アンチ・アンビバレンス(1/3)


 ささくれを剥くのが癖である。
 幼くまだ舌足らずであった昔日からの悪癖は祖母のお咎めをうけたところでそうたやすくわたしから根を離すわけもなく、成人した今でさえこの身に染みのごとくはりついている。
 たとえるならばはみ出した絵の具のように、どうしても目につくのだ。こどもっぽいといわれれば反論はせども否定はできない。わたしはもう立派な成人女性であるはずだが、いつまでたってもそれを本当の意味では実感できていないのだ。
 はみだした絵の具。原稿用紙のマスからあふれた余分な単語。表面張力をやぶってこぼれていく水。そういったものについ目をやってしまうたちなのだ、わたしは。
 めくれた皮を剥くと、指先はぱっと血の色に色づいた。それに眉をひそめ、視界から外してため息をつく。いかんせん暴力をともなう職務であるがゆえ、指先のケアが追いついたことはない。ましてわたしは武器であり、同時に武器を振るう側でもある。学生時代よりこの両の手のひらはかたく、年頃の女性らしいやわらかさとは無縁だった。
 思い返すと同時によみがえる青春の日々。めくるめく脳内アルバムに苦味を感じて表紙を閉じると、わたしはようやく目の前に鎮座している街に目をやった。
 ブーツの踵が踏みつけた砂たちがざりざりと耳障りな音を立てる。頭上にうかぶ巨大な太陽は今日も変わらず乱杙歯の生えた口を大きく開いて笑っていた。ふいと視線を横にやると、一本の立て札が砂の大地に突き刺さっている。立札の表面には「welcome to death」というあいかわらず独特なセンスの文面がポップに踊っていた。
 アメリカはネバダ州。広大な砂漠の中心に、この街はあった。
 デスシティー。職人と武器のための街であり、死武専校舎がそびえる街であり、学生のわたしが育った街だ。
 辺りを見回すが人気はない。視界は果てのない砂色で埋め尽くされていた。四方八方では風で砂塵が舞い上がり、わたしの外套の裾がやかましくはためくのみである。
 わたしは久方ぶりの青春の地の香りを肺に満たし、たいした感慨も浮かばせることなくデスシティーに足を踏み入れた。文字通り、死んだような街の気配を感じながら。



 久しぶりにやってきた死武専の内部。
 わたしが真っ先にまようことなくまっすぐに向かったのは、俗に死神様の部屋と呼ばれる部屋だった。死神様の部屋といっても、実際に死神様がいるわけではないのだけれど。
 その部屋はとても広い。部屋の入口である仰々しい扉をくぐると、中にはひたすらにましろい空間が広がっている。中央にはただ一本の道が無数の鳥居の下で、永遠と勘ぐる程度には長ったらしく部屋の奥へと伸びている。道を飾る鳥居たちはどれも錆ひとつないギロチンを模したかたちをしていた。わたしが死武専生なりたてほやほやのころは、くぐるたびに刃が降ってこないかという不安に心臓をひやりとさせたものだ。
 なんて、昔日のことを思いつつ、こつこつヒールの踵を鳴らしながら歩みを進めるも、招集がかかっているはずの誰一人としてみつけることがかなわない。外套のポケットに放り込んであった懐中時計をひっぱりだして時間を確認すると、予定時刻の約十分前をさしていた。

(……まあ、時間を気にしない面子だからな)

 少しはやく来すぎたかもしれない。愛すべきわたしの姉と会う久々の機会であるから、うかれているのかもしれなかった。
 鏡くらいみてくればよかった。今更ではあるが、前髪を手ぐしでちょいちょいっとととのえる。歩くたび視界の端を横切る金髪は、姉とおそろいの色であるからとても気に入っていた。もちろん、わたしのかわいい後輩とも。

「……あら」

 なんてことをつらつら考えているうちに、前触れなく視界がぱっとひらけた。ギロチン鳥居の大行列は途切れ、ぽかんとひらけた円状の空間の中央にはいかめしく巨大な鏡がひとつだけ鎮座している。
 三本の蝋燭に、デフォルメされたドクロのマーク。磨きあげられた鏡の中には、この街において知らぬものはない、死武専のトップであり校長である死神様、その相も変わらずどこか抜けた仮面姿がうつっていた。
 そしてその鏡の前。数段つけられた段差の下で、死神様の姿をあがめるがことく膝をつき、胸に手を当て頭を垂れる神父服の人物がひとり。

