第280話「菅沼家」

「あなたが清継くんね!」
「え…?」
「大丈夫かしら……メガネはメガネでも頼りなさそうなメガネ男子って感じだけど?」
「ちっ、違います!清継くんはあっち!」
「え?違う?こっちの天パの方?あらぁ……これはこれで……不安。」
「天パ?何だ!天パのどこに問題があるんだ!?」

大きな武家屋敷に近づくと、1人の女の子がこちらに駆け寄ってきた。
かと思えばいきなり人違いの上に失礼なことを言い出す彼女に、清継くんは怒り出す。
そんな彼を無視して、女の子は喋り出す。

「依頼人の菅沼品子です。来てくれてありがとう。……でも大丈夫かしら。一応、期待してます。」

そう言って丁寧に頭を下げながらも、かなりとげとげしい言葉を口にする。
彼女が今回の邪魅の件で悩んでいる本人なのだろう。
私たちが彼女の家である武家屋敷に着くなり、歓迎しているのかしていないのかよく分からない言葉を投げかけられた。
初対面でいきなり貶された清継くんは特に不機嫌そうで、私たちの間には気まずい空気が流れた。

「――まあいいわ。とりあえず上がって!」
「フッハッ!すっごいボロ屋敷だ!奴良くんとこよりもボロいんじゃーないかい?」
「清継くん根に持ってる!?」

品子さんに促されて敷地の中にぞろぞろとみんなが入っていく。
最後尾にいた私とリクオくんは呆気にとられながらも、巻き込まれたリクオくんは困ったように呟いた。

「とばっちりだ……」
「あはは……」

リクオくんになんと声をかけたらいいのかわからず、私は乾いた笑みを浮かべた。
その時、背後からぞくりとした背筋に悪寒のような寒気を感じた。
「その娘に近づくな」まるで耳元で囁かれたような至近距離から声が聞こえて、私は慌てて振り返る。
けれどそこには何もいなくて、私の気のせいだったのかと錯覚しそうになる。
だけどあの耳元で聞こえた声は生々しく耳に残っている。
思わず隣にいるリクオくんの方を見ると、彼も私と同じように怪訝そうな表情で振り返っていた。
私はもしかしてリクオくんも同じ声を聞いたのでは?と期待を込めて尋ねた。

「もしかして……リクオくんにも聞こえた?」
「てことは彩乃ちゃんもか。」
「じゃあ、さっきのは気のせいじゃなくて……」
「あいつから妖気を感じた。もしかしたらさっきの奴が邪魅なのかも。」
「…………」

邪魅は実在するかもしれない。
怪奇事件はもしかしたら品子さんの気のせいだったのでは?という僅かな可能性はこれで完全に消えてしまった。
少なくとも、品子さんは何かしらの妖怪に狙われているのは間違いなさそうだ。
それがこの地域に昔から伝わる邪魅なのかはまだわからないが、「その娘に近づくな」とわざわざ私たちに警告してくるあたり、何もないはずがない。
品子さんが見たという妖怪があいつなのかはまだ確信が持てない。
それでも品子さんの経験した怪奇現象に本物の妖怪が関わっているのはこれではっきりとしてしまったのだ。

「とにかく、油断しないでおこう。」
「うん……」

リクオくんの言葉に静かに頷く。
色々と不安は大きいが、もう引き返すことはできないだろう。
私とリクオくんは一先ずさっきの妖怪のことは置いて、品子さんの家に上がらせてもらうことにした。



品子さんの家に入ってすぐに、私たちは彼女の部屋へと案内された。
邪魅は基本的に品子さんの部屋に現れるという。
部屋に通された私たちだが、品子さんの部屋には既に先客がいた。
1人は中年の女性。もう1人は何やら神社の神主のような格好をした中年男性だった。
だがその2人よりも、私たちの目を引いたものが別にあった。
品子さんの部屋には壁一面にお札が貼り付けられ、その異常すぎる数の札はこの部屋の異常さを表現しているようだった。
あまりにも多い札の数に、巻さんが「な……なんかすごい……お札の数……色々とやってんだ。」と呟いているのが聞こえた。
私たちが部屋に入ってきたのに気づいた中年の女性は、私たちを見るなり眉をひそめて怪訝そうな表情を浮かべた。

