アンチ・アンビバレンス(2/3)




「じゃあ改めて……遠路はるばるご苦労さ〜ん」

 わたしはジャスティンとスピリット先輩のあいだに立つ。デスサイズスの四人と、正式にデスサイズと名乗ることを許された唯一の存在であるスピリット先輩の元パートナーである博士という錚々たる面子のなか、わたしなぞがここに立っていていいのだろうかとふと疑問に思ったが、すべて今更なので忘れることにした。都合のいい忘却は得意だ。

「何故みんなに死武専に集まってもらったかはもうわかってると思うけど……」

 鬼神「阿修羅」の復活。
 それがわたしに知らされたのはつい先日のことである。それと同時に、今日この場に集まるよう伝達があったのだ。
 死武専(というよりも死神様)が長い年月のあいだ死武専の地下におしこめてきた狂気そのもの、鬼神「阿修羅」。それが地上に這い出、さらにあろうことか束縛を解き自由の身となったことで、世界に狂気が振り撒かれ、未曾有の事態に陥るかもしれない。そんな知らせはさすがのこんなわたしでさえも驚愕させるにはじゅうぶんすぎるものであった。

「そのことについてちょいと語り合おうじゃないかとね……。
しかし、最狂だがビビリの『阿修羅』が早々と活動を再開するとは思えないしね、まずは身を潜め精神の安定をはかり、ちからを蓄えると思うのね? とりあえず急を要するのは彼の動向じゃない……。まず対策を講ずべきは、阿修羅が放つ『狂気の波長』だ。シュタイン君、ちょっくらその辺の説明をお願い」
「はい」
「『狂気の波長』……。阿修羅の魂の波長と考えていいんですか?」
「ええ、そうです……。でも、神レベルの魂の波長です」
「その『狂気の波長』がなにか引き起こすの?」
「ええ、これがけっこうやっかいでして……。人間なら、誰しも少なかれ狂気を持ってますよね? 特に俺なんか」

 博士がくゆらせている煙草の煙がもくもくもくとかたちをかえながら天井に向かいのびていく。わたしは唇を引き結び、ただ黙って彼の話を聞いている。

「阿修羅の狂気の波長は、人間の魂の奥底に眠る狂気をつついてくる。狂気は伝染する、これは確かです──阿修羅復活のその瞬間、俺は確かに感じた……」

 その表情は静かだったけれど、けれど彼のことを少なからず知りえているわたしからすれば、そのことばにはじゅうぶんに説得力があるというものだった。
 彼は狂気に引かれやすい。わたしが脳内で彼のことをこっそり堂々と「キチガイ腐れマッドサイエンティスト」と呼ぶのはあながち間違いではない。ちいさく首をひいて相槌を打つわたしの耳元で、ちゃらりとちいさくピアスが鳴った。

「狂気の感染……。それは誰にでも起こりうる、と?」
「いえ、ジャスティン君のような信仰心のあつい聖職者には、比較的に感染率は低いかと思います。また、一般的な普通の人間を巻き込むような狂気がアウトブレイクする、とは現段階では考えられません」

 わたしはちらりと話題に上ったジャスティンを見る。彼は見慣れた後輩としての顔でなく、デスサイズスの一員としての顔をしていた。わたしはすこしだけ考える。考えて、このキチガイ腐れマッドサイエンティストのいう台詞の正当性について考えを馳せる。
 わたしは知っている。にんげんはだれしもなにかしらの弱みをひとつふたつと抱えているし、しんぞうのそばにやわらかい箇所をもっているものなのだ。そこにつけこむ悪意というものが、この世の中には存在している。だから狂気は伝染する。伝染させられてゆく。伝染しにくいというのはあくまで程度の話であって、完全なるものではない。
 だからきっと、誰しもがそちらがわにおちる可能性を孕んでいるのだ。

「では狂気の何が問題なのですか?」

 首を傾げるジャスティンに、わたしは重たいまぶたを持ち上げて、閉ざしていた唇を舌で舐め、開く。

「これまで取るに足らない存在だった【ただの悪人】が目覚めることで【凶悪な悪人】となる可能性がある、のだと思うよ」
「そう、キルケの言う通りです。狂気の波長によって、悪人だけでなく眠りについていた魔女が目覚めることもありえます。そして人だけじゃない、海底に沈んだ超古代要塞アトランティスの浮上など……起こりうる恐怖はいくらでも考えられる」

 つまりは、おとなしくしていた悪人たちがこぞって狂気の波長に感化され、動き出すということだ。皆が渋い面持ちになり、また梓が眼鏡のブリッジを押し上げる音が響いた。

「……こんな事態になってしまったのも、そこの二人の失態からです。そのへんの処置は、死神様はなにかお考えがあるのですか?」
「お、お前ェ……」
「そうなんだよねェー」

