ダイニングルームの机に広げられる領収書。私は、やっとの事で分類分けを終えたそれらを手に取る。これは食費、これは衣装費……月末に一気に纏めて締めるだなんて、一体何考えてるんだ。こういうのは日々記録して纏めるのが1番良いのに。思わず溢れる説教じみた愚痴にため息をつく。借金まみれの劇団で、経理すらまともに出来ないとは聞いていたけれど、秋までこの様子じゃ、借金返済なんて夢物語だ。
けれど、請け負ってしまったものだから今更投げ捨てられない。私は、さっき臣くんが淹れてくれたココアを一口飲む。あと少し、頑張ろう。

「あれ?ミキさんじゃん。何で寮にいんの?」

 誰もいなかった筈のダイニングルームに声が響く。気だるそうに、けれどそれすら生意気だと感じるその声の主は摂津万里。高校生であり、秋組のリーダーを担っている人物だ。

「あ、万里。月の締め手伝ってんの。いつもはいづみや左京さんがするらしいけれど、私一応銀行員だし」

 なるほど、と言いつつ万里は私の横の席に座る。風呂上がりだったようで、髪の毛がまだ少し濡れていた。

「髪、ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」

 領収書の束を見ていた万里は、その言葉に、あー、とぼやく。すると、私の顔を覗き込むようにしにやりと笑みを浮かべた。

「ミキさんが乾かしてくれんだろ?」
「何言ってんの、私は仕事中です」
「いいじゃん、ケチだなあ」

 私の肩に手を回し、甘えるような声色で万里は囁いた。その瞬間、くすぐったい感覚が私の神経を痺れさせる。大抵の女はこれで落ちた、なんて言ってたっけ。私は領収書の束を万里から取り上げ、その整った顔に軽く叩きつける。

「邪魔するんじゃない」
「いでっ」

 束が分厚かったお陰か、万里は痛そうに目を瞑る。その拍子に、私の肩に回っていた手は離れた。このマセガキ、私は睨むように万里を見る。万里は私に対して異様に距離が近い。これは最近気づいたこと。誰がこんな高校生に落ちるか、大学も卒業した私はもう学生ではない。こんな、青春を生きている高校生に誑かされるなんてたまったもんじゃない。例え、万里の顔が私のどストライクであろうが、18歳のガキに靡くなんてプライドが許さないのだ。私は、仕事を再開すべくペンを持ち電卓を動かす。

「今日は珍しく誰もいねぇな、ここ」
「さっき臣くんはいたよ、私がこれをしてるの見て気遣ってくれたみたいだけど」

 少し温くなってしまったココアを一口飲む。私が締めを始める前には何人かいたけれど、今日は平日、みんな宿題やらゲームやらで自室に行ってしまった。静かになってしまったこの広い部屋に一人は寂しかったから、万里が来てくれたことは少し嬉しいとは思ったけれども。

「仕事の邪魔、高校生はもう寝なさい」
「はあ?まだ23時だっつーの」
「明日も学校でしょ」
「ヨユーヨユー、徹夜でもいけっから」

 万里は頬杖をつき、私を見て笑う。その態度は、次の日のことなど特に考えている訳でもないようだ。こういう所、若いなあって思ってしまう。私も、少し前だったら時間を気にせず遊びに出歩けていたのに。学生から社会人になった途端、時間に追われる日々だ。だからこそ万里が羨ましい、いいなあ、私も高校生に戻りたい。私は、万里を見て小さくため息をつく。万里の髪は、少し乾き出していた。

「つーか、それいつ終わるの」
「あと少し、のはず」
「ミキさんも明日仕事だよな」
「そうだけど」
「そういうこと、明日もすんの?」
「……そうだよ」

 何を聞くんだ、私は仕事を思い出して苛立ちを覚える。鬱陶しい上司に、クレーマーの顧客。笑顔を保って、柔軟に対応しなければならないことが私にとってストレスだ。プライベートなんだから思い出したくない。他意はないだろうけれど、万里のその質問には良い気分はしなかった。万里から目を逸らし、締め終わった領収書を片付けようと手を伸ばす。その時、私の手の上に万里の手が重なった。重なった万里の手は、指を絡めるように握る。

