第191話「矛盾する気持ち」

あれから彩乃たちはすぐに体育館裏に移動した。
そして今は傷だらけの犬神を巡って、彩乃と首無たちが揉めていた。

「――ダメっ!!絶対ダメ!!」
「退くんだ彩乃!!そいつは拘束して奴良組に連れて行く!!」

玉章に見限られ、置き去りにされた犬神はボロボロだった。
先のリクオとの戦いで体はもちろん、心だって……
それなのに、人気のない体育館裏に移動した途端、首無が犬神を拘束し、奴良組に連れて行くと言い出したのだ。
それに憤ったのは勿論彩乃で、彼女は犬神を背に庇うと首無を怒鳴り付けたのだった。

「――やめてよ首無!!犬神は怪我してるの!!乱暴なことしないで!!」
「そいつは敵なんだぞ彩乃!!」
「わかってる!!わかってるけど……でも、このまま犬神を奴良組に連れていってどうするつもり?犬神は……どうなるの!?」
「それは……」

彩乃の問い掛けに首無は言葉を詰まらせた。
それに彩乃は「やっぱりそうなんだ」と確信した。
彩乃とてわかってはいるのだ。
犬神は奴良組幹部である狒々とその部下たる狒々組を全滅させた上、多くの奴良組の土地神や傘下の妖怪たちを殺した四国妖怪の幹部だ。
彩乃も友人帳を狙って襲われ、危うく殺されかけたし、大切な家族のニャンコ先生まで大怪我をさせられた。
その上奴良組の大切な跡継ぎのリクオにまで手に掛けようとしたのだから、彼をこのままなんのお咎めもなく野放しにしておく訳にはいかないだろう。
当然拘束した上で尋問し、黙秘すれば拷問。 
そして運が悪ければ多分、始末されてしまうだろう。
――いや、きっとそうなる。
だって、これ程までの事をしてしまったのだ。
心優しいリクオならもしかしたら命までは取らないかもしれない。
無罪放免にはならなくとも、何らかの制裁の後、許してくれるかもしれない。
でも……他の奴良組の者たちはそれでは納得しないだろう。
いくらリクオが奴良組の次期三代目であろうが、今のリクオはあくまでも「候補」である。
最終的な決定はぬらりひょんが下すだろうし、リクオの言葉には今はまだ奴良組の者全てを黙らせられる程の力はない。
それに……きっと犬神を生かすなんて判断をしたら、殺された仲間に示しがつかないだろう。
皆が望み、納得できる形を取れば……それはもう、犬神を始末するしかないのだから……
犬神のしたことは決して許されることではないし、許してはいけないことだ。
だけど、彩乃はその償いとして殺すのはどうしても納得できない。
彼は人間ではない、妖怪だ。
だから人間のように法律で裁かれたりはしない。
妖怪の世界での制裁は、その死をもって償わされることだろう。
一生をかけて後悔し、罪を償っていくなどきっと人間だけの考えだ。
大切な仲間を殺されて恨まない訳がない。
憎いだろう。恨めしいだろう。殺してやりたいと思うのは人間も妖怪もきっと同じだ。
だけど、それでも……彩乃はやっぱり犬神には死んでほしくないと思う。
犬神は妖怪だ。
けれど少し前までは「人間」だったのだ。
犬神に触れて、彼の過去と想いを知った。
犬神は玉章に出会いさえしなければ、きっと普通の人間のままでいられただろう。
玉章に出会わなければ、妖怪として覚醒することもなく、人のままで一生生きていけた。
――けれど、犬神はそんなことは望んでいなかった。
玉章を憎みながらも、自分の中に眠る妖怪としての力を引き出すきっかけをくれた玉章に深く感謝しているからだ。
だから玉章の為に何でもやったし、玉章なら己の望む世界を実現できると誰よりも彼を信じ、忠誠を誓ってきた。
けれど玉章に裏切られた今、犬神には何もない。
――確かに犬神は許されないことをしたし、彩乃も彼を許すつもりはない。
だが、このまま犬神を奴良組に引き渡せば、犬神は間違いなく殺されるだろう。
それがわかってて犬神を差し出すなんて真似、彩乃が出来る訳もない。
彩乃は犬神の記憶に触れて、彼のことを知った。
同情もした。孤独に苦しむ姿に共感すら覚えた。
――でも……彼を許せないとも思った。
そして……それでも死んでほしくないと、強く……強く思ったのだ。
――だから、彩乃は犬神の命の保証がされていない状況で彼を奴良組に渡すことはできない。
犬神にはそれなりの制裁は受けてもらう。
ちゃんと罪は償ってもらう。
けれど、殺させはしない。
――それだけは、させない。
彩乃は強く、強く、それだけは守ってみせると決意した。

「……彩乃、退いてくれ。」
「……犬神の安全を保証して。そうじゃなきゃ、引けない。」
「……それは俺の決めることじゃない。」
「……リクオくん……」
「……っ」

彩乃はリクオに僅かな希望を抱いて彼を見る。
しかし、リクオは険しい表情を浮かべ、何も言わない。
とても難しいことなのだと、彩乃もわかっている。
この場で簡単に決められることではないことも……

「……リクオくん……」
「……ごめん。この場で僕一人の一存で軽はずみな約束はできない。」
「……っ」
「…………退けよ。」
「っ、犬神!?」

その時、ずっと心ここに有らずといった様子で一言も喋らずにぼんやりとしていた犬神が言葉を発した。
犬神は彩乃の肩に手を置くと、邪魔とばかりに後ろに引っ張る。

「……連れて行けよ。縛るなり殺すなり好きにしろ。」
「犬神っ!?」
「……悪いな彩乃。」
「首無!」

首無は申し訳なさそうに彩乃をちらりと一瞥した後、犬神の体を紐で拘束した。
それに彩乃は咎めるように首無の名を叫ぶが、首無は彩乃と目を合わせてはくれなかった。
自分で歩けるよう、足だけは拘束しなかった為、そのまま虚ろな瞳の犬神を連れて歩き出す。

「犬神!!首無!!……リクオくん!!」
「……ごめん。」
「……彩乃さん、わかってください。あれは敵です。」
「……っ」

大人しく連れて行かれる犬神に、彩乃はリクオに助けを求めるように名を叫ぶが、リクオは申し訳なさそうに謝りはするが、止める気はないようだった。
そして気まずそうに彩乃から目を逸らした後、ずっと黙って事の成り行きを見守っていた氷麗が彩乃を諭すように言った。
こればかりはどうにもできない。
そう言われたようで、彩乃は言葉を詰まらせた。

「……犬神……」

彩乃は去っていく犬神の背中を悲しそうに見つめながら、静かに名を呼ぶのだった。

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