第20話「ぬらりひょん」

帰りたい。
彩乃は切実にそう願った。

「ほう……あれがレイコの孫か……」
「本当にレイコと瓜二つだ。」
「あのちんちくりんは妖怪か?」

奴良家にやって来た彩乃だったが、ある広い部屋に案内され、そこで待ち構えていた沢山の妖怪たちに囲まれていた。
まるで見世物のように自分と先生を見てくる妖怪たちに、彩乃は今すぐ帰りたい衝動に駆られるのだった。

「総大将、リクオ様、こちらです。」

いたたまれない空気に包まれた部屋の戸を開き、誰かが入ってきた。
一人はとても長い頭をしたお爺さん。その後ろからはあの旧校舎で出会ったメガネをかけた少年と、黒髪のよく似合う綺麗な女の子が少年を支えるようにしてやってきた。

「氷麗、一人で歩けるよ。」
「駄目です。リクオ様は熱があるんですから!本当なら、部屋で寝ていてほしいくらいなんですからね!」

少女に支えられるようにして歩いてくる少年。
ふらふらと危なっかしい足取りで、どうやら体調が悪いようだ。
壁際に沢山の妖怪たちが座り、部屋の中央に座らされた彩乃。
お爺さんと少年は大広間の一番前の席に腰を下ろし、じっと彩乃を見つめてきた。

「……あっ!」
「?」

不意に少年が彩乃を見て驚いたように声を漏らす。
それに彩乃は不思議そうに首を傾げるのだった。

(……どうしたんだろ?それにしても、どう見ても人間にしか見えないなぁ……本当にあの時の妖なのかな?)

目の前に居るのはどこにでも居そうな普通の男の子で、あの妖の青年とはあまりにも似つかない。
本当に同一人物なのかと彩乃は疑問に思う。

「……ふむ。本当にレイコによく似ておるのぉ。」
「あなたは……」
「ワシはぬらりひょん。奴良組の初代総大将じゃ。」
(このお爺さんがぬらりひょん!?)

ニャンコ先生から多くの妖怪たちを束ねる妖怪の主と聞いていた彩乃は、もっと大きくて毛むくじゃらで、角が生えていて、厳つい顔の妖を想像していたので、あまりのイメージの違いに驚いた。

「……む、お前ぬらりひょんだったのか。随分と老けたものだな」
「ん〜?そういうおめぇは斑か?久しく見ねぇうちにおめぇこそ随分と珍妙な姿になったなぁ。あまりにも丸くなりすぎてわからなかったぞ?」
「……ふん。この姿の私の愛らしさがわからんとは!」
「ぷぷっ、鏡見てもう一度言えるのか?」
「何だとー!ならば、これならどうだ!」
どろん!

ぬらりひょんに依代の姿を馬鹿にされた先生は怒り、本来の姿へと戻る。
突然ちんちくりんな招き猫が大きな獣の姿になったので、周りの妖怪たちは慌て出す。

「どぉだ!この私の優美な姿に恐れ戦くがいいわ!」
「ぎゃー!でかくなったぁー!!」
「おー、懐かしい姿だなぁ。斑」
「呑気なこと言ってる場合じゃないよ、じーちゃん!」
「先生!人様の家で大きくならないでよ!」

先生の本来の姿にそれぞれが各々の反応をする中、暫く広間は騒がしかったのだった。

「……すみません。」
「ううん、大丈夫だよ……で、本題なんだけど、君は『友人帳』を持ってるの?」

あれから漸く騒ぎが落ち着き、会話を再開させた彩乃たち。
リクオの問いかけに、彩乃は一瞬息を飲むと、一呼吸置いて頷いた。

「……持ってる。」
「斑も名を奪って従わせているのか?」
「なっ!違う!先生はそんなんじゃ!」
「では何故、斑程の妖怪がお前のような人間ごときに従っている?」
「従わせてなんて……「やめんか、牛鬼!」

