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彼女は眼鏡をかけている。

それなのに知的な雰囲気があまり感じられないのは、その伊達眼鏡が丸いからなのだろうか。

首から提げたカメラを手に、彼女は今日も日々の記憶を目に見える色として、形として、そのカメラに残していく。すべての感動を、その時々の感情を、決して、もう二度と、忘れてしまうことのないように。空白の思い出を作らぬように。
そうして過ごしているうちに、気付けば彼女はカメラを手放せなくなっていた。


彼女の名前は、エマ。


エマは幼い頃に海へ旅に出たであろう・・・・・・
、顔も声も知らない両親の帰りを、この広い“偉大なる航路グランドライン
”にこっそりと、小さく存在する島国――ビビリじま
で待ち続けている。





―――――




「おはようございます、村長さん」


身なりを整え、外へ出る準備ができたエマが玄関へと足を運ぶと、彼女よりも早く準備を整えちょうど靴を履こうとしている男の姿がそこにあった。とても見慣れたその背中に、当然のようにエマが声をかけると、男は彼女へと振り返る。


「おお、エマ。今日はやけに早いじゃないか。何か用事でもあるのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、なんだか目が覚めちゃって……せっかくなので、早起きついでにいつもと違う時間帯の景色もカメラに収めとこうかと!」


珍しく早起きできましたし!と誇らしげに口元を綻ばせるエマに、このビビリ島の村長――ウィルは、ゆったりと優しい笑顔を浮かべた。エマはサングラスをかけている彼の、本来読み取りづらい表情も、今となってはいとも容易く感じ取れるようになった。彼と彼女が共にこの同じ家で過ごした時間はもう9年近くになる。

彼女に対して「そうか」と一言だけ返す彼の手には、鮮やかな紫を身に纏う鐘のような形をした綺麗な花の束があった。それを目視したエマの瞳にはほんの一瞬だけ哀愁が見えたが、次の瞬間にはいつもの明るい彼女に戻っていた。ウィルはそんな細かな彼女の表情の変化に気付きはしたものの、何一つ気付いていないかのようなフリをして、再び彼女に背を向けて改めて靴を履こうと動く。エマもそれに続き、ウィルの隣で靴を履き始める。履きながら、また口を開いた。


「村長さんがその花束を持ってるってことは……また1年経ったんですね。早いなぁ」
「おいおい。私は1年をお知らせするお便利アイテムじゃないんだぞ」
「言ってないですそんなこと! ……でも村長さん、毎年絶対同じ日に、同じ花束持って出かけるじゃないですか。そりゃあ、目印にもなっちゃいます」


話しながら靴を履き終えた二人は立ち上がる。ウィルが扉を開け、自分に続いてエマが外へ出たのを確認し、扉を閉めた。
先程エマが部屋の窓から外を覗いた時はまだ日が昇り切っておらず、若干暗さが残っていたというのに、いざ外へ出てみると雲一つない青空の中に太陽は完全に姿を現していた。鮮麗な朝の陽光を浴び、特有の澄んだ空気を思いっきり吸い込み、深呼吸する。エマがそうしている間にもウィルはさっさと歩きだしていて、気付けばだいぶ先を歩いているウィルの遠い背中を見つめながら、「行ってらっしゃい」と小さく零し、エマはしばらくその場に立ち尽くした。

彼が一年に一度、毎年同じ日に、そしておそらく同じ場所に、あの紫色の花束を誰かに捧げているという事実を知らない人間は、この島には一人もいない。もちろんエマとて同じであった。
エマは昔、彼に聞いたことがある。その花束は一体誰に、何の為に捧げているのかと。エマは自分がそう聞いた時の彼の表情を、今でも忘れられずにいる。あんなにも苦しそうで、切なそうで、悔しそうな表情を見たのは、少なくとも今まで一緒に生きてきた中ではあれが最初で最後だったように思える。あまりにも複雑で、簡単には言い表せないような沢山の感情を一気に思い出させてしまった。子供ながらに、酷なことを聞いてしまったのかもしれないと、罪悪感さえ覚えていた。彼女のその質問が、疑問として胸に持って当然の純粋な質問であったことを理解していた彼は、きちんとそれに答えた。



――私の大切な友人達にね、謝らねばならないことが、あるんだよ



その時の彼を思い出すと、エマは何も知らないはずなのにいつも心の中で思ってしまうことがあった。一昨年の今日も、昨年の今日も、そして、今日も。気を抜けば、彼に対してぽろっと出てしまいそうな言葉を、必死に飲み込んだ。何故自分がそんなことを。部外者であるはずの自分が。彼に何を言おうというのか。
考え出すと止まらなくなってしまうと分かっていたエマは、これ以上考えないようにしようと小さく首を振り、その手にカメラを持ち、新しい今日を記録すべくゆっくりと歩き出した。




待ち続ける者、真実を知る者
(もういいんです、もう十分。だから、どうか自由に……)


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