「おお、神よ……。何故僕にお言葉を与えてくれないのですか……」

 青年である。ふわふわのブロンドにカロッタ、モノクロの神父服を身にまとい、首からはどこか浮いたパンクなデザインのロザリオをさげている。ガラス玉じみた碧眼はただ前の鏡のみを見つめ、両耳にはこちらまで漏れ聞こえてくる爆音をドコドコと垂れ流すドクロのイヤホンがはめられていた。
 その姿を一目見た一瞬のうちに、色鮮やかな記憶たちがまぶたの裏側をちかちかと横切って消える。それをかき消すようにまばたきを幾度かくりかえし、わたしは彼の背中に歩み寄った。その肩をとん、とたたく。おおげさな手振りをやめてこちらを振り返る彼の姿を視認して、笑った。

「久しぶり、ジャスティン」

 数秒の間があった。一拍二拍、そして三拍。ようやくわたしの愛しき後輩ことジャスティン=ロウはこちらの存在を認識したらしく、めずらしくそのきれいな両目を見開いて立ち上がる。そして、爆音を垂れ流すイヤホンをぱっとはずした。

「先輩!」
「うん、キルケさんです」
「お久しぶりですキルケさん! 一年ぶりですね!」
「あれ、そんなに経ってたっけ。ところでジャスティンくん、背ぇのびたんじゃない」
「キルケさん、僕の成長期はもう終わってますよ」
「あれ、そう。まあわたしはまだまだ成長中だけれどね」
「ハハハ」

 ジャスティンくん、そのジョークを聞いたときみたいな笑いはなんだい。
 にこにこ笑うジャスティンに胡乱な一瞥をやってから、ようやっと鏡に身体を向ける。イヤホンをはめたままのジャスティンとの成立しない会話に辟易していたらしい死神様は、わたしの登場に心底安心したらしかった。表情の変わらない仮面であるが、そのほっとした雰囲気が伝わってきた。

「キルケちゃん久しぶり〜! 元気? わざわざ来てもらっちゃって悪いね〜」
「お久しぶりです、死神様。不謹慎かもしれませんが、こんなことでもないとみんなあつまることなんてないですから。それに近頃は赤道周辺ばかりうろついていて、退屈だったんです」
「先輩は暑いところより寒いところの方が似合いますよ」
「……褒めているのかな、それは」

 笑っているジャスティンはやはり前回会った時となにひとつ変わっていないようで、そんなかわいい後輩の姿にわたしはなつかしい青春の面影をみる。
 と、そのときギロチン鳥居のほうからどやどやと騒ぐ声がきこえた。ジャスティンともどもそちらを見れば、なぜかきっちりと一列に整列した四人の人物が、行進でもしているかのようにざくざくとやってくるところだった。
 黒髪に眼鏡の梓、スーツに赤毛のスピリット先輩、頭に螺子の刺さった白衣のシュタイン博士。そしていま、わたしと運命的な程にばっちり目があったのが、

「マリー!」
「キルケ!」

 そう、何を隠そう彼女こそが我がいとしの姉、マリー=ミョルニルである。
 名を呼ぶがはやいか、たっと駆け寄りそのやわらかい両手を取って、わたしは彼女の澄んだ片目をのぞきこむ。血の流れるその手のひらはあたたかい。ゆるくウェーブのかかったブロンドに落ち着いたブラウンの右目、うすく紅のひかれた唇が人の良い笑顔を浮かべる。口の端を指で触れてみるまでもなく、わたしも自然と笑顔になっていることだろう。胸のうちがわがあたたかくなるような感覚。愛しさがこみあげてくる。

「ひさしぶりマリー。元気だった?」
「元気よ元気! キルケも元気そうでよかった! この間はブラジル行ったんでしょ? サンバとか踊ったりしたの?」
「ううん、わたしは踊らないけど、でもきれいなおねえさんたちがキラキラの衣装でカーニバルしてるの目の前で見たら、すっごいテンション上がった」
「へえ〜! いいなあ私も一度でいいから見てみたい! オセアニアもいいところなんだけどね、平和だし仕事ないし」
「そのふたつがそろってたら、なにも言うことないんじゃないかな」
「……先輩方、久々の再会でおしゃべりに花を咲かせているところ申し訳ないのですが、後にしてもらえますか?」

 浮かれるままきゃっきゃと近況報告なんぞをしていると、すっと音もなくわたしたちの背後に立った梓がトレードマークである眼鏡をかちゃりと押し上げて、わたしたちにそう告げた。相も変わらず立派な委員長気質である。
 正直話すことは山ほどあって名残惜しかったが、わたしの手の中からマリーのたおやかな手はするりと抜けてゆき、わたしももうこどもではないのでそれを受け入れる。

「はあい」
「ごめん梓」

 さっと言われるままおしゃべりを打ち切り改めて死神様の前に立つ。こちらをみていた博士とスピリット先輩にはとりあえず会釈をしておく。博士にくれてやるものは舌打ちと迷ったけれど、約一年ぶりの出会い頭にそれもどうかと思い直してやめた。それに、わざわざ敵意をむき出しにできるほど、わたしももうこどもじゃない。



銅貨