なんてすてきな同族嫌悪(1/4)


さいごまで強情にもパートナーをつくることのなかったわたしにとくべつに課せられた卒業試験とは、「魔女を殺すこと」だった。
 通常一緒に課せられる九十九個の悪人の魂は不必要で、ただ魔女を殺すことだけが卒業するために通過しなければならないわたしの試練だった。それを告げたときの死神様の目の窪みからはやはりなにも見て取れなかった。そこにはまっくらな深淵しかなかった。
 一方で、わたしはほんのすこしだけ、拍子抜けしたものだ。わたしが「ふつう」から逸脱していたことはなによりも自分がいちばんよく知っていた。そんなわたしに課せられる卒業試験はさぞかし難解なものだろうと思っていたのだ。けれど、ちがったのだ。
 まだ未成年だったわたしは、正直に言うと、落胆した。わたしにかけられている温情を、自覚してしまったのだ。どこまでも彼らはやさしかった。誰もが遵守すべき規律から何歩ぶんかはみでたわたしに対しても。それがわたしの世界の齟齬であり、わたしが規律に疑問を抱いた理由でもあった。
 ──魔女。にんげんでない存在。人知を超えた魔法を用いて世界を破滅に陥れる、わたしたち死武専の敵。
 先日鬼神が目覚めた際、その原因の大部分をになっていたのもひとりの魔女だったという。
 そんな魔女のひとりをわたしが殺したときのことは、あんまり鮮明には覚えていない。わたしが殺したのはたおやかな手足をした、ごくふつうの少女に見えた。奇しくも当時のわたしとおんなじくらいの年齢に見えた。どこにでもいそうな顔をしていた。もちろん他の魔女に漏れることなく真っ黒いレースだらけのおかしなドレスを着ていたけど、ふつうのにんげんに、見えた。
 けれど、そんななか彼女の目だけはふつうではなかった。慢性的なあきらめを秘めた、この世を倦んでいるような眼差し。倦怠と憂鬱と、それからうすくひろがって消えかけた憎悪が沈んでいるのが見えた。その真っ黒い眼球をのぞきこみ、わたしは後悔したものだ。
 そこには、彼女とそっくりな目をしたわたしがうつりこんでいたのである。
 あの羊の魔女は、わたしが振りかぶった武器、つまりはわたし自身をただ見上げ、この世に残す最後のものとして唇から紡がれることばをえらんだ。それは呪いだった。その呪いは彼女が死んだいまでも、わたしのからだをじわじわと蝕んでいるのだろう。わたしはそれを知っている。彼女の姿を夢に見たことは、おそらくない。けれど、わたしの皮の下で呪詛がうごめいているような気配が、たまに、するのだ。

「……耳鳴りがする」
「耳鳴りの原因には、肩こりなんかもあるそうですよ」
「肩こり? 肩こりはないと思うんだけど」
「まあキルケさんはデスクワークって柄でもありませんしね」
「ふくざつなきもちだわ」

 年代物のソファに埋もれながら、黄色く日焼けした書物のページをめくる。虫のように細かい字が眼球の裏側にはりつくようで不快だった。後輩はというと、わたしのまえのもうひとつのソファに背筋を伸ばして腰掛けて、ガラステーブルにひろげた大きな地図を見下ろしていた。

 死武専での活動開始にはまだもうすこし時間のあるわたしと、いまだに死神様から仕事内容を告げられていないジャスティン。わたしたちふたりは暇を持て余し、とりあえず鬼神の潜伏していそうなところに片っ端からあてをつけていた。おそらく梓が既に行なっていることだろうとは思うが、こちらの現状把握としてはやっておいて損はないと判断したからである。
 鬼神が全盛期だった頃の事件等々が事細かに記された文字の羅列は、裸眼では少々つらいものがある。目をすがめ、やれやれと手首の骨を鳴らして、後輩に手を差し出した。

「ジャスティンくん、めがねとって」
「はい」
「ありがと」
「……先輩遠視なんですか?」
「うーん、おそらく? 老眼っぽくて厭になるね。乱視は入ってないけどさ」
「先輩なんだかいちいち発言が年寄りくさいです」
「失礼な」

