アンチ・アンビバレンス(3/3)




 ひとをあやめたことがある。
 それはきっと、この街では、この死武専という場所では、べつだんめずらしいことではない。ただ、そういうふうに言い表すことはないだけで。
 わたしたちは悪人を殺しているのではない。「悪人の魂を喰らっている」のだ。悪事に手を染め死神様のリストに名を連ねた悪人たちを粛清し魂を得て、職人は武器とともにちからをつけていく。単純にいってしまえば、武器をレベルアップさせていく。それがふつうで、あたりまえのこと。それが秩序でルールなのだ。そこから多少なりともはずれているわたしは、だからこそこの街の不条理がやたらと目につくようになってしまっている。マリーにこの話をしたことは、ない。

「ここのタルトタタンおいしい」
「前も言ってましたね」
「そうだっけ」
「はい」
「ジャスティンくんひとくちいる?」
「リンゴだけなら」
「はい」
「ありがとうございます」
「梓きれいになってた」
「お変わりないようにみえましたが」
「おんな同士だからわかるものもあるよ」
「そういうものですか」
「マリーはいつまでもかわいいけどね」
「先輩は変わりませんね」
「そこはきれいになったとかいってほしい」
「先輩はもとからきれいですよ」
「御上手ですねジャスティンくん」

 ささくれだらけの節ばった手で頬杖をついて、わたしはけらけらと笑ってみせた。ジャスティンはすこし不満そうに眉根を寄せて、グラスに入ったアイスティーをストローで啜る。その挙動にはふだん彼があまりみせない年相応のものがあって、わたしはおかしくてまた笑ってしまった。

「はーあ……。鬼神が復活したっていうのに、世界はずいぶんと平和な顔だね。まあ、わたしもそうなんだけど」
「まだなにか、確定的ななにかが起こったわけじゃありませんから。実感が薄いのは仕方のないことです」
「うん、まあ、そうだね。でも実際、これまでって平和だったと思う? 死神様は確かに鬼神を地下に封印してはいたけどさ、それって永遠だったのかしら」
「……どういう意味ですか?」
「ああちがう、うん。神は全知だし全能だ、それは世の理だね、それに異を唱えようっていうんじゃない。ただ、この世には悪人がいるって話だ。神をもどうこうして欺いたり傷つけたりしようとする輩がさ」
「無論、そういう存在を裁くのも私の役目です」

 神父の顔をのぞかせた後輩はとてもおとなびていた。その横顔を半ば見惚れるように眺めて、ため息を吐きそうになる。しかしわたしはそれを喉の奥に嚥下して、微笑んだ。
 立派な後輩を前にすると、わたしはそれにみあった先輩らしくあろうとする。そういう自分がいることに、すこしだけ安心する。だからつい、姉にさえ話さぬ自分の内面をさらしそうになる。

「それにしても、わたしがこどもになにかを教える日が来るとはね」
「信頼されているのでしょう、先輩」
「信頼? まさか」
「キルケさんは少々自分を過小評価しているふしがあります。僕はすごいと思いますよ」
「うれしいこといってくれるね。……でも信頼じゃないと思うな。どちらかといえば、」

 温情、なのだと思う。
 死神様は神である、きっとわたしの胸のうちに巣食う神への疑念にさえ気がついているだろう。けれど、それの根っこが私の本質なのだと思っているのだろう。わたしが欠けているから、そんなわたしでもなにかができると、願ってくれているんだろうか。
 その感情はたしかにやさしいけれど、きれいすぎてすこし痛いのに。

「……まあ、がんばるよ」
「はい、ぜひそうしてください」

 にこりと笑う後輩の笑みは、やはりまぶしい。



「そういやジャスティン、これからどうするの?」
「僕の仕事は保留とのことでしたから……。しばらくは、この街で死神様のお告げを待とうかと」
「そっか」

 喫茶店を出ると、空はもう半ばオレンジに染まっていた。隣に立つジャスティンの目も、蒼と橙が混じっている。わたしはぼんやりと家のことを考えた。
 死武専生時代に使用していた家は貸家にはだしていないから、マリーとしばらくはそこに住むことになっていた。なんでも母が気を利かせてハウスキーパーを入れておいてくれたらしい。あのひとにはいつだって頭が上がらない。
 ブーツの踵を鳴らしながら歩いていると、前から歩いてくる見慣れた影がふたつ。

