第277話「東方の森」

彩乃たちは的場の屋敷を後にすると、森の中を走っていた。
彩乃を横抱きしたまま森の奥を目指すリクオに、彩乃は不思議そうに彼を見上げた。

「……あの、リクオくん……何処を目指してるの?あと、そろそろ下ろしてほしいなぁー……」
「何でだ?別にこのままでもいいだろ?」
「……いや、恥ずかしいから、そろそろやめてほしい。」
「くく、そりゃあ残念だ。」
「お前等イチャつくなら他所でやれ。」
「いっ!?イチャついてなんてないもん!!」

ニャンコ先生に心底呆れた眼差しで言われ、彩乃は羞恥のあまり頬が赤く染まる。
それをリクオは面白げに眺めた後、ゆっくりと彩乃を地面に下ろしてくれた。

「――それで、何処に向かうつもりなの?」

彩乃がそう尋ねると、リクオは彩乃が持っている壺見つめた。

「そいつ等の親玉の所だ。このまま帰っても、また、友人帳を狙って、彩乃が襲われちまうだろ?だからケリをつけに行く。」
「なっ!?お頭様の所へだと!?やめろ!あのお方は関係ない!」
「関係ないわけねえだろ。子分のしでかしたことは、大将の不始末だ。」
「そんな……」

壺の妖が消沈したように声を漏らす。
自分達の勝手な行動で、主に迷惑をかけることになるのが嫌なのだろう。
彩乃はこの壺の妖に少しだけ情が湧いていたので、なんだかちょっとだけ可哀想に思えてしまう。

「……リクオくん、彼等の主とは私とニャンコ先生だけで会いに行ってみるよ。」
「なっ!?それじゃあもしものことがあったらどうするんだ!」
「でも……今のリクオくんが一緒だと警戒されそうだし、人間の私だったらまだ穏便に済ませられないかな?」
「お前……」

壺の妖が何か言いたげに、彩乃に視線を向けるが、リクオは納得いかなさそうに眉をしかめる。
その時であった。

「いたぞ。」
「!!?」
「いたぞ夏目だ。友人帳をよこせ。」
「……ああ……あの壺は……」

ガサリと草むらが揺れたかと思えば、猿面の妖たちがぞろぞろと現れたのである。
猿面の妖たちは、彩乃たちを取り囲むようにして集まり、リクオは警戒して、彩乃を守るように肩を抱き寄せた。
そして一人の猿面の妖が彩乃が手に持つ壺を見て、声色を低いものに変えた。

「おのれやはり、忌々しき的場の仲間か!」
「!」

猿面の妖たちの言葉に、彩乃は顔色を変える。
どうやら仲間が封印されている壺を彩乃が持っていたことで、的場の仲間だと勘違いされたようだ。

「違う!!」
「そうだぞ!不本意ながら、こいつが私を奴の下から……」
「おのれ」
「おのれ人間め……」

猿面の妖たちの纏う空気が敵意に満ちたものに変わる。
リクオは警戒して彩乃を背に隠すと、そっと刀に触れた。

「彩乃、下がってろ。」
「でもリクオくん……!」
「災厄のもとめ!!」
「一体どれほどの災いをもたらせば気が済むのだ!!」
「お前など消えろ!!消えてしまえ!!」

怒りが頂点に達した猿面の妖たちが、いよいよ彩乃に襲い掛かるんじゃないかと一触即発の空気の中、突然突風が吹いた。
妖たちの気が一瞬逸れたその時、彩乃の前に本来の姿に戻った斑が彩乃を守るようにして側に現れたのである。

「――先生!?」
「ああ、消えてやるさ。こいつも友人帳も、あるべきところへ帰るのだ。仮にも私はこれの用心棒。次にこれに手を出すならば、お前らの敵は祓い人ではなくこの私……いつでもかかってくるがいい。」
「っ!?」

斑の殺気のこもった威嚇に、猿面の妖たちはビクリと体を震わせる。

「そこまで。」

その時、シャンシャンという軽やかな鈴の音とともに空から声が降ってきた。
その声はとても凛としていて、けれどどこか穏やかで優しい、柔らかな声であった。
突如として空から降りてきた大きな影の正体は、三篠であった。
三篠の頭の上には誰かが乗っており、彩乃の知らない妖であった。

