第278話「夏休みの始まり」

事の始まりは、夏休みに入る数週間前のこと。
ある日清十字団のメンバーが、いつものように放課後に部室に集まっていた時のことだ。

「やーやー!諸君!集まっているかね!」

勢いよく扉を開け放ち、清継はいつもの様に元気よく部員たちに挨拶をする。
ただ一つだけ、いつもなら誰よりも早く部室に来て、議題の準備をしている筈の清継が、その日だけは珍しく一番最後に遅刻してやって来た。

「ちょっと清継くん遅いんだけど!」
「そんなことよりこいつを見てくれ!」

遅刻してきたことで、待たされた巻は少しだけ不機嫌そうに清継に文句を言う。
しかしそんなことを気にするよりも、余程話したいことがあるのだろう。
清継はいつにも増して興奮した様子で、意気揚々と手に持っていたノートパソコンを開いた。
見ろと言われたので、全員が小さなノートパソコンに集まって画面を覗き込む。

「何……?メール?」
「何これ……『妖怪ハンター清継くんへ』〜〜!?」

画面には一通のメールが開かれており、巻が代表してその内容を読んでいく。
どうやらそれは清継宛に届いた妖怪に関連した相談事の様で、相手は女性らしい。
毎晩枕元に妖怪が現れ、不安で眠れないという。何人もの祓い人に依頼しても解決せず、これまで数多くの妖怪をハントした「妖怪ハンター」である清継に藁にもすがる思いで助けを求めたといった内容だった。
まあ、清継の「妖怪ハンター」というのは間違いなく自称だろう。
それはここにいる全員が知っている。
メールの内容を読み終えた巻がうっさん臭そうな目で清継を見る。

「清継くん何!?ハンターだっけ?大嘘ぶっこいてんじゃん!」
「こーした方が情報が入ってくることが最近判明したんだよ。多少の演出は必要悪!悪!」
「まさか……この子助けに行くの?」
「イタズラかもしれないじゃん。」
「その心配はないよ。この地域に伝わるとある伝説とも符合する部分も多いしね!」

「絶対に何かあるぞ!」と気合を入れて語る清継に巻と鳥居が嫌そうに顔を歪める。
貴重な夏休みをくだらない怪事件に費やしたくないと思っているのだろう。
「えー!やだ行きたくなーい!」とか「貴重な休みなのにー!」とかぎゃーぎゃーと文句を言い出す。
この2人が騒がしいのはいつもの事である。
リクオに惹かれているカナは兎も角として、何故オカルトに興味のない巻と鳥居が清十字団に入ったのかは謎であるが、確かに興味のないことに貴重な夏休みを使いたくはないものだ。
学生の夏休みは長いようであっという間である。思春期の少年少女にはやりたいことが沢山あるどれだけ休みがあっても足りないくらいだ。
そんな1日だって無駄にできない貴重な夏休みを興味のないオカルト活動のために使いたくないというのはしょうがないだろう。
純粋に妖怪が大好きな清継は兎も角、オカルトが苦手なカナや興味のない巻と鳥居にはつまらないことだ。
清継もそれがわかっているから考えた。どうすればみんなの興味を引けるかを。
そして清継は巻と鳥居の興味を引けるだろう魔法の言葉を口にする。

「……ちなみにそこには海があるよ。」
「「!?」」

「海」その魔法の言葉を口にした瞬間、巻と鳥居がピタリと動きを止めて固まる。
夏といえば海。海と言えば……と、簡単に夏と連想できるくらいに、夏休みの娯楽に海は欠かせないものだ。
特に夏休みを遊ぶ気満々であった巻と鳥居にとって、それはとても魅力的な言葉であった。
見る見るうちに2人の目が輝きだし、やる気に満ちてくる。
鳥居なんて嬉しさのあまりテンション高く踊り出している。

「海ーー!!」
「やった!さすが清継くんぬかりない!」
「だろうだろう!?」

やいのやいのとすっかり盛り上がる3人組。
しかしここで待ったをかけたのはやはりリクオであった。

「ちょっと待ってよ!危ないよ妖怪退治なんて!」
「また奴良はー!」
「心配症だなー!」

せっかく盛り上がっていたのに、興ざめするようなことを言い出したリクオに、巻と鳥居は大袈裟だと不服そうに顔を歪めて言う。
けれどリクオに同意して、彩乃はうんうんと頷く。

「リクオくんの言う通りだよ。相手がどんな妖かもわからないのに……」
「私もそう思うわ。何かあってからでは遅いもの。」
「そうだな。危険かもしれない場所に行くのはやめておいた方がいいと思うぞ?」

彩乃の援護射撃とばかりに、心配性組の多軌と田沼が口を挟む。

「安心してください!こいつはたいして危害を加えるような妖怪じゃないですよ。」

巻たちを説得しようとしていた彩乃たちの気持ちを察して、清継が慌てて口を開く。

「その妖怪の名は……”邪魅”!こいつはメールに書いてあるように枕元に立っているだけ!襲ってくる訳ではないんです!そして何よりも古い妖怪だから”主”に通じているかもしれません!」