「あ」
「あら? キルケじゃない」

 マリーだった。にこやかにかわいらしく笑んでわたしに手を振るそのとなりには、やはり博士がどぶみたいな目の色で立っていた。

「おやふたりとも。さっきぶりですね」
「そうですね、博士」

 博士とジャスティンがのんびりとことばをかわす横で、ふいにマリーが「あ」と声を上げ、わたしの腕をつかみ何歩か男性陣から離して、顔を近づけてきた。

「そうだキルケ、あの、怒らないで聞いてほしいことがあって」

 深刻そうなマリーの顔に、わたしは首をかしげる。

「わたしがマリーに怒ったことなんてないでしょう」
「私にっていうか……。まあ、いいわ。あのね、しばらくシュタインの家にお邪魔することにしたんだけど」
「は?」

 食い気味に疑問符を発してしまった。一瞬で混乱状態に突き落とされて、わたしのちゃちい脳みそがぐるぐるぐるとめまぐるしく回転する。それは、どういう意味だろうか。

「……どういうこと?」
「ほら、あの、彼のこと放っておけなくて……。精神的に不安定みたいだし、だれかがそばにいてあげなくちゃ」

 あわてたように言葉を重ねていくマリー、しかしわたしの言いたいこともどんどん喉元に積みあがっていく。

「それで……それで、マリーが博士の家に泊まる? あんなぼろっちいツギハギばかりの研究所に?」
「そ、そう……。キルケ、あの」
「百万歩譲って、いや一億歩譲ってもしもマリーが死人先輩の家に泊まることを許可したとしても、マリーが博士の家に泊まることをわたしが許すことはないよ。わかるでしょう」
「キルケのシュタイン嫌いは何年たっても変わらないのね……」
「きらいなんじゃなくて気にくわないだけだよ」
「おんなじじゃない」

 マリーはしばらくうんうんと唸っていた。シュタイン博士とマリーがペアを組むこと自体、死神様のいうことだからと無理やり自分を納得させたというのに、それ以上なにか納得できるとは思えない。
 ジャスティンとなにか世間話をしているらしい博士の横顔をちらりと見て、やっぱり考えは揺らぐことがなかった。しばらくして、マリーは意を決したようにわたしを見上げた。

「ねえキルケ、今度一緒にランチにいきましょ? それから午後まで一緒にショッピングに行ってほしいの。それで今回のことは、ゆるしてもらえない?」

 うわめづかいでしかも困り顔。わたしはことばに詰まる。わたしの脳内にいるもうひとりのわたしが、そんなわたしを冷めた目で観察している。わたしはこの姉の表情がとても苦手だった。苦手、というよりもこの表情によわい、といったところだろうか。なんの障害もなく、というのは無理があるだろうが、マリーには大きな障害なく生きてほしいのだ。彼女の願いはなるべく叶えてあげたい。しあわせになってほしい。
 積み上げていたわたしの強情さを一瞬で瓦解させるには、その笑顔ひとつでじゅうぶんなのだ。

「……わかった」
「本当?」
「仕方なしに、だよ。マリー、また今度あたらしいピアス選んでくれるとうれしいな」
「ありがとうキルケ! もちろんよ!」

 満面の笑みをうかべたマリーはがばっとわたしに抱きついて、そんなことを言った。わたしの顔のすぐ横あたりにマリーの頭がきて、目を細める。黄金色にきらめくやわらかい髪を見つめて、つくづくあまいなあと思う。けれどそれが、わたしをにんげんたらしめている。家族のいる、にんげんとして。
 ふたり並んでジャスティンたちのもとへと戻ると、そろって首をかしげてこちらを見ている。わたしは博士のまえに立って、その鼻先を睨めつけた。
 わたしはこのおとこがすきではない。きらいだなんていう直接的な感情こそないが、気にくわないのである。死武専生時代からそうだった。その感情は、きっとこれからも変わることはない。たとえマリーが、またこの男をすきになっても。

