吾輩は雀である(前編)

初めて自分の翼で空を飛んだ時、視界いっぱいに映った空の青さに目を奪われた。
風を受けて宙へと飛び立つ感覚に、グングンと遠ざかっていく景色に、感動した日のことを、私は今も憶えている。


――鎹一族。彼らは八咫烏という三本の足を持った鴉の姿をした神の末裔である。
鴉の姿にのみ変化することのできる彼等は、およそ五〜七歳までの間に自然と人から鴉へと変化できるようになるものである。
それまでに変化できなかった場合は、その者は変化する素質がないと判断される。
そして鎹一族の一人であるこの少女、信濃小羽もまた、その時期を迎えようとしていた。
小羽は今年で六歳を迎えたばかりである。
彼女は真っ青な青空を見上げながら、空を自由に飛び回る一羽の真っ黒な鴉を見つめていた。
鴉は悠々と空を飛行しながら、くるりと優雅に空中で一回転してみせた。
そして一通り空を自由に飛び回ると、小羽の目の前にある大きな岩に降り立った。
鴉は「カー」と一声鳴くと、小羽は眉間に思いっきりシワを寄せて、険しい表情を浮かべた。


「いいなぁ〜、お兄ちゃんは自由に空を飛べて……
私も早くカッコイイ鴉になって、空を飛べるようになりたいなぁ〜〜」


小羽がそう不満そうに呟けば、鴉は突然人の姿になると、俯く小羽の頭にぽんっと優しく手を置いて、困ったように微笑んだ。


「焦らなくても、小羽もそのうち立派な鴉に変化できるようになるって!」

「そうかなぁ〜〜、私、ちゃんと変化できるようになると思う?もしも変化できなかったら……」

「その時はその時。もしも小羽が変化できなかったとしても、俺は気にしないぞ。」

「でも私、もう六歳になるのに全然変化できなくて……このまま鴉になれなかったら、私、鎹鴉になれないのかなぁ?」

「その時は鎹鴉を育てる仕事に就けばいいさ。鎹鴉になることだけが、一族の仕事じゃない。」

「そうだけど……」


清隆は小羽を励まそうと、少しでも彼女の不安を取り払おうと沢山の言葉を掛けてくれるが、小羽は不安げな顔のまま、俯いているだけであった。
一族の中には確かに鴉に変化できない者もいる。
だから小羽が変化できるか否かはその時にならなければ分からないのである。
あと一年。七歳なるまでに鴉の姿になることができなければ、変化できる力を持っていないと判断されてしまう。
だからこそ、小羽は焦っていたのである。
兄の清隆は四歳で鴉に変化できた。それなのに自分は六歳になった今でも変化できずにいる。
これが焦らずにいられるものだろうか。


「肩の力を抜いて、自分が鴉になる想像をするんだ。空を飛んでいる想像でも良い。考えてみろ。」

「う、うーん……」


小羽は清隆に言われた通り、目を閉じて想像してみた。
自分が真っ黒な鴉になって、あの美しい青空を自由に飛び回る姿を……
すると、胸の奥がじんわりと熱くなった気がした。
そのまま想像を膨らませてみる。
自分がどれだけ鴉になりたいか、どんな鴉になりたいか、ずっとずっと膨らませてきた想いをここぞとばかりに大きくしていく。
すると突然、自分の身体に変化が起きた。
身体に感じた違和感を確認しようと、そっと目を開けてみる。
気づくと視界がとても地面に近くなっていた。
明らかに視線の位置がおかしなことになっている。
これはもしかしたら、変化に成功したのだろうか?
小羽はそう思って喜びのあまり声をもらした。


「――チュン?」


……気のせいだろうか?
今自分の口から変な声が出なかったか?

「カァ」という鴉独特の鳴き声ではなく、「チュン」という可愛らしい……何か、小鳥のような……そう、例えば雀のような鳴き声がした。

小羽は恐る恐るといった様子で、自分の姿を見下ろしてみる。
上げてみた手は、ふわふわと温かそうな白い羽毛の羽に覆われていた。
白い。そう、白いのだ。
そして小羽は自分の背中を見ようと振り返ってみる。
鳥の首は人間とは違い、容易く後ろを向くことができた。
そしてそんな小羽の視界に入ってきた色は、茶色と黒が混じったような背中。それも所々小さい。
この時点で、小羽は自分が明らかに、鴉以外の何かに変化していることを理解した。
理解してしまった。
そして、極めつけは、「チュンチュン」と可愛らしく囀ってしまうこの口である。
間違っても、「カァ」などとは鳴けないこの鳥は紛れもなく……


「す、雀?」


どうか、どうか違っていてほしいという小羽の僅かな望みは、実の兄の清隆のその一言によって崩れ落ちた。
「雀」そうはっきりと彼が告げたことで、小羽は嫌でも確信するしかなかったのである。
自分が変化したのは、鴉ではなく雀であるのだと……

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