第199話「犬神の居場所」

「――私も同じだよ。何も……なかった。私の両親はね、私が小さい時にはもうどちらもいなかった。親戚や、時には施設に預けられたりして、みんな私を疎ましく思いこそすれ、愛してはくれなかった。でもそれは……私にも悪いところがあって、きっと大切に思おうとしてくれた人はいたんだと思う。私が……それを台無しにしてしまったんだ。誰かに必要とされたい、愛してもらいたいって思ってても、心の底ではそんな人いないって思ってて、それがきっと、周りに伝わって可愛いげのない子供だったと思う。」
「でも今は……いるだろ。お前を大切に想う奴。」
「……そうだね。藤原さんたちは私を本当の家族として大切にしてくれてるし、友人にも恵まれた。今はとても幸せだと思う。なのに……私はそれを信じられないとも思ってる……」
「……」
「いつか……私の大切な人たちが私のことを疎ましく想うようになったらって思うと怖い。
今は優しくしてくれていても、いつか……見捨てられるんじゃないかって疑ってしまう気持ちを……どうしても消せないの。だから、こんな……こんな嫌な気持ちを抱くくらいなら……ひとりの方がいいって、ずっとひとりでいた方がいいって……ずっと思っていたし、きっとこれからも考えるんだと思う。それでもね、犬神……ひとりぼっちは嫌だし、寂しいよ。」
「お前は……何が言いたいんだよ。」
「ねぇ犬神……自分の居場所は……きっと待っているだけじゃできないんだよ。与えられた場所を流されるままに受け入れるんじゃきっと……それは本当の居場所にはならなくて、自分で探したり、作らなきゃ出来ないんだ。」
「?」
「自分の居場所は……自分が側にいたいと想う人の所だったり、帰りたいと想える場所なんだよ。きっと……」
「――俺には……もうそんな奴も、居場所もねえよ……」
「……本当に、そうなのかな?
――もしかしたら、気付けないだけで、犬神を見ててくれた人はいるのかもしれない。気にかけてくれてた人がいたのかもしれない。私にも……」
「そうだとしても……だったらなんだよ。そんなの……側にいてくれなきゃ、意味ねぇだろ!!
俺は……誰かに必要とされたいんだ!!」

それは……犬神の心の底からの願いだった。
涙を流しながら叫んだ犬神の本当の想い……彩乃には痛いくらいよくわかる。

「だったら……だったら……私が犬神を大切に想うよ。」
「――は……?」
「誰かに必要とされたいのは私も同じ。だから……友達になろう!」
「何、言って……」
「私は……犬神と友達になりたい。今の犬神に居場所がないのなら、犬神がいたいと思える場所ができるまで……私が側にいるよ。」
「なっ!?」

彩乃のストレートな言葉に、思わず頬をほんのりと赤らめる犬神。
そんな犬神に彩乃はふわりと柔らかく微笑むと、言葉を続けた。

「犬神が私といたいと少しでも思ってくれるなら、私はそれに応えたいし。他に道を探したいのなら協力する。でも、でももしも……」

そこまで言って、彩乃は笑顔を消して真剣な表情を浮かべる。

「――犬神がまだ、玉章の側にいたいと望むならそうしてもいい。また敵対するのは悲しいけれど……それが犬神の本心なら止めない。でもね……もしもまた玉章があなたを殺そうとするのなら……私は玉章を一生許さないし、犬神が何と言おうが玉章から引き離す。それで犬神に恨まれたとしても、あなたが死んでしまうよりはずっといい。」
「お前……何でそこまで俺のこと……」

何故敵である自分をここまで必死に想ってくれるのか、彩乃の気持ちがわからない。
戸惑いを隠せない犬神に、彩乃はにっこりと笑いかける。

「そんなの……私にもわかんないよ。ただ、犬神のことを放っておけないの。」

少し照れくさそうにはにかむ彩乃に、犬神は悲しくもないのに泣きたくなった。

「それで……犬神はどうしたいの?」
「俺は……わかんねぇ。玉章のことは元々恨んでたし、大っ嫌いだ。でも……あいつは俺に力と居場所をくれた。……恩人なんだ。それは殺されかけても変わんねぇ。」
「そう……」
「でも……正直今は迷ってる。」
「――え?」

犬神の意外な言葉に彩乃はきょとりと目を丸くすると、犬神はまっすぐに彩乃を見つめてきた。

「お前がさっき俺にかけてくれた言葉が……すごく嬉しかったんだ。だから……お前の側に居てみたいとも、思ってる……」
「犬神……」
「俺がどうしたいのか、どうしたらいいのか……俺にもわかんねぇ。」
「――だったら実際に玉章と会ってみて、それから決めればいいだろう。」
「!?」
「――ニャンコ先生?」

今までずっと黙って様子を見守っていてくれたニャンコ先生の言葉に、彩乃も同じことを思ったのか小さくコクリと頷いた。

「……そうだね。犬神はどうする?」
「俺は……」
「玉章に……会ってみる?」
「……」

彩乃の言葉に、犬神はすぐに答えることができなかった。

――玉章に会いたい…… 
会って、自分がどうしたいのか確かめたい……
だが……あんな風に拒絶されて、また同じような目に合うかもしれないと思うと……怖くなった。

犬神は不安になって、顔を上げてなんとなく彩乃を見れば、それに気付いた彩乃は犬神に優しく微笑んでくれた。
それだけで……決意ができた。

「俺……玉章の所に行くぜよ。」
「――わかった。なら、私も一緒に行くよ。」
「……いいのか?」
「友達の為ならね。」
「とも、だち……」

まるで覚えたての言葉のように辿々しく口にしたその言葉は、犬神の胸にじんわりとした温かさを生んだ。
くすぐったいような、少し照れくさいような、ゾワゾワとするそんな気持ち。
慣れない感情に、犬神は戸惑い、気持ち悪いと思った。
けれど……不思議と嫌ではない。
何か……とても大切にしたい。そんな風に思えるのだ。

「――行こうか。犬神……」

彩乃が犬神に手を差し出すと、犬神は自分に伸ばされたその手を戸惑うように見つめ……少し躊躇った後、ゆっくりと彩乃の手を取った。

「――ああ。」

それに彩乃はにっこりと嬉しそうに笑顔を浮かべ、犬神は無意識にぎゅっと握る手に力を込めた。すると……
やっぱり握り返してくれた少女の手は自分よりもずっと小さくて、柔らかく。
だけどその温もりは思ったよりも冷たくて、少女の優しい笑顔をからは不釣り合いで……
だけどしっかりと握り返してくれたその手は不思議と犬神に勇気をくれたのだった。
嘗て、玉章にも差し伸べられた手……
あの時は恐怖と、憎悪。
そしてあの男の作り上げようとする世界を見てみたいと願い。
その為に玉章に自分の命、一生。自分の持ってるもの全て差し出して力になると忠誠を誓ってその手を取った。
あの時感じた支配される感覚とは真逆の少女の優しい手。
まるで母親のように包み込んでくれるその温もりは、嘗ての犬神が欲しくて欲しくて堪らなかったものだ。
この少女の側はとても居心地がいい。
犬神に温もりと安らぎをくれる。
もしも……自分がこの少女の手を本当の意味で取ったなら、離したくないと願ったなら……
この少女は受け入れてくれるのだろうか?
犬神はふとそんなことを思ったのだった。

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