「ばん、」
「何、もう終わったんだろ?」

 これも女を落とすテクニックの一つだろうか、私は脈拍数が上がる心臓を堪えつつ手を見る。まだ片付けが終わってないんだけど、口には出さずに万里を睨む。けれど万里は、楽しそうに笑っていた。気にしない姿が腹立たしくて、私は片付けに勤しもうとしていたもう片方の手で万里の手の甲をつねった。

「いっで!容赦なさすぎだろ」
「年上茶化さないの」
「茶化してねぇよ」

 万里は私につねられた手の甲を労わりながら、拗ねたような口ぶりをする。むすりとした表情は、大人ぶっている万里にとってあまり見ることのない子どもらしい表情。あどけなさが高校生だな、と改めて思わせてくれる。夢を持って目の前のことに一生懸命になって、万里のことだからそれも容易なことではあると知っているけれど、羨ましく思えた。

「いいなあ、高校生」

 無意識に溢れる独り言、高校生っていいなあ。少し前までは、毎日が楽しくてそんなこと思うことなかったのに。老けたのだろうか、自虐的になって笑えてしまう。そんな私を万里は、「分からない」とでも言うように眉間に少ししわを寄せ見てきた。いいよ万里にはわからなくても、これはいづみや年の近い至くらいが理解してくれればいい話。高校生は高校生らしく、輝いた青春を謳歌してくれれば良いんだ。

「何、今日はやけに年を気にしてんじゃねえか」
「そういう時期なの、高校生が眩しい時期」
「大丈夫だって、ミキさんは高校生って言われても違和感ねえから」

 うるせえ、私はもう一度万里の手をつねろうとする。今度は、万里も察したのかすぐさま逃げられてしまい空振りとなってしまった。あぶねえ、と楽しそうに笑う万里に、「悔しい」と言い返す。何が悔しいって、一回した失敗はもう二度と繰り返さないところ。ウルトライージーモード、だなんてダサいキャッチフレーズが似合う摂津万里という存在だ。

「まあでもさ、ミキさんが同い年は考えられねぇなあ」
「私も、万里が同い年だったら妬みと恨みで呪い殺してる」
「こっわ、何に嫉妬してんだよ。ウケる」
「一度くらい、人生の壁にぶち当たってしまえばいいのにって常に思ってるから」

 年下に嫉妬するなんて、私も大分恥ずかしいけれど。万里は机に突っ伏して、顔だけを私に向ける。もし私が同じ高校生だったら、勉強しなくても良い成績を得ている万里に嫉妬するし、その高い対人スキルにも社会適応力にも嫉妬する。こっちは努力してるのに、努力しての結果を得てるのにそれを軽々乗り越えるなんて、というくらいには。表情を作ることを忘れ、私に顔を向ける万里を見る。多分、彼との距離は年齢差があったほうがちょうど良い。だって、流石に呪い殺そうとは思わないから。

「俺も、ミキさんが同い年は無理だわ」
「なんで?」

 私は首を傾げる。万里は、少し考えた顔をすると私の目を見た。そして、少しだけ歯を見せにやりと笑う。

「呪い殺されちまうじゃん、俺がミキさんを好きだって言っても」
「はは、よく分かってるね。殺してやる」

 その言葉に万里は眉を下げ、困ったように笑う。そして再び私の手を掴むと、手の甲にキスをした。

「じゃあ好きになってよ、お姉サンは殺して来ないだろ?」

 万里の唇が離れた瞬間、触れていた手が一気に熱くなる。騙されるな、これはこいつの手法。そう思っていても心臓は、さっきのようにうるさくなる。顔も熱い、これは多分赤くなっているのだろう。私は万里の表情を見て、負けたと思ってしまう。負けてないし、こいつを負かせるのは私なんだから。私は声を振り絞り、相変わらず素直じゃない言葉を返す。

「いや、殴り飛ばす」
「マジか、物騒すぎわろた」


- 2 -

back | next


ALICE+