第200話「覚悟を示せ」

「――待て、夏目。」
「牛鬼。鴆……」

彩乃が犬神を連れて部屋を出ようとしていると、牛鬼に呼び止められた。
隣には鴆もおり、二人共険しい表情をしている。
二人が犬神を警戒してずっと部屋の前で見張っていたことを知っていた彩乃は、二人の登場に驚きはしなかった。
ただ静かに二人を見つめ、彩乃は言葉を発した。

「――お願い。行かせて欲しい。」
「駄目だ。」

彩乃の言葉に牛鬼は一呼吸の間もおかずに答えた。
それに続くように鴆も口を開く。

「彩乃、解ってくれ。そいつは敵なんだ。野放しにする訳にはいかねぇし、それにお前を危険な場所に行かせる訳にもいかねぇよ。」
「鴆……危険なのはわかってるよ。でも……」
「駄目だと言っている。」
「牛鬼……」

どうしても玉章の元へ行きたい彩乃と、どうあっても彩乃を行かせる訳にはいかない牛鬼は、暫く見つめ合うと、彩乃は緊張を解すように小さく吐息を吐き、まっすぐな目で牛鬼を見据えた。

「――どうしても行かせてくれないの?」
「当たり前だ。勝手に捕虜を連れていくな。それにお前はリクオの大切な友人だ。危険に晒す訳にはいかん。」
「心配してくれてありがとう。でも……ごめん。私たちは行くよ。」
「夏目!!」
「……どうしても行くと言うのなら、お前は責任を果たすことができるのか?」
「――え?」

「責任」という突然の牛鬼の言葉に、彩乃は意味がわからずに目を丸くする。
すると牛鬼は鋭い目を細め、ますます眉間のシワを深くしてより険しい表情を浮かべた。

「其奴は主に見限られたとは言え、四国妖怪の幹部。狒々を手に掛け、我等奴良組に刃を向けた敵だ。それを勝手に連れ出すことへの責任を果たすことが……お前にできるのか?」
「責任って……」
「まさか、其奴を連れ出すことがどれだけの問題になるかも考えていない程、お前は愚かな子供ではあるまい?」
「それは……」

牛鬼の「責任」という言葉の重みを理解して、彩乃は思わず言葉を詰まらせた。
――犬神を玉章の元へと連れて行くということは、様々な危険を奴良組にもたらしてしまう危険があった。
もしも、犬神が玉章の元へと戻ることを決意してしまい、再び奴良組の敵になってしまったら……?
そうなった場合、敵の戦力を増やすことになるし、何よりも折角捕らえた敵の幹部から玉章に関する情報を得ることが出来なくなってしまう。
牛鬼はそれを危惧しているのだ。
そしてそうなった場合、彩乃にその責任を取ることが出来るのかと問うている。

「……夏目。お前には何もできない。それをするだけの力がお前にはない。そうだろう?
計測な行動は責任を取る覚悟がないのならするべきではない。」
「……っ」

牛鬼のもっともな言葉に、彩乃は黙り込んで俯く。
確かに、その場の勢いで連れ出そうとしていた。
責任だの、その後がどうなるかまでは深く考えていなかった。
ただ、なんとなくいけないことだと理解していて、それでも犬神が望むのならばと玉章の元へと連れて行こうとしていたのだから……

「……っ」

自分はなんて軽率だったんだろう……
犬神を連れ出すのなら、自分の命すら差し出してでも責任を取る覚悟をするべきだったのだ。
彩乃が言葉に詰まってぎゅっと拳を握り締めると、牛鬼は俯く彩乃をじっと見下ろした。

「……解ってくれたか?」
「……っ……でも……」

犬神の側にいると自分は約束したのだ。
そして犬神もそれに応えてくれた。だったら、私は犬神を信じるし、それをちゃんと形として示さなければ……

「……っ、わかったよ。牛鬼、鴆……」
「……」
「夏目、わかってくれたか!?」
「もしも……犬神が再び奴良組の敵になるようなことがあれば……その時は……私も自分の命を掛けて責任を取る。」
「なっ!?」
「お前……!?」

彩乃は諦めてなどいなかった。
命を掛けなければ犬神を連れ出せないのなら、自分はそれを掛けてでも連れ出す「責任」がある。
だって、犬神を生かすことを望んだのは他ならぬ彩乃自身なのだから……
彩乃の予想外なとんでもない発言に動揺したのは鴆と犬神で、二人は彩乃を信じられないと言いたげな目で見ていた。

「な……何言い出すんだ夏目!?」
「おまっ!自分が何言ったのかわかってんのか!?」
「……その言葉に嘘や偽りはないな?夏目。」
「……うん。逃げ出す気はないし、ちゃんと覚悟を決めたつもりだよ。」
「そうか……」

覚悟を決めたまっすぐな目で牛鬼を見据えると、彼は静かに彩乃を見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。
それに一瞬びくりと肩を揺らして動揺してしまったことに、彩乃は自分で自分の動揺に戸惑ってしまった。
――だって、軽はずみの言葉では決してなかったのだ。
ちゃんと覚悟を決めた筈だったのに……
言葉ではいくら覚悟を決めたと言えても、いざその時になって初めてその覚悟が態度に出るというもの。
まだ14歳の子供の彩乃がいくら覚悟を決めたとしても、結局は恐怖というものは感じてしまうのだ。

「――っ!!」
「……すまなかった。」
「――え?」

彩乃が思わず牛鬼に恐怖して伸ばされた手に目をぎゅっと瞑ると、牛鬼は何を思ったのか、彩乃の頭の上に優しく手を置いたのだ。
ふわりと優しく手を頭の上に置かれ、そのままやわやわと撫でられる。
その上で突然「すまなかった。」などと言われては、彩乃はますます動揺してしまった。

「え?なな!?」
「……脅かしてすまなかった。」
「ええ!?」
「行け、夏目。」
「鴆?」
(え?え?何?どういうこと!?)

先程までの覚悟やら責任やらの話はなんだったのかと言いたげな程、牛鬼は優しく彩乃に申し訳なさそうに謝罪の言葉を向けてくるものだから、状況が飲み込めない彩乃と犬神は訳がわからなかった。
そんな二人に事情を説明してくれたのが鴆であった。
なんでも、彩乃が犬神を玉章の元へと連れていくだろうことは予想していたようで、もしもその時は止めはするが、本気で彩乃が覚悟を示したのならば、その時は黙って送り出そうと鴆と牛鬼は決めていたらしい。

「……なんで、そんな……」
「元々お前が覚悟を示したら、俺たちはお前等を送り出すつもりだったんだ。第一、その犬っころをどうするかはそいつを助けた夏目の自由だしな。」
「試すようなことをしてすまなかった。これも全てお前を想ってのことだ。」
「それは……まあ……ありがとう?」
「はは、まだ混乱してんな。いいから……行ってこい。」
「え?う、うん?」

まだ状況がよく飲み込めないまま、彩乃は鴆に背中を押されて屋敷を送り出されたのだった。

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