自信満々に今回の怪事件の元凶であろう妖怪、邪魅について語る清継。
邪魅が危険な妖怪ではないとわかるや否や、巻と鳥居は手を取り合ってはしゃぎ出す。

「よっしゃー!それなら何も問題ないわ!」
「海楽しみー!」

それに慌てたのは彩乃である。
いやいや待て待て!
今清継くんは「枕元に立ってるだけ」と言った。
巻さんたちは「だけ」という言葉にすっかり安心しきっているが、よく考えてみて欲しい。
まったくこれっぽっちも安心できる要素がなかったぞ。

「ちょっと待って3人共!よく考えて!枕元に立つってだけでもうアウトだよ!?
それに本当に邪魅っていう妖が出てたらどうするの?本当に襲ってこないっていう保証はどこにもないし、枕元に立たたれることで呪われるかもしれないよ?……というか「出る」ってだけで怖くないの?」
「はっ!……確かに。」
「1ミリも安心できる要素がなかった!」
「ね?だからやめよう?」
「う、うーん。」

彩乃に危険要素を細かく指摘されて、ようやく冷静になったらしい。
それでも海に対する魅力の方が大きいのか、巻と鳥居は悩ましそうな表情を浮かべていた。
それに彩乃はもう一押しだと声を上げる。

「それに、海に行きたいならわざわざそんな危険な所じゃなくても……いわくつきじゃない海水浴場はいくらでもあると思うし。」
「そ、そうですよね!」
(よし!説得できそう。)

やっと納得してくれたらしい巻たちに彩乃は心の中でほっと胸を撫で下ろす。
しかし、彩乃は甘かった。
そんなことを妖怪BIGLOVEの清継が簡単に許す筈がなかったのである。

「ちょーと待ったァァァァァァァ!!そんなのダメに決まってるじゃないですか!いわくつきじゃない所に行ったって、そんなのはただの旅行!清十字団の活動でもなんでもないです!」
「そっ、それは……」

清継の言葉に何も言えなくなる。
確かに、清十字団は怪奇事件を調査するのが目的の部活だ。
なんの調査もできない旅行なんて、清継が納得する筈もなかった。
言葉に詰まる彩乃。だが意外にもここで彩乃に味方してくれたのは巻であった。

「バッカヤロー!私等に何かあったらどうすんのよ!」
「そうだよ。いくら部活動でも危険な場所へ行くのは……」
「君たち、大事なことを忘れてないかい?」

巻とカナの言葉に清継はやれやれと呆れたように肩を竦めてため息をつく。

「もちろん万が一の可能性もちゃんと考えているさ!その為にプロがいるんじゃないか!」
「……プロ?」
「おやおや忘れたのかい?僕たちには心強い仲間がいるじゃないか!妖怪退治のプロフェッショナル!」
「はっ!そっか……ゆらちゃん!」
「――いや、花開院くんは今回は来ないよ。」
「まったく安心できねーじゃん!」

「ふざけてんのかコラァ」と巻がガチギレして清継の襟首を掴み、ガクガクと揺らし出す。
しかし清継は余裕綽々の笑みを浮かべ、で高笑いをしてみせた。

「ははははは!何を慌てているんだい巻くん。花開院くんが不在でも僕たちには夏目先輩がいるじゃないか!」
「……へ?」

まさかここで自分の名が上がるとはまったく予想していなかった彩乃は、きょとんと目を丸くして間抜けな声を上げた。
しかし皆の視線が自分に集中したことでやっと脳が追いつき、ギョッと目を見開く。

「えっ!?わっ、私!?」
「そうですとも!」
「いやいやいやいや!待て待て!私にそんな力ないよ!?」
「はははは!またまた夏目先輩は!相変わらず謙虚ですね!」
「いや、謙虚とかそういうんじゃなくて……」
「つい最近だって雲外鏡から家長くんを助けたじゃないですか!ね!家長くん?」
「えっ!うっ、うん!」
「あれは!」

突然話を振られたカナが力強く頷いてしまったことで、話はどんどん大きくなっていく。

「そういえばゆらちゃんでさえどうにもできなかった妖怪を、夏目先輩が倒したんだよね?」
「うんうん!夏目先輩がいれば何も怖くないじゃん!」
「そうッスね!」
「そうとも!皆、大舟に乗ったつもりで安心したまえ!」
「いや、あの……」

わーわー!と何も知らない1年組が盛り上がる。
こうなってはもう話を聞いてくれなさそうだ。
いくら彩乃が否定したところで、彼等は彩乃が謙遜しているだけだと思い込んでしまっているのだ。
助けを求めるようにリクオたちを見る。
するとリクオや多軌、田沼、氷麗と目が合った。
4人とも困ったように互いに目配せする。
何かいい案は無いかと必死に考える。

「あっ、あのさ……」
「うおーーー!!海ーーー!!」
「楽しみだーー!!」
「待ってろ邪魅ーー!!」
「「…………」」

清継、巻、鳥居、島の盛り上がりは最高潮に達していた。
それを見て、蚊帳の外だった彩乃たちは悟る。
――嗚呼、これはもう無理だと。
冷や汗をこれでもかとダラダラと大量にかく彩乃。
……目が合う。みんなが諦めたように苦笑を浮かべた。
これはもう、諦めろということだ。
こうして、大きな誤解を生んだまま、不安な夏休みは幕を開けたのである。

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