第258話「蛇の目傘の妖」

「――あ。」

下校の途中、田沼たちと別れてふと空を見上げると、晴れの日に傘が飛ばされているのが目に映った。
風も吹いていないのに、不自然に宙を舞っている傘を思わず凝視していると、それはふわりと彩乃の目の前に落ちてきた。

「――俺が視えるのか。人の子よ。」
「!」

落ちてきた蛇の目傘をじっと凝視していると、その傘からズルリと這い出るように顔中を包帯で覆われた男が現れた。
その男は傘から完全に出てくると、彩乃を値踏みするように頭から爪先までジロジロと見てきた。

「……妖……」
「――ふむ、容姿は悪くない。ではお主に致そう。人間などに触れたくないが、仕方あるまい。さあ……お前の体を頂くぞ!」
「!?、何!?やめ……」

蛇の目傘の妖怪はそう言うと、彩乃に襲いかかってきた。
大きな手で顔を掴まれ、そのあまりにも強い力にギリギリと骨が悲鳴を上げる。
苦痛に顔を歪めると、彩乃はすぐに拳を構えて男の顔面目掛けて振り上げた。

「痛い!やめろっ!!」
ドガッ!!
「ふがぁっ!!」

彩乃に殴られた蛇の目傘の妖怪はバッタリと倒れると、丁度そこへタイミングよく散歩中のニャンコ先生が通りかかった。

「――む?彩乃、また妖に絡まれたか……」
「ニャンコ先生……」
「お前は本当に気が短いな。カルシウム(これ)でも食え。」
「いらないよ。」

そう言いながら彩乃に食べ終えて頭と骨だけになった小魚を放り投げてくる先生。
そんなやり取りを彩乃たちがしている間、殴られた蛇の目傘の妖怪は痛そうに顔を押さえて起き上がる。

「……うう……くそう、俺としたことが……しかし人間のくせにこの力……どうやら良い『器』を見つけたようだ……決めたぞ。何が何でもその体を頂こう。」
「――っ!?」
(何なのこいつ……いきなり現れて……)
「お待ちなさい。アカガネ。」

ギラギラと獲物を狙う獣の様な目をしてくる蛇の目傘の妖怪に警戒する彩乃であったが、不意にそんな彼に制止の言葉をかける透き通るような凛とした女の声がした。
驚いて声のした方を見れば、それは蛇の目傘の妖怪の腰にくっついている瓢箪(ひょうたん)からだった。

「人の子よ。この者の無礼をお許しください。私の為の行いなのです。」
(――瓢箪から声がする……)
「アサギ、喋るな。疲れてしまうぞ。」
「……ぅぅ……」
「……眠ってしまったか……」
「――アサギ?聞いた名だ。高貴な神や妖が集う幻の郷、『磯月の森』に『アサギ』という美しき蒼琴弾きがいると……」
「そうだ。アサギは美しき花や楽に囲まれ、蒼琴を弾いて壬生神様にお仕えしていた……だが、病でその身が崩れ始め、楽を奏でることも出来なくなって里へと帰されたのだ。その身は爛れ、もう神に見えることも弦を弾くことも出来ぬ……」

そこまで話すと、蛇の目傘の妖怪はとても悲しそうに目を細めた。

「よく笑う奴だったのに、すっかり元気がなくなった。もう一度蒼琴を弾けば……弾かせてやれば少しは気が晴れるかもしれんのだ。」
「……」
「だから人の子よ。アサギの為に暫くその器(からだ)を乗っ取らせてくれ!!」
「えっ!?」
「貸せ!!寄越せ!!」
「待てコラ低級!それは私のだ!」
「ええい!!言うことをきかねばその耳か鼻を食いちぎってやるぞ!!」
「なっ!?わっ、ちょっ!やめ……」
「ふんっ!」
ガブリ! 
「ギャー!?タヌキに噛まれた〜〜!!おのれ諦めんぞ!!」
「あっ、ちょっ!」
どろんっ! 

ニャンコ先生に頭を噛みつかれた蛇の目傘の妖怪は、びっくりして姿を消してしまった。

「……なんなのよ……」

彩乃の呟きは、風に乗って空気に溶けていった。
――妖に迂闊に関わると、ろくなことにならない。
ましてや体を貸すなんてもってのほかだ……
だけど……

『よく笑う奴だったのに……』

――でも少し……気の毒だと思った。
まさかその日の夜、ニャンコ先生が留守にしているのを良いことに、あの妖が部屋に忍び込んでくるなんて、彩乃は夢にも思わなかったのであった。

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