第190話「犬神という名の妖」

「うわっ!ち、血だらけの生徒が……」

舞台の上ではリクオに負けてボロボロに傷ついた犬神が座り込んでいた。
犬神はヨロヨロと立ち上がると、負けたというのに笑っていた。

「俺を……ズタボロにしやがった……あんときと同じように……くくく……アホめらが……テメーはもうしまいじゃー!!」
「!?、なんだと……?」
「首無!リク……っ!」
「彩乃!?あぶねーからこっちくんな!」

彩乃が人込みを掻き分けて漸く舞台の上に辿り着くと、思わずリクオの名を叫びそうになって慌てて口を手で押さえた。
ここには全校生徒が集まっている。うっかりリクオの名を叫んで彼の正体がバレてはまずいと咄嗟に判断した彩乃は、慌てて口を噤んだ。
彩乃に気付いたリクオは、犬神を警戒しながら彩乃に危ないから下がっていろと手で制した。
そんなリクオに彩乃は小声で話しかける。

「でも、リクオくん……!」
「俺は……俺はよおー……"恨めば恨むほど……強くなる妖怪"なんぜよ……」
「犬神……」

傷だらけになって、立っているのもやっとの筈なのに、それでもまだ戦おうとする犬神に、彩乃はもう見ていられなかった。
勝負はもうついたのだ。犬神は負けた。
もう戦う力は残っていない筈なのに、本人はそれに気付いていないのか、まだ戦おうと立ち上がる。
いや、もう気付いているのに、それに気付いていないふりをしているのかもしれない。
或いは、気付きたくないのか…… 

「オラっ……飛べよぉっ!首がっ……!!なんで……おい、なんで変化しねぇ!!」
バササッ
「!?」
「よ、夜雀ぇぇ!?」

その時、突然玉章の側近である夜雀が現れて舞台の上の照明を破壊した。
薄暗かった体育館は完全に暗闇に覆われ、飛び散るガラスの破片に生徒達はパニックになった。

「……っ、犬神!」
「おい彩乃!?」
「駄目だ彩乃!戻れ!!」

真っ暗で何も見えない筈の状況の中で、彩乃は犬神の元へ行こうと駆け出した。
何故、そんな危険なことをしようとしたのかはわからない。
だけど、あの時の私には見えていたのだ。
犬神に近づく玉章の姿が…… 

「た……玉章……!?」
「失敗したんだね。バカな犬神……残念だよ。君は……君の能力は……人を呪い恨み、強くなる。なのに……君は恨む相手を畏れてしまったようだ。恨みが畏れに変わったら、君はもはや……役立たずになる。」
「な……何、言ってんだ?玉章……そんなこと……言うなよ!!俺を認めてくれたのはお前じゃねえか!そうだろ!?なあ、俺はまだやれる!!」
「いや……もう――終わりだ。」
「玉章……!」
「散れ。カス犬……」

玉章がゆっくりと犬神に手を伸ばす。
――あの手に触れさせてはいけない。
彩乃は瞬間的にそう思った。

「だめぇぇぇーー!!」

このままでは間に合わない。
駆け出す足にぐっと力を込めて、彩乃は勢いよく地を蹴った。
そのまま勢いに任せて犬神に飛びつく。

ダンッ!
ズザザァァ
「――っ!」
「……ってぇ!!」
「……おや。」

彩乃が犬神に飛びついたことで、犬神は後ろに倒れ、間一髪で玉章の手に触れることはなかった。
背中を思いっきり打ち付けた犬神は何が起きたのか解らずに痛みで顔を歪め、彩乃は犬神を押し倒したまますぐに体を起こして玉章を睨み付けた。
犬神を守った彩乃の予想外な行動に一瞬驚いた表情を見せた玉章だったが、すぐに冷静になり、彩乃を嘲笑うように眺める。

「――あなた……今、犬神を……」
「……驚いたな。まさか君が犬神を助けるなんて。昨日殺されかけたのに、バカなの?」
「今はそんなことどうだっていい!」
「役立たずを始末するのを邪魔しておいて、どうでもいいって……失礼だな君は。」
「――っ!?何……言ってんだよ……玉章!?」

玉章の口から「始末する」なんて言葉が出たことで、犬神は青ざめた顔で玉章を見る。
その顔は信じられないと言いたげで、犬神は自分が先程玉章に何をされそうになったのか、理解したくないようだった。
そんな犬神をまるでゴミを見るような冷たい目で見下ろすと、ビクリと犬神は肩を跳ね上げた。

「犬神……お前にもう価値はない。用済みだ。」
「た……玉章!!」
「目障りだ。さっさと僕の前から消えろ。」
「――っ!?」
「玉章。犬神が……どれだけあなたに忠誠を誓ってたか解ってるの!?」
「知ってるさ。だから利用しやすかったよ。……捨て駒としてね。」
「――っ!?最低!!犬神の気持ちを知っていながら、彼を利用するだけ利用して、用済みになったら消そうとするなんて……玉章にとって、犬神は本当にただの捨て駒だったの?少しも……大切だとは思わなかったの!?」

彩乃が吐き捨てるように叫ぶと、玉章はやれやれと肩を竦めた。

「使い捨ての駒なんか、大切に思うわけないだろ。」
「……っ」
「……ひどい。」
「――くだらない。そんなカス犬一匹に、何を熱くなっているんだ。」
「……それがわからねぇなら、テメェは上に立つ資格なんざねぇよ。」

彩乃と玉章が会話をしている間に彼の背後に近づいていたリクオ。
それに気付いていた玉章は、特に驚いた様子もなくゆっくりと振り返り、その瞳にリクオを映した。
その時、時間通りにプロジェクターは作動し、舞台の上に立つ者たちの影を、色濃く映し出したのだった。

「おや、奴良リクオ……昨日はどうも。まさか君が……そんな立派な姿に……なるとはね。」

玉章はリクオの夜の姿を見て不適に笑った。

「君をどうやらみくびっていたようだ。ふふ……君は面白い。闇に純粋に通ずる魔導――今の君になら、僕の本当の姿を見せるに相応しい。」

そう言うと、玉章の体を沢山の葉が纏わりつくように覆った。
ぶわりと風が吹き、その葉は上へ上へと舞い上がる。

「僕は――四国八十八鬼夜行を束ねる者。そして八百八狸の長を父に持つ者。妖怪・隠神刑部狸。名を――玉章。君の"畏"を奪い。僕の……八十八鬼夜行の後ろに並ばせてやろう――……」
「……それは……こっちのセリフだぜ……豆狸。」

舞台の上で2人は暫し睨み合うと、面の下で玉章は笑った気がした。

「それでは。さらばなり……また会おう。」
「……芝居がかった狸だ。」
「四国……八十八鬼夜行……?」
「若?」
「……玉章……何でだよ……」
「……犬神……」
「消えるぞお前ら。終幕だ。」
「……行こう。犬神……」

彩乃は玉章に見捨てられ、絶望の表情を浮かべて茫然と佇む犬神の手を取り、歩き出す。
犬神は彩乃の手を振り払うでもなく、なんの抵抗もせずにすんなりとついてきた。
それが、彩乃はなんだかとても悲しくて、犬神の気持ちを思うと……辛かった。

「妖・怪・退・散ーー!!」
バリバリバリィィィン!! 

リクオの一言を合図に氷麗達もそそくさと舞台の上から退散していく。
そしてそんなタイミングを見計らったかのように、絶妙なタイミングで清継がスクリーンを突き破って登場したのであった。
体育館を後にする彩乃達の背後では、全ては清継による「演出」だと勘違いした生徒達の歓声が響き渡っていた。

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