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驚いた。
朝ランに行くって言ってたから、まさか彼がこんな事してくれるとは……。
「どんぐらいだ?」
「あ、えっと……30分くらいかな。」
「......大丈夫なんか。」
「……たぶん、大丈夫。」
「ん。30分後な。」
「うん。」
ここは私の家の前。
ついさっきまで爆豪くんの家に居たんだけど、暫くお邪魔するからにはやはり服とか教材とか色々必要だから取りに来たわけだ。
この住み慣れた街並みに、クラスメイトの彼がいる事がなんだか不思議に思えたが、着いて来てくれると分かった時は嬉しかった。
自分の家に行くだけなのに、ちょっとだけ心細かったから。
..
「ただいま。」
ガチャっと玄関を開け中に声をかければ、パタパタと忙しないスリッパの音がした。
「なまえさん、おかえりなさい。」
「和美さん…。お兄ちゃんは?」
遠慮がちな笑顔で迎え入れてくれた和美さんの目元は少し赤く、明らかに泣いた後である事が伺える。
私はそれを見てはいけない気がして、咄嗟に顔を逸らした。
和美さんからは昨日たくさんメッセージが来ていたが、とても返せる状態じゃなかったので一切返事をしていない。
内容としてはどこにいるのか。いつ帰るのかという心配のメッセージだったが、しばらく時間が空いてから来ていた最後のメッセージは「ごめんなさい。」という謝罪の言葉だった。
その謝罪は何を意味するのか色んな捉え方が出来たけど、悲観的にしか考えられない今の私がその意味を考えるのは良くないし、まだ聞くべきじゃないと思った。
だから電話ではその事に触れず、ただ何も言わず帰らなかった事とメッセージの返事をしなかった事だけを謝った。
「そろそろ起きてくると思います。リビングで待ちますか?」
「ううん。ちょっと部屋行ってくる。」
「分かりました。お茶、準備しておきますね。」
「うん。」
リビングへ向かう彼女の後ろ姿を見て、胸がギギっと軋んだ。
やっぱり、反応を見るからに和美さんもきっとお母さんの事知ってたんだろうな。
ギュッと胸元を押さえながら階段を登れば、昨日の朝ぶりの部屋はドアが開いたままだった。
薄暗い部屋の中に入ってシャッとカーテンを開けると、部屋に差し込んだ陽射しに埃がキラキラと舞う。
なんとなくそれを数秒見た後にぐるりと部屋を見渡し、とりあえずボストンバッグに必要な衣類を詰め、その辺にあったリュックには必要な教材をガツガツと入れ込んだ。
あとは何が必要かな。
そう考えながら、ふとベッドの上に置かれている小さな白い狐のぬいぐるみが目に止まった。
小さい時、お兄ちゃんがなんでも無い日ににくれた子だ。
スンスンッ
あぁ、このの匂い。安心する。
「……一緒に行こっか。」
私はボストンの空きスペースに優しくぬいぐるみを詰め込んだ。
「……なまえ?」
荷物をまとめ終わり、鞄のチャックを閉め終えた時だ。
開けっぱなしのドアの向こうから小さく私を呼ぶ声が聞こえた。
部屋から出てきたのは音で気付いていたから、驚きはしない。
お兄ちゃんは驚いてるなぁ。まぁ、無理もないよね。
振り向いてすぐに見た兄の顔を見て静かにそう思った。
「お前、昨日どこに――」
「お兄ちゃん。リビングで話そ。」
まとめた荷物を持って、わざと距離をとって兄の前を通る。
何の反応も示さない彼に、階段を数段降りてから「早く」と催促する。
一先ず荷物を玄関脇に置き、一定の距離を保って私の後ろにいる兄を一瞥するば、荷物を見て眉を寄せているのが見えた。
けどそんな事を気にせず、私はまっすぐリビングへ向かう。
扉が開けっぱなしのリビングへ入ると同時に、キッチンの和美さんに声をかける。
「大事な話があるの。2人とも、座ってくれる?」
不安そうな顔の和美さんとお兄ちゃんは顔を見合わせると、私のいう通り並んで椅子に腰掛けた。
私はその正面に座り、何から話そうか頭の中で整理する。
爆豪くんを待たせちゃうから、簡潔に話そう。
「えっと。まずは、昨日連絡もしないで帰ってこなくてごめんなさい。あんまり時間がないから単刀直入にいうけど…………、私はお母さんについて――。」