彩乃を鋭い眼差しで見据え、威圧的な態度で探るように問いかけてくる牛鬼を、ぬらりひょんが咎めるように名を呼ぶ。

「……私は危惧しているのだ。レイコと同じように霊力の強いこの娘が、同じように我らから名を奪わないとは限らなぬのでな。」
「っ!私は名を奪うつもりなんてない!先生だって、用心棒をしてもらってるだけで、名を奪って従わせている訳じゃないよ!!」
「そう簡単に信用できぬな。」
「そんな!」

牛鬼の言葉に、他の妖怪たちも、「確かにそうだ」「レイコは恐ろしい奴だったからなぁ」と彩乃を警戒して疑わしい目で見つめてくる。

「……いっそ、友人帳を奪ってしまった方が安全ではないか?」
「っ!友人帳は、渡せない!」
「やはりな、人間ごときが我ら妖怪を従わせる気か。」
「違っ!」

一ツ目入道の言葉に、彩乃は思わず友人帳の入った鞄を抱き締める。
すると妖怪たちがざわざわと騒ぎだした。

「そうだ、奪ってしまえば妖怪を命令出来なくなる!」
「奪ってしまえ!」
「寄越せ、友人帳!」
「友人帳!」
「……っ!(やばい)」
「ちっ!」

様子の変わった妖怪たちは、彩乃から友人帳を奪おうと目の色を変えて迫ってくる。
それに先生は舌打ちすると、本来の姿に戻ろうとした。

「やめねぇか!馬鹿者!!」
「「!?」」

ぬらりひょんの一喝に、妖怪たちはぴたりと動きを止める。

「寄ってたかって人間の娘相手に情けねえ!妖怪が人間相手にびびっとるんじゃないわい!」
「そ、総大将……我らはこの娘を畏れるなど……」
「畏れておるから名を奪われることを警戒しておるんじゃろうが!」
「そ、そのようなことは……」

ぬらりひょんの言葉は的を射ていた。
図星を突かれた下級妖怪たちは、そろって目を逸らす。

「……すまねぇ、お嬢ちゃん。」
「い、いえ……」

申し訳なさそうに傘下の妖怪の態度を謝罪するぬらりひょんに、彩乃は戸惑う。

「ーーで、嬢ちゃんはこれからどうしたいんだ?」
「……私は……(……この人、私を試してるんだ。)」

真剣な表情で探るように彩乃を見てくるぬらりひょんの眼差しに、彩乃は正直な自分の気持ちを話す事にした。

「……私は……友人帳に綴られた名を、全て返したいです。それが、祖母に代わって私が出来る唯一のことだから……」
「レイコに代わって?……そういや、レイコはどうしたんだ?孫のおめぇさんが友人帳を持ってるのも妙だと思ってたんだ。」
「……レイコさん……祖母は、既に他界しています」
「「!!」」

彩乃の口から告げられた真実に、妖怪たちは目を見開いて驚く。

「あのレイコが死んだ!?」
「やはり、妖怪に恨みを買ったのか?」
「……そうかい、レイコが……」
「……」

周りの妖怪たちがひそひそと勝手な憶測を話す中、ぬらりひょんだけはどこか残念そうに呟いた。
その様子の違いに、彩乃はぬらりひょんだけはレイコを大切に想っていてくれていたのだろうかと、少しだけ期待した眼差しで見つめた。

「……残念じゃのぉ。あんなに面白い人間の娘はそういないからのぉ……悪友を失った気分じゃ。」
「……あなたレイコさんの友人だったんですか?」

本当に残念そうなぬらりひょんの様子に、思わずそう尋ねてしまった彩乃だったが、ぬらりひょんはにやりと口角を吊り上げて笑った。

「さあのぉ。ワシは気に入っておったが、あやつは妖怪が嫌いなようじゃったからなぁ……」
「ーーそう、ですか……」
「しかし、人間の一生は本当に儚いのぉ。」
「……友人帳は、祖母が私に残してくれた、たった一つの遺品なんです。友人帳に綴られた名を返せるのは、祖母の唯一の血縁者である私だけだから……だから、レイコさんの大切な『友人』たちの名が綴られたこの友人帳は、渡せません!」

ぬらりひょんの目を真っ直ぐに見つめ、彩乃はきっぱりとそう告げた。
強い決意の意思が宿る瞳を、ぬらりひょんは面白いものを見つけた子供のように楽しげに見つめるのだった。

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