第264話「アカガネの想い」

「――美しい所でした……」
「いつまでも居たかった。」
「――ずっと……」

ずっと――
――"私"は、いつまで……

『彩乃ちゃん』
『彩乃』

いつまで、ここにいられるんだろう……

ざらっ

自分の肌に違和感を感じて、思わず手のひらを見る。

さらさら……
ボロッ
ボロボロボロ……

肌が崩れる。
まるで砂のように、さらさらと、指が、崩れ落ちる……

「あっ……うわぁぁぁーー!!!」
ガバっっ!!

彩乃は恐怖で飛び起きる。
自分の叫び声に驚いて、起きてしまったようだ。
ドクドクと心臓の音が大きく聞こえる。
呼吸も荒く、冷や汗が止まらない。

「――っ、ハァハァ……」
(――今のは……アサギの……)

思わず自分の手のひらを見て確認してしまう。
指はきれいに5本揃っており、自分の肌が崩れた訳ではない。

(――あれはきっと、アサギの夢……)

彩乃が茫然と手のひらを見下ろしていると、ふと気配を感じて顔を上げた。
そこには、こちらを心配そうに見ている蛇の目さんがいた。

「――蛇の目さん……」
「……起こしてしまったか、夏目。」
「……アサギなら、今は眠ってしまっているよ。彼女と話したいなら……「三本だ。」
「アサギの右手の指はもう、三本しかない。」
「……」
「……感謝している夏目。あいつが笑っているのを見たのは……壬生様の御膳で幸せそうに楽を奏でていたのが最後だった。」

蛇の目さんはまるで懐かしむように目を閉じてアサギとの思い出を語る。
だけど……

「――だが、その演奏中、突然肌が崩れ始めた。憧れてやまない、壬生様の前で……」
(――白く伸びる指も、光る頬も……今はもう……)
「……調べて、わかったんだ。明日の満月の夜、磯月への道が開く。それまでに琴を完成させ、もう一度……最後にもう一度壬生様の前で弾かせてやりたいのだ。この機会を逃したら、次に森の入り口が開くのは、何年先になるかわからない。」
「……蛇の目さんは、どうしてそこまでアサギの為にがんばるの?」

彩乃の問い掛けに、蛇の目さんは少しだけ肩を揺らしたが、すぐにまた淡々と話し始めた。

「……逃げるようにあの方の元を飛び出してしまってから、アサギはよく泣くのだ。俺は……あいつには笑っていてほしい。それまでどうか、お力を……夏目殿。」

蛇の目さんはその時、初めて私に敬称をつけて名を呼んだ。
畳に両手をついて、まるで武士のように頭を深く下げる彼に、私は目を細めて、彼を静かに見つめる。

「――蛇の目さんは……アサギがとても好きなんだね。」

彩乃の言葉に、蛇の目さんは一瞬息を飲んだ。
大きく見開かれた目で彩乃を凝視し、やがてゆっくりと目を閉じた。

「――俺は……」
『――こんにちは、アカガネ。』

脳裏に浮かぶのは、初めてアサギと出会った、あの日の彼女の笑顔。

「ただの……傘持ちさ。」
「……そっか。」

それはまるで、自分に言い聞かせるように……
――きっと、蛇の目さんはアサギが好きなんだと思う。
少なくとも、とても大切には思っているだろう。
だけど……その気持ちに名をつけるのが怖いのかもしれない。

(……少しだけ、その気持ちがわかる気がする。)

私も、きっとまだ、この気持ちに名をつけることなどできないから……

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