第171話「良太猫」

「若!!来てくれたんですかい!!」

軽く自己嫌悪に陥っていると、店の奥から一人の若い青年の猫又が出てきて、リクオに話し掛けてきた。

「上手くやってるみてぇだな。良太猫。」
「――あれ?あの妖、もしかして……」
「どうした彩乃?」
「うん。ちょっとね……」

彩乃が然り気無く鞄に手を添えると、ほんのりと温もりを感じた。

(友人帳が熱を持ってる……それにこの音……間違いない。)

友人帳に名を綴られた妖怪が友人帳に近づくと、独特の音を出す。
まるで水溜まりに水滴が落ちて波紋が広がるように、脳裏に響くその不思議な音は、虫の唄のように静かに音を奏で、そして持ち主に知らせようと熱を帯びる。
勿論、その音や熱は友人帳の所有者にしか聞こえないし、わからない。
――今、良太猫と呼ばれた猫又の青年の登場に、友人帳が反応している。
それがわかったから、彩乃はこっそりと席を立ち、リクオと話すその猫又に近付いた。

「……あの……」
「ん?どうした彩乃。」
「お話し中ごめんなさい。あの……そこの猫又のあなた。」
「ワシ?」

不思議そうに首を傾げる良太猫に、彩乃は唇に手を添えて小声でヒソヒソと話す。
すると彼も空気を読んで耳をこちらに近付けてくれた。

「あなた……友人帳に名があるよね?」
「えっ!?」
「そうなのか?良太猫。」
「えっ、えと……何でそれを……」
「あの、実は私……夏目レイコの孫の、夏目彩乃です。」
「あっ!」

彩乃は面を少し捲って顔を晒すと、その顔を見て良太猫は目を見開いて驚くと、それだけで全て察してくれたようだった。

「――ああ、貴女が噂のレイコさんの孫の……」
「うん。」
「ワシに何か用ですか?」
「今から少し時間をもらえないかな?名を……返したいの。」
「ああ、そういうことなら……どうぞ、奥へ。」
「ありがとう。」
「……一人で大丈夫か?」
「うん。リクオくんは家長さんを見ててあげて。あとあそこで酔い潰れてるバカ猫も。」

そう言って彩乃がちらりと目配せする方向を見れば、従業員の妖怪たちと一緒に楽しそうに扇飛ばしをしているカナと、酔い潰れて仰向けになって気持ち良さそうにいびきをかいて寝ているニャンコ先生がいた。

「……まあ、放っておく訳にもいかねぇしな。」
「そうだよ。特に家長さんは責任を持って守ってあげて。」
「へいへい。」
「……では、案内しやす。」
「あっ、うん。じゃあまた後で!」
「おう。」

彩乃は軽くリクオに手を振ると、リクオは微笑んで見送った。
そのまま良太猫に連れられて店の奥へと消えていく。

「……若とは随分仲が宜しいんですね。」
「――え?うーん、そうかな?……そう見える?」
「ええ。貴女と話す若はとても楽しそうです。」
「そう……なの?リクオくんには色々助けてもらってるから、私にとっては恩人ではあるけど……」
「これはこれは……若も苦労しそうだ。」
「え?」
「なんでもありやせんよ。」
「?」

良太猫の意味深げな言葉に彩乃は不思議そうに首を傾げると、彼は誤魔化すように苦笑を浮かべた。
益々意味がわからない。
そのまま少しの間雑談をしながら長い廊下を歩くと、良太猫がある部屋の前で足を止めた。

「入ってください。」
「ええ、ありがとう。」

良太猫が襖を開けてくれたので、軽くお礼を行って中に入ると、彼は座布団を2つ持ってきて、それを畳の上に敷いてくれた。

「今、お茶をお持ちしやすね。」
「あっ、お構い無く。名を返すだけだし。」
「そうですか?」
「うん。ささ、良太猫……だっけ?座って。」
「あっ、はい。」

彩乃に促され、良太猫は慌てて彩乃の前に敷いてある座布団に座る。
彩乃と向かい合わせに座った良太猫は、緊張しているのか、背筋をピンと伸ばして正座する姿がなんだか固かった。
そんな彼に苦笑すると、彩乃は鞄から友人帳を出して慣れた手つきでパラパラとページを捲った。

「我を護りし者よ。その名を示せ。」
パラパラパラ
ピタ
「……あった。」
ぱんっ!
「――『良太猫』名を返そう。受け取って……」

紙を口に咥えると、彩乃は勢いよく息を吐き出した。
すると紙に綴られた文字が浮き上がり、しゅるしゅると蛇のように良太猫の中へと入っていく。
無事に名を返し終えた彩乃は、疲れたように息を吐き出した。

「……ふう。」
「ありがとうごぜえます。」
「ううん。こっちも名を返せて良かったよ。」

この場所に来たのはリクオに連れられてだったが、こうして良太猫に名を返せたので、彩乃は来て良かったなと思ったのだった。

- 185 -
TOP