 隣を見上げてみると、梓にびしっと指さされたスピリット先輩は顔面冷や汗まみれでぎゅっと目をつぶっていた。しかし、「少しばかり人事異動を考えていてね……」という死神様のことばで目をひん剥き歯を剥き出しにして、驚愕の表情になる。百面相だ。とてもじゃないが、デスサイズストップの実力を持つ名高きデスサイズにはみえない。

「ああ……我が子とのハッピーライフが……見えない……見えねぇよ未来が……。マカになんて言えばいいんだ……。マカの悲しむ顔を見たくない……」
「先輩顔ヤバイですよ」

 絶望に沈み倒れて床に突っ伏した成人男性(しかも子持ち・親権剥奪済み)の姿は見ていて気分がいいものではない。むしろいたたまれない。しかし死神様は、打ちひしがれる先輩に反ししれっとこう告げた。

「いやいや、スピリット君は今までどおり私の武器ということで」
「!!」

 慈悲深き死神様の言葉にばっとふりむいたスピリット先輩の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、もうかなりすごく悲惨なことになっていた。たとえるならば、ハリケーンのあとに残された地面のような様相である。

「こんな俺でいいの!?」
「デスサイズスのなかで唯一デスサイズを名乗れるのは君だけなんだから、誇りを持ちなさい」
「おおー神よ、なんと慈悲深き御言葉……」
「ありがたき幸せ〜……」

 しまいにはジャスティンとともに死神様を崇め始める先輩に、残りのわたしをふくめた四人がやれやれと肩をすくめる。
 スピリット先輩の名誉のためここに記しておくが、けして彼は家族に見捨てられたただの中年男ではないのである。これでも、これでもここにいる武器のなかでもっとも強くたくましいデスサイズなのである。……そのはずだ。

「その代わりに、今まではシュタイン君の臨時武器として出張してもらうことがあったけれども、これからは極力死武専を離れないでもらいたい……。それと、死武専を強化する意味でデスサイズにはもう一人残ってもらおうと思っとります」

 死神様の仮面に掘られたふたつの深淵がこちらを見ている。その仮面から表情をうかがい知ることはとても難しく、見慣れたものでも至難の技だ。そんな死神様の視線の先にいたのは、

「マリーちゃん。君に、シュタイン君のニューパートナーになってもらいたいのね」
「!」
「え」
「あえ? ……私?」

 わたしはぎょっとしてマリーを見、それから博士を見た。当のマリーもぽかんとした表情を浮かべている。え、いやいやいやまてまてまて、ちょっとまって。

「そんな……、ちょっと待ってください……! 私、仕事やる気ないんです……! オセアニア担当を選んだのも、平和で仕事が楽だから……。死武専勤務で忙しくなったら、もっと婚期が遅れちゃいます……!」
「ちょ、……死神様、どうしてマリーなんですか?」
「マリーちゃんはなんだかんだ言って頑張ってくれちゃうしね〜。それにこどもたちの相手も上手でしょ?」
「それは……」

 そう。マリーはやさしいし強いし、なんだかんだで仕事にだって熱心だ。堅物すぎる梓やマイペースを地で行くジャスティン、まわりくどい思考回路に陥りがちなわたしなんかよりもよっぽど教師には向いているだろう。
 それに、武器としての戦闘スタイルにしたってそうだ。遠距離攻撃メインの梓、単独戦闘スタイルをとるジャスティン、そしてどっちつかずで群を抜いて厄介なタイプと自負するわたしなどとは博士との相性もあまりよくないだろう。いくら博士が様々な武器に対応できる万能職人であっても、得意とする分野はあるものだ。それは、理解している。このなかではマリーがもっとも適任であり、わたしは不適任なのだ。わたしは彼女の代わりにはなれない。
 ……みっともなくわたしがこんなにも歯噛みするのは、だいぶ過去の話ではあるが、学生時代のマリーの初恋事件が原因であるに違いない。我ながら些細なことを気に病むばかりで、情けない。けれどそれだけでなく、個人的にも博士とは馬が合わないから、それも影響しているはずだった。
 わたしはむくむくふくらむ反発心を胸のうちにおしこめて、呑み込んだ。
 わたしの身勝手な反発は組織を瓦解させる一因になりかねない。そうでなくとも、わたしははみだしものなのだ。私情で場を乱す訳にはいかない。わたしがこの場に立っていられるのは、死神様の恩情あってのことだから。黙り込むわたしの横、生真面目に梓が死神様に問いかける。