「マリーに手を出したら殺しますから」
「手厳しいな、あいかわらず」

 ふん、と鼻を鳴らす。久方ぶりにちゃんと目にした眼鏡越しの博士の目は、なぜだかひどくにんげんらしい光を持っていた。



「変わらないなキルケは。いまだにきみにべったりで」
「そう? どちらかというと、私があのこ離れできてないのよね」
「俺から見れば、彼女はまだこどもにみえるよ……。あんなふうに、無理に肩肘はって生きてるみたいだけどね。前から思ってたけど、きみとは姉妹なのに全然似てない。一度、解剖してみたい」
「やめてよシュタイン……。冗談に聞こえないから」



 博士と去っていくマリーの後ろ姿をみつめて、わたしは深々とため息をこぼす。そんなわたしを見下ろして、ふとジャスティンが言った。

「キルケさんはほんとうにマリーさんを大事に思っているんですね」
「うん? まあそりゃね……。マリーは誰からも愛されているからさ。あんなふうに魅力的な子はなかなかいないのに。はやくいいひとが見つかればいいのだけど」
「神に祈りましょうか」
「そうだねえ」

 歩き出しつつ地平線を見ると、目を半分閉じた太陽がずぶずぶと沈んでいくところだった。わたしは太陽の間抜け面を見ながらしばらく考えて、後輩に提案する。

「ねえジャスティン、今夜はホテルにでも泊まるつもりだった?」
「え? ええ、まあ……。何日間になるかは、わかりませんが」

 ジャスティンは戸惑ったように答える。わたしはそれを聞いて、笑顔になる。

「じゃあ、わたしの家においでよ。マリーはツギハギ研究所にいってしまったし……。ひとりで生活するには、あの家はいくぶんか広すぎる」

 そう告げると、ジャスティンは驚いたような顔をして、しばらく黙った。彼の足が止まったので、わたしも立ち止まる。ぽかんと開かれた彼の口がなんだか新鮮で、ちょっとだけ見つめてしまう。ジャスティンはわたしの顔を凝視している。

「……? ジャスティン?」
「お邪魔しても、いいんですか?」
「うん? うん、いいよ? 誘っているのだから、当然でしょう」

 わたしはひとつ、うなずく。するとジャスティンは何とも言えない表情を浮かべた。不安、戸惑い、呆れ……。そのどれもが混ざりあったような、彼の通常の表情からは切り離されたような、なんとも人間味のあるそれ。珍しい姿に目を瞬いているわたしをよそに、彼はちいさくつぶやいた。

「……先輩は、……。」
「え? ごめんきこえなかった、もういちど、」

 つぶやきが聞き取れずに聞き返すと、ジャスティンは「いいえ、」と首を振った。そのころにはもう、いつもどおり、神父でありデスサイズであり、それからわたしの可愛い後輩である彼のいつもの顔に戻っていた。

「いいえ、なんでもありません。ただ、マリーさんたちが男女ふたりでひとつ屋根の下、夜を過ごすことにはあんなにも反対していたのに、いいのかな、と……」
「? わたしたちなら、へいきだろう」

 この後輩がどういう意図でそう尋ねたのかよくわからなくて、わたしは首を横にかたりとかたむける。するとジャスティンはするりと息をついて、そのきれいな青い目をこちらに向けた。そこにはわたしがうつっている。キルケ=ミョルニルが、うつっていた。

「……なにか不都合があるなら、遠慮なく言ってくれていいけど?」
「キルケさんは、ほんとうにマリーさんが大事なんですね」
「……? ジャスティン、さっきから何の話をしているんだい?」
「いえ……。キルケさんがいいと仰るなら、お邪魔させていただきます」
「? ああ、うん。よかった。ひとりでたべる夕食は美味しさに欠けるからね」

 ジャスティンの先刻までの言動に首を傾げつつ、わたしは歩みを再開する。ジャスティンもそれに続くように、わたしの隣を歩く。
 さて、夕食はなににしようか、とわたしは彼に問いかけた。思いつくままメニューを指折り考えて、わたしたちは帰路につく。その背後で、口端から涎を垂らした大きな月が地平線から顔を出した。昼は終わる。夜が始まる。



銅貨