな日々が続くと思っていた。
*
夜明け前の薄暗い森をひんやりとした空気がさあさあと草木の間を揺らしながら静かに流れている。一歩一歩踏みしめるたびに柔らかく反発する緑土の感覚がひどく心地良い。
花屋さんの朝は早いとよく言ったもので、当の私も両親が遺した花鋏と腰袋を提げて近くの森に繰り出していた。
「おはよう、今日も元気そうだね」
人間が歩く独特の音に茂みから顔を覗かせたのはここに棲む野うさぎ。いつも通りにそっと抱き上げ頭を撫でてやれば、フウラギ草のような丸い尻尾を震わせながら円らな瞳を気持ち良さそうに細める。
暫くして大きな欠伸を合図に腕をすり抜けた野うさぎは、ぐるりと私の周りを楽しそうに一周すると茂みへとそのまま跳ねていった。
「またね」
その後は椎の実を抱えたリスの親子や樹洞から優しい眼差しを注ぐフクロウにも挨拶をして。森を歩き道すがらに出会う動物たちと戯れながら、そこに陽の光が差し込み花開く時を待つ毎日を繰り返していた私だったけれど、今日だけは特別だった。
獣道をも外れた鬱蒼とした森の中で草木を掻き分けながら、いつもは持たない分厚い本を片手に辺りの様子を見渡す。
「おかしいな、ここらへんにあるはずなんだけど……」
森に入ってからどれくらい経ったのだろうか。見上げた樹々の間から覗く瑠璃色にはまだ星々が小さな輝きを連なっていて、そんな夜の気配を残したままの空に少しだけ胸を撫で下ろす。
今日は、夜になると光を灯すと云われる幻の花―ルシオラを入手できる絶好のチャンスだった。
ルシオラは天候や生育環境等の開花条件が厳しいため、その条件が上手く重なって実際に花を開くのは数十年に一度と云われており、今日がその一度なのだ。
「(早く見つけないと……!)」
山を越えた遠い先の空が薄明るくなり始め、刻々と近付く夜明けの予感に抗うように焦立ちを孕んだ歩みを進めていると、不意に視界が拓けた。
そこから飛び込んできた断崖絶壁と一杯のブルーモーメントに、声は形を成さず喉を不自然に震わせる。
「っ……」
私はルシオラを書物でしか知らない。初めてその存在を知った時はまだ幼くて、両親が買ってきた絵本に幻の光る花として載っていただけ。それを切っ掛けにルシオラに惹かれた私は、元より両親が集めていた本や資料を読み漁り、いつしか家族3人で本物のルシオラを見ることを夢見ていた。
夜になると光る幻の花として、たとえ両親が亡くなった今でも、変わらずずっと焦がれてきたのだ。
「ここに、ルシオラがある」
「……母さんと、父さんと夢見たルシオラが、ここにある」
―そして、今、この瞬間、世界から降り注ぐ青を浴び、己の輝きと溶け合うように優しく光る花を私は知った。
神秘的な光景と底の見えない崖を前に止まらない足の震えを拭うかのように両親のことを声に出せば、二人が見守っていてくれるような気がして。
「(平常心……平常心……)」
恐怖や興奮が入り混じる中、一歩を崖へと踏み出す。俄然強くなった風当たりに負けまいと崖を掴む手にぐっと力を入れて、鉛のように重たい足を少しずつ下へと降ろしていけば、ゆっくりと、そして確実にルシオラは近づいた。
「これが、ルシオラ……」
足の震えはいつの間にか消えていた。
初めて目にしたそれは闇夜に舞う小さな妖精のようで、私が今まで見たどんなものよりも優しく温かい光を放っていた。
「綺麗……」
無意識のうちに感嘆の声を漏らし、光り輝くルシオラを呆けた様子で眺める。
そんな私を我に返したのは、鋭い風が容赦無く崖を削り降ってきた砂利。慌ててながらも慎重に片手を伸ばしその光をひとつだけ手に取ると、腰に括り付けた袋の中に一輪のルシオラを潰さないように優しくしまった。
「(これでようやく二人にも見せてあげられる……!)」
――積年の想いを果たそうと、上に続く崖に手を掛けたその時。油断した私の心に付け入るように、突然横からの風が轟々と重たく強い音を立てた。
「きゃっ!!!!」
風に煽られてからは考える暇など微塵もなく、バランスを崩した私はそのまま足を踏み外してしまった。まずい、と思った時にはもう遅くて、目一杯に伸ばした手は宙を掴み重力に抗えない身体はどんどん下へと落ちていく。
「(…ここで死んじゃうのか)」
諦めは早々についた。死に際には走馬灯が駆け抜けるとよく言うけれど、実際には何処かふわふわした他人事のような気持ちで。
「……ルシオラを見れてよかった」
ゆっくりと目を閉じて目蓋の裏にルシオラを映し出す。最期ならば、その光景はどうか綺麗なものであってほしいから。
もう戻ることのないであろう私の意識は、その身体と共に闇夜を降っていった。
「…あっぶな」
――だから私は知らない。
私を包んだ温もりが、その時あったことを。
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