「死神様、私はどうすればよろしいですか」
「梓ちゃんはね、視野の広さを生かして逃げた阿修羅の発見……それと、マリーちゃんがいなくなるオセアニア担当も引き受けて」
「わかりました」
「そしてキルケちゃん」

 名を呼ばれた。黙っていたわたしは顔を上げ、死神様の仮面を見つめて返事をする。

「はい」
「キルケちゃんには死武専の戦闘訓練の手伝いをしてもらう。臨時講師みたいなものだね」
「……はい?」
「先日の阿修羅復活の際、敵に対し行動できたのはシュタイン君とスピリット君を除けば全員死武専生……。おそらく、こどもたちはこれからもっと悪と対峙することが増えるだろう。その対策として、お願いするってワケ」
「は、あ……。死神様からのお願いなんて、断る理由はありませんけど……。わたしが他人に、しかもこどもにものを教えて……。いいんですか?」

 わたしは、自分が正式な武器のルートを辿ってきていないと自覚している。自分の立ち位置はあやふやのまま固定されていて、そんなわけでわたしは前述の通りのはみだしものであり、異分子なのだ。そんなわたしが、将来性にあふれたこどもたちに関与していいのか、そういう意味をこめての問いだったが、死神様はいたって軽いノリで「平気平気〜」と手を振る。

「じゃあ細かい日程とかはシュタイン君に聞くように……。さて、あとはジャスティン君だけど」
「………」
「ジャスティン君?」

 死神様の視線を追って、わたしも振り向く。
 死神様の呼びかけに答えないジャスティンはじっと虚空を見つめていた。その耳にはやはり爆音を垂れ流すイヤホンが早々につけ直されている。この後輩はイヤホン中毒かなにかなのだろうか。在学中何度も脳裏をよぎっては消えていった疑問がまた首をもたげた。

「……ジャスティン」

 仕方ないので、わたしは彼の耳から延びているコードを指に絡め勢いよく引っこ抜く。は、と目覚めたかのような声を上げたジャスティンは何事かというように周囲を見回して、それからわたしに目線を辿り着かせた。わたしが死神様を示すと同時、

「まあジャスティン君は保留で!」

 なんとも気の抜ける声で死神様は宣言する。

「これから死武専も少し変わっていかなきゃならないけど、基本『殺伐だけどウキウキライフ』で〜! んじゃかいさーん」

 間延びした解散宣言に各自頷き、会釈などを交えながら出口へ踵を返す。そんななか、最後尾のスピリット先輩が死神様に呼び止められた。それを尻目にジャスティンの後を追おうとすると、「ああ、それとキルケちゃんも」と声をかけられる。

「……え、わたしですか」
「そそ。ちょっと話しておきたいことがあるのよ」
「はあ……」

 どういうことだろうか。まったく心当たりがなく、内心首をかしげながらもうもういちど鏡の前へ足を運ぼうとし、何事かとわたしをみているジャスティンに気づく。わたしは彼の顔を見上げた。

「ジャスティン」
「はい、先輩」
「このあと時間ある?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあお茶でもどう? 久々に」
「はい、ぜひ」

 にっこり笑うジャスティンに、「じゃあちょっと外で待ってて」と頼み、ようやっと死神様の前に立つ。

「お待たせしました」
「ほんとおまえら仲いいな」
「そうですよ? ジャスティンは、わたしのかわいい後輩ですから」
「……そういうとこ、姉妹だよなあ」
「は? マリーのことですか?」
「なんでもない」
「はあ」
「それで……何か用すか?」

 鏡を見あげるスピリット先輩にならい、わたしも同じようにする。死神様の深淵じみた両の眼からは、表情がうかがいしれない。だから、その声を待つ。

「実はシュタイン君のことなんだ」
「……」
「本人も気がついてるみたいだけど……彼は、狂気に支配されつつある」
「………」
「マリーちゃんの魂の波長は、シュタイン君の魂にもいい影響を与えるでしょう」
「……だから、マリーを博士のパートナーに?」
「そういうこと。それが一番大きな理由」

 さっきあげた理由ももちろんホントだけどね、と死神様はつけくわえた。わたしはゆっくり唇を閉じて、やわらかく噛む。
 それを説明するために、わざわざ名指しで呼び止められたという事実。つまり、わたしを納得させるために、死神様はわたしをこの場に残したのだ。
 見透かされている、と思った。その感覚は、在学時のまま何も変わっていない。でもそれも仕方ない、とも思う。わたしの行動理念は単純すぎる。だからこそ、矯正するのに骨が折れるほどにねじまがってもいる。その事実をいともたやすく自覚できるくらいには。
 死神様が先輩に博士を気にかけるよう告げるのを聞きながら、わたしはふたりに気づかれぬよう、小さくそっとため息をついた。



銅貨