「――三篠……」
「……あっ……お頭様……」
「――やれやれ。何をしているお前たち。勝手なことを……」
「お、お頭様……これは……」

どうやら彼が猿面の妖たちの主のようだ。
彼は猿面の妖たちを困ったように見つめた後、彩乃に近づいた。
思わず反射的に身構えるリクオと斑。
しかし、主の妖に敵意はまるでなかった。

「――どうやら、うちの者が助けてもらったようだ。こやつらの無礼をお許しいただきたい。夏目殿。私の力不足がこやつらを不安にさせたのでしょう。」
「ち、違いますお頭様!」
「我々はただ、なんとかお頭様の力になりたくて……」
「夏目様ーー!!」
「……ん?」

主と猿面の妖たちの会話を遮るように、第三者の怒声が森に響き渡る。

「夏目様ご無事ですか!?」
「おのれ東方の猿共め!!私の彩乃を攫うなんて生意気な!!呪ってやる!!!」
「ヒ、ヒノエ!?中級まで……」

なんとやって来たのはヒノエに中級たちであった。
何故か三人とも非常に殺気立っており、ヒノエに至っては手に鎌なんて持っていて、まるで山姥のようである。

「しばしお待ちを夏目様!!今、命の水を飲みまして、鬼神となってお助けしますぞ!!」
「もやし相手に集団とはヒキョーだぞ!!」
「いざいざ尋常に勝負!!!」
「わー!!やめて!!ありがたいけど、丸く収まりかけてるのに!!」

ぎゃあぎゃあと急に騒がしくなった彩乃たちを見ていた主が、可笑しそうににクスクスと笑い出す。

「――夏目殿は、友人帳を使わずとも動いてくれる妖がいるのですね。」

その言葉に、彩乃はきょとりと目を丸くすると、嬉しそうに微笑んだ。

「――はい。大切な友人たちなんです。」

*******

――そんな彩乃たちの会話を、離れた所から覗き見している人物たちがいた。 

「――何話してるかは聞こえませんが、ありゃあすごいですね。」
「…………」

*******

「騒ぐなお前等。さっさと戻るぞ。」
「――お?何だ。もう撤収かい?」
「……ありがとう三篠。三篠がお頭様を連れて来てくれたのね。」
「ふふ、我が主は中々我が名を呼ばぬゆえ。友人帳などいい加減くれてやれば良いのに……」

三篠の言葉に彩乃は困ったように微笑む。
三篠の鼻をそっと撫でながら、呟くように言った。

「――そうだね。私に代わって、名を返してくれる相手にだったらね。」
「阿呆!!私がもらう約束だぞ!!」
「あっ、そうだった。」
「――帰るか。彩乃。」
「リクオくん……うん!」

シャンシャン
三篠の耳飾りの鈴が風になびいて、軽やかな音を奏でる。
それは東方の森全体に響き渡り、斑に乗った彩乃を中心に、ヒノエたちがまるで列をなすように彩乃の側に寄り添うようについてくる。
それはまるで、百鬼夜行のような光景だった。
そんな彼女達の様子を、空を見上げて見ていたのは的場たち。

「――ありゃあ、格が違いますね。うちの式を集めて掛かっても手が出ないかもしれませんよ的場。」 
「――そうですね……でもやり方は色々ある。」
「……と、言うと?」
「そうですね……」

******

こうして、東方の森の事件はなんとか治まった。
後日、詫びに来た猿面の話によると、あの日以来祓い屋の山狩りは治まったらしく……

「お前がやった大パレードに祓い人がビビったのではないかという噂だ。」
「パレードなんかやってないよ!?」
「ふふ、でもあれはどちらかというと、彩乃ちゃんの百鬼夜行だよね。」
「リクオくん!?」 
「――悪かったな。……学校とかいうお前の仲間の前で、妙な行動を取らせた。」
「――ううん。大丈夫だよ。」

わざわざ謝ってくれた猿面に、彩乃は嬉しそうに笑う。
――いつか……あの人達にも話せる日が来るだろうか。
その時は、怖がらずに話を聞いてくれるだろうか。
気味悪がられたりしないだろうか。
もしも、その時が来たら……

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