 デコピンでもかまそうかと丸めた指を彼に近づけるが、ひょいとよけられる。眉根を寄せ、わたしは受け取った眼鏡を片手でひらいてかけた。パチン、と乾いた音が鳴る。
 ジャスティンとこの家に住み始めてから今日で五日になる。べつだんなにか不都合なこともなく、わたしと彼はふつうに何事もなく現状に適応していた。わたしもジャスティンも、それなりに家事はできるのだ。もちろん、それなりに、だが。
 ここはもともとわたしが学生時代にひとり暮らしていた家ではあるが(マリーは彼女の職人と暮らしていた)、親が用意してくれた家だけあって、ふたりでも余りある広さがある。定期的に掃除が入っていたのは事実らしく、大量の埃が溜まっていたりとかそういうこともなかった。ある意味では、この家の時はあの青春の日々で止まり続けているようだった。その事実はすこしだけ、わたしの喉元にささくれらしきなにかを植えつける。ほんとうに、この街にはわたしの弱さの残滓しかないのだろうか。鏡で自分を凝視しているかのような錯覚。そこには嘘も欺瞞も、ない。

「……自分で自分がいやになるね、まったく」
「? なにかいいましたか?」
「いいや」

 イヤホンもつけていないのに首をかしげた後輩に、わたしのぼやきは届いていなかったらしい。意味もなくひらひら手を振り何事も無かった顔をする。ガラステーブルに置いてあったコーヒーカップを手に取り口もとに近づけたところで、そういえば、

「そういやマリーはいまごろなにをしているんだろう」
「ああ……。博士のところにいるんでしたか」
「認めたくないことにね」

 自然、わたしの顔は顰め面になる。そんなわたしを小動物でも鑑賞するかのようにおもしろそうに眺めて、ジャスティンは言った。

「やはりキルケさんはマリーさんに対して過保護すぎるきらいがあるのでは?」
「……そう?」
「外からみるとそう見えますね」

 しれっとそう口にする後輩の両目は飴玉のようだ。
 わたしが、過保護。それは昔からよく言われてきたことではある。母にも、祖母にも言われたことがある。けれど考えてみると、この後輩にそんなことを言われたのははじめてかもしれない。そう思ったのが表情にあらわれたのだろうか、まじまじと自分を見つめるわたしにジャスティンは面食らったようで、

「言ったことありませんでしたか?」
「うん。ジャスティンにいわれたことはないよ」
「そうですか? 言ったような気がしてました」
「それって昔から思ってたってこと?」
「まあ、はい」
「……そんなに過保護にしているつもりは、ないんだけどね」

 足を組み、膝に肘をついてしばらく考えてみる。わたしがマリーを愛しているのは、もちろん彼女がわたしの姉だからだ。親愛なる家族。だから彼女のことを大事に思っているし、大事にしている。それはわたしにとってとても当たり前のことだ。それにしても、過保護、というのはどういうことだろう。

(……ああ、そういえば)

 そういえば───これもまた学生時代の話だが───マリーがデスサイズとなった頃、ちょうど友と一緒に夕食を食べに行ったことがあった。あれは誰だったろう、ナイグスだったか。ともあれそのとき、わたしは確か相手に言われたのだ。家族なら、

「家族なら相手を信頼して距離を置くのもたいせつなことだ」
「……?」
「って言われたことがある」
「はあ。どなたに?」
「覚えてないんだ。ナイグスだったような気がするんだけど」
「へえ……。まあ、キルケさんは言わなさそうなことですね」
「わたしもそう思うよ」

 わたしはそのかけられたことばになにも思わなかった、のだと思う。既にそのころわたしはマリーと一定の距離を置いていた。幼少期はそれこそいつもふたりでいたものだが、そのころはわたしは既にはみだしものと呼ばれていた。わたしはマリーのことがたいせつだから、あまり迷惑をかけたくなかったのだ。
 わかっているつもりでいたのだ。けれどあれも、若気の至りとでもいうべきものなのだろうか。わたしは幼かった。それはいまでもずっと、知っている。だからその、ナイグスだかだれかがわたしにかけたことばは的外れだったといっていい。そうではない。そうではなくて、あのときわたしが抱いていた感情のなまえは、

「あ、」

 その時ジャスティンがあげた声に、わたしは思考に埋もれていた精神を浮上させる。同時に、ガラステーブルの上に投げ捨てられていた手鏡が発光していることに気づく。青い光である。わたしとジャスティンがそれを見、そろって鏡をのぞきこんだ瞬間青い光は消えた。その代わりに、鏡いっぱいに死神様のスカルフェイスが映し出される。

『ち〜っすち〜っすうぃ〜っす!』

 あいかわらず軽い挨拶である。わたしはちいさく会釈する。となりのジャスティンは「おお、我が神よ」などと胸に手を当てていた。

『あれ? ふたり一緒? ならちょうどいいや』

 鏡の向こうのマスクの顔、黒塗りの双眸がわたしたちをみている。ふと、また学生時代のことを思い出した。あの日わたしはこの両眼がどうしてもすきになれなくて、仕方なかったのだ。

『ちょいとふたりに急ぎの要件があってね……』



銅貨