「品子ちゃん、また新しい人連れてきたの?お祓いなら毎日来てくれてるじゃない。」
「だって、効かないんですもん。そこの神社じゃ。」
「ちょっと品子ちゃん!」

どうやら女性は品子さんのお母さんらしい。
話の感じから、品子さんは毎日神社の神主さんにお祓いを受けているが、なんの結果も得られずに、藁にもすがる思いで清継くんに助けを求めたということだろうか。
品子さんにはっきりと役たたず扱いされた神主さんはしょんぼりと肩を落とし、そんな彼を無視して品子さんは2人に近づく。
そして畳のある一点を指差すと「ここよ」と話し出す。

「昨日もここに出て……私に覆い被さるように、そいつはじっ――と見るの。」
「ひっ、ひぇ……」
「覗き込むだけなんだね?」

清継くんが事前に聞いていた内容を確認するように尋ねる。
しかし品子さんは小さく首を横に振ると、右腕に巻かれていた包帯をおもむろに解き始めた。
品子さんの腕には、まるで人の手に掴まれた指のような痣がくっきりと浮かんでいた。
それには私も思わず息を飲んだ。

「これを見て。昨日はこうして跡がつくまで強く……握られたの!」
「……え?」
(そんな……触ってくるの!?)

随分間を置いて、清継くんの声が響いた。
部屋が一瞬シンっと静まり返り、みんなが間を置いてようやく状況を理解し始めたらしく、一気に青ざめる。

「ええええーー!ちょっと……話が違うじゃんかー!?」
「危害くわえないんじゃなかったのー!?」
「これは……まずいかもしれないな。」

当然の如く巻さんたちは騒ぎ出す。
まさか……状況が悪化していたなんて……田沼くんも事のやばさに少し焦っているようだ。

「ゆらちゃんは!?何で来てないのー!?」
「さあ……最近学校も来てなかったし……」
「あんたってば本当に!」

巻さんと鳥居さんと清継くんたちがぎゃあぎゃあと騒いでいる中、品子さんは震える手をぎゅっと握りしめて叫んだ。

「もう次は……何されるかわからないの!私……怖いんです!お願い!邪魅から守って!」

品子さんからの心から助けを求める切実な声に、巻さんと鳥居さん、清継くんの3人は黙り込む。

「う、うーん、そう言われても……」
「何とかしてあげたいけど……」

巻さんと鳥居さんが困ったように言う。
2人とも優しい子だから、なんとかできるなら力になってあげたいのだろう。
だけど彼女たちはただの一般人なのでどうすることできない。きっともどかしい気持ちなんだろうな。
その気持ちは、私にも理解できる。
だから私も、何か品子さんのためにしてあげられたらいいのだけど……

「大丈夫!なんてったってこっちにはもう1人プロがいるからね!ですよね夏目先輩!」
「……ん?」

思考の海をさ迷っていると、突然清継くんに名前を呼ばれてハッと意識が戻ってくる。
気がついたらみんなが私を期待するような眼差しで見ていて、私はビクッと身体が跳ねた。

「えっ?えっ?何?」
「安心してくれ!この夏目先輩は妖怪退治のプロ!これまで数多くの妖怪を退治してきたすごい人なんだ!きっと今回も夏目がなんとかしてくれる!」
「は?え?」
「この子が?あまり強そうには見えないけど……」
「いやいや!人を見た目で判断するもんじゃないぞ!」
「ちょちょ!ちょっと待って!私は……!」

これはまずい。びじょーにまずい!
今日まで続いてきた勘違いをここで蒸し返されるなんて!
品子さんには悪いけど、私にはなんの力もないのだ。
期待されても守ってやることができない。
私は真っ青になって必死に誤解を解こうと首を横に振った。
何か言わなければと口を開こうとした瞬間、品子さんが私の手を強く握ってきた。