突然始まった本題に空気がピシッと張り詰めたのを感じた。
無理もないよね。
お兄ちゃんとはこの事で昨日言い争ってるし、和美さんも多分その事を聞いているだろう。
2人を見れば、和美さんは少し顔を俯かせ、お兄ちゃんは不安げな瞳をこちらに向けていた。
あぁ、こんな二人を見るのは生まれて初めてかもしれない。
いつも笑顔が絶えないこのリビングで、この食卓で、私は酷く悪い事をしているんじゃないかと錯覚してしまった。
でも――。
ちゃんと話さなきゃ。
目を閉じ、一度深い深呼吸をする。
そしてゆっくりと開けた瞼。
私は正面にいる兄と瞳と交差させた。
「私は、真実を聞きたいのか、聞きたくないのか………決められないでいる。…きっと2人が私を大事にしてくれていたからこそ、今まで黙ってくれていたっていうのは頭の中じゃちゃんと理解してるの。……でも、だからこそ、今の私には決められない。」
「なまえ、さん…。」
少し顔を上げた和美さんの目からポロリと涙が溢れ、彼女は両手で顔を覆うと再度俯き「ごめんなさい。」と小さく声を揺らした。
その姿に、またギシギシと胸が痛んだ。
ここで謝らないでよ。
和美さんにつられてジワッと歪みかけた視界。
溢れそうなものをグッと堪え、私は話を続けた。
「それで、ね。……私の考えが纏まるまで、時間が欲しいの。だから、暫く家を出る事にした。自分がちゃんと納得できる答えを出せるまで、しっかり考えるから...待ってて欲しいの。」
膝の上に置いた手を硬く結ぶ。
真っ直ぐ見た兄の瞳は相変わらず不安げで悲しい色をしていた。
それでも私の話を理解してくれた様で、小さく頷いてくれた。
「…分かった。待つよ。……なまえ、ごめ――「いい。謝らないで。謝罪は、私の気持ちが決まった時にして。」」
「……あぁ、そうだな。」
眉をハの字にし、小さく笑ったお兄ちゃん。
それを見て、少しだけほっと胸が降りた。
「…和美さんも。あんまり思い詰めないで。私、大丈夫だから。」
「っ...はい。私も、待ってます。」
「うん。……2人とも、ありがとう。」
どちらの答えを選んでも、また三人で笑って食卓を囲める日が来るのか…。
未来がわかる個性ではないから、そんな事考えたってどうしようもないけど、絶対にそうなってほしいし、そうしたいって思うのは許されるよね。
..
短い話し合いが終わったところで、私はもう約束の時間になっている事に気付き急いで玄関へ向かった。
2人には色々あって爆豪くんの家に居候させてもらう事を伝えたら、予想はしてたけど兄は結構渋い顔をしていた。
まぁ...同級生の男の子の家なんて普通に考えたら、ね。
あまり良くない事である自覚はあるので、2人が心配する様な事はしないとだけ言えば、開きかけていた口を閉じてくれた。
「...迷惑かけるなよ。急かしたい訳じゃないけど、あんまり長いは迷惑になるからな。何かあったら連絡しろ。あと、どこかで必ず挨拶行くって伝えておいてくれ。」
「なまえさん。こちら少ないですが、何かあった時に使ってください。こちらはお家の方に。直接渡せなくて失礼なんですが...。それから油揚げの煮物、食べたくなったらいつでも連絡してくださね。」
荷物を背負って家を出ようとすれば2人がマシンガンの様に言いたい事を言ってきた。
和美さんに至ってはいつから持っていたのか分からない2つの封筒を渡してきたので、一瞬ギョッとする。
これ、お金だよね……。
「ありがと。じゃぁ、私行くね。...それと、外までお見送り要らないから。……要らないからさ――。」
私が帰ってきたら、またここで出迎えてほしい。
「っ……あぁ。勿論だ。」
「なまえさん。行ってらっしゃい。」
「……行ってきます。」
寂しそうに微笑んで見送ってくれた2人に、私も多分同じ顔をして返事をした。
パタリとしまった玄関。
数歩足を前に進ませれば、ふわっと足元から風が吹いた。
風に持って行かれた髪を手で押さえながら家の前の塀へ視線を向ければ、ツンツンのクリーム色が見えて、一気に体の力が抜けたのを感じた。
私、緊張してたんだなぁ。