「お願い!もう本当に怖いの!私を助けて!」
「……っ!」

助けてあげたい。助けてあげたいけど……
こんなにも妖怪に怯えている品子さんに、本当は私にはなんの力も無いと果たして言えるだろうか?
きっと失望させてしまう。それでも本当に私にはなんの力もないんだ。

「あの、私……」
「やれやれ、騒がしいな。」
「なっ!」

私が言いにくいながらも正直に話そうとした矢先、私のリュックがもぞもぞと動き、そこからニャンコ先生がひょっこりと顔を出した。
しかもこのニャンコ、今喋ったような……
サァーっと血の気が一気に引いたのが自分でもわかった。
それは田沼くんと透ちゃん、そしてリクオくんと氷麗ちゃんたち4人も同じで、私の事情を知る4人も同じように顔を青ざめさせていた。

「ばっ!ポン太!」
「ねっ、猫が喋ったー!?」
「いやぁぁぁぁ!化け猫!」
「神主さん!助けてください!」
「えっ!わっ、ワシ!?」
「み、みんな落ち着いて!」
「うおおおお!猫がしゃべった!?というかこの猫夏目先輩の猫では!?」
「はっ!てことは妖怪!?」
「なっ、なんだってーー!?」
(ああああー!もうめちゃくちゃ!)

田沼くんと透ちゃんが慌ててニャンコ先生の口を抑えるが、もう遅い。
その場にいた全員がばっちり聞いていたようで、大混乱になってしまった。
品子さんはパニックになって悲鳴を上げ、品子さんはお母さんは神主さんに助けを求め、その神主さんは怯えて腰を抜かしていた。
家長さん、巻さん、鳥居さんも真っ青だし、島くんは固まっているし、清継くんはなんて妖怪に会えたからなのか嬉しそうに目を輝かせていた。
私はこの事態にどう収集をつけたらいいのかわからずに頭を抱えた。

「み、みんな落ち着いて!この猫は……そう!彩乃ちゃんの式なんだ!」
「リクオくん!?」

みんなが大混乱の中、助け舟を出してくれたのはリクオくんで、彼は冷や汗をかきながらも必死に言い訳を考えてくれているようだった。

「式……って、陰陽師の使う式神みたいなのだっけ?」
「そういえばゆらちゃんがそんな説明を……」
「私は式ではな……むぐっ!」
「ニャンコ先生!ちょっと黙っててね!」

空気を読んで何かを察したらしい透ちゃんが慌てて先生の口を塞ぐ。

「えっと、その……この猫は私の用心棒なの!妖怪だけど、みんなを襲ったりはしないから安心して!」

私がそう説明すると、ようやくみんなは納得したのか、ほっと胸をなでおろして落ち着いてくれた。

「なーんだ!夏目先輩がいつも連れてるただのブサイクな猫かと思ってたけど、先輩の式だったんだ!」
「それなら安心だね!」
「うおー!やはり妖怪なのか!初めて見た!うーん、でもブサイクだな!」

ああ、やっぱりまだ誤解されたままだけど、なんとかみんな落ちついてくれて良かった。
それにしてもニャンコ先生っば余計なことを……うう、清継くんの視線がいたい。
きっと後で質問攻めにされるだろうな。
みんなの誤解も早めに解かなくては。
そんなことを思っていると、品子さんが私に近づいてきた。

「あなた、妖怪なんて使役してるのね。やっぱりプロは違うわね。あなたがいれば大丈夫な気がしてきた。どうかお願いします。」
「えっと、品子さん。言いにくいのだけど私はプロじゃないの。知り合いの祓い人から多少は術の使い方を教えてもらったことがあるだけで……」
「それでもいいわ!もう藁にもすがりたい気持ちなの!お願い!私を助けて!」
「う、うん……」

あまりにも必死な様子の品子さんに、思わず頷いてしまった。
安請け合いなんてしてはいけないのに。
それでも品子さんはそれで安心できるらしい。
私の手を強く握って、ありがとうと微笑んだ。
私にはなんの力もない。それでも、やっぱり品子さんの力になってあげたいと思った。

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