仕事で忙殺されている日常に、恋愛なんて不必要だと思っていた。愛想を振りまき媚を売り、日常をやり過ごす。苦痛以外の何物でもない日々を耐え凌ぐだけ。こんな中恋愛なんて出来るわけない。インステに上がる浮かれた投稿を見ては、悪態をついてしまう。休みくらい自分の為に使えばいいのにね。私には理解ができなかった。

 そんな私には、ちょっとした悩みがある。職場のうざったらしい上司と比べれば、比でもないものだけれど。初めての事だから対処法が分からず、ちょっとだけ悩んでいるのだ。

「ミキさん、仕事終わり?」
「……何してんの」

 そうこの、職場の駐車場、しかも私の車の横で手をひらひら降っている男子高校生。彼が私の悩みのタネである。名前は摂津万里。先日、友人の劇団の手伝いに行ったらいた劇団員だ。
 万里は、制服を着崩しピアスを開けている。私が同い年だったら、絶対近づく事ないだろうなと思わせる風貌だ。スーツ姿の私は、万里を横目に車の鍵を開けてカバンを投げ込む。人通りがないわけでもないこの場所で、ヤンキーに絡まれているOL。はたから見たらとても怪しいわけで。

「行くけどさあ、ここ会社の駐車場。万里みたいなヤンキーがいると怖いから」
「大丈夫だって、人に聞かれたらミキさん待ってまーすって言うし」
「最悪、私ヤンキー引き連れてるなんて思われたくないんだけど」

 眉間に皺を寄せ万里を睨むと、おどけたように笑いやがった。今日は金曜日、私は週末大抵はMANKAIカンパニーの監督である友人の手伝いをしている。ついでに酒を酌み交わし、仕事の愚痴をこぼすのが習慣だ。その事を知ってから、万里は私をこの駐車場で待っている事が多くなった。高校が近いから、歩くのだりーから、万里はそう言って私を寮への足として扱っている。なんて奴だ。

「さっさと乗れば」

 私は万里に言い捨てると、車に乗り込みエンジンをつける。「さっすが」万里は上から目線で私を褒めて助手席に乗り込む。さっきより近い距離となった万里からは、ほのかに香水の香りが漂った。最近の高校生は香水までつけるのか、はたまたそれは何処か女の子から貰った香りか。私はその香りに複雑な気持ちを抱きながら、アクセルを踏んだ。

「ミキさん、仕事の後っていつもイラついてるよなー」
「うるさい上司に一日中振り回されてるからね」

 思い出すとまた腹が立ってきた。私は、深いため息をつく。もっと上手く切り抜ける方法なんて沢山あるはずなのに、どうしてこうも生きづらい方に行ってしまうのだろう。ふと、助手席の万里を横目で視界に入れると、彼はスマホゲームに勤しんでいた。こいつは今までの人生、大した挫折を味わっていないらしい。人間関係も卒なくこなし、勉強だって大抵のことなら出来る。顔だって整っているし、モテるのだろう。女にだって、困ってないはずだ。

「あー、万里になりたかった」
「え、何だよ急に、ウケんだけど」
「もっと欲を言うなら高校生に戻りたい」

 意味わかんねー、万里はスマホをいじりながら笑う。今は分からなくて結構。私のこの虚しさと願望は、高校生の万里に理解されたくないし共感されたいわけでもない。なら愚痴をこぼすなって話だけども、ストレスフルな私にとって、愚痴は息をするように溢れてしまうのだ。許して欲しい。

「ミキさんは、今のまんまが1番良いんじゃねえの」
「……考えておく」
「素直じゃねえな」

 スマホではなく私を見て、万里は笑う。私はそれを横目に、ちょっとだけ笑った。そうやって、私を否定しないところ。万里はずるいなあって時折思う。







「こんな事も出来ないのか、時間がないのは分かってんだろ」
「すみません」

 手元には修正の多い書類、目の前にはあの大嫌いな上司。私は頭を下げながら、溢れそうになる涙をこらえる為に力強く拳を握った。

「もういい、今日は上がれ」
「……失礼します」

 自分のデスクに戻り、荷物を片付ける。掌を見ると、爪痕がくっきり。なんでこんなに怒られなければ。手元にある書類に書き足されたメモを見て、歯をくいしばる。何が「これは基本情報だから」だ。あとで走り書きするものは、基本情報と言わないんだよ。理不尽すぎる怒りをぶつけられ、不満は心で爆発する。泣きそうだ。私は涙を抑え、会社を飛び出すように出た。

 社内を飛び出し駐車場までの短い距離。だめだ、限界。そう思った瞬間溢れた涙は、私の意思に反するように止まる事をやめない。悔しい、泣くなんてしたくなかったのに。

「ミキさん?」

 不意に、聞き慣れた声がした。条件反射のように顔を上げようとして、すぐ戻す。
 ああそうだ、今日は金曜日。私を駐車場で待っている人なんて、誰なのかすぐに分かる。

「万里……」

 嗚咽が出そうになるのを堪えて、目の前にいるであろう彼の名前を振り絞った声で呼ぶ。万里は一向に顔を上げようとしない私を不審がり、ゆっくりと近づいて来た。恥ずかしい。私は顔を見られないように、そして涙がもう落ちないように拳を作る。

「何、下向いてんだよ」
「……うるさい」
「泣いてんのか?」
「ちがう」

 触れようとした万里の手を振り払う。高校生のこいつに、こんなみっともない姿見せたくない。私は、万里から逃げるように急ぎ足で車へと向かう。

「おい、ミキさん!」
「っ、なに!」

 不意に、後ろに引っ張っられる腕。その拍子に万里と目が合う。いつも余裕な万里からは、想像つかないような焦った顔。何その顔、私が置いて行くからその心配でもしてるの?

「泣いてんじゃん、何強がってんだよ」
「強がってないから」
「それが強がりだろうが」
「万里には関係ない」

 どうせバカにするくせに、この苦しみすら理解出来ないくせに。苛立ちと不安定な精神で、私の涙腺は緩む。さいあくさいあく、こんなところ見られたくなかった。無駄な抵抗だとわかっていても、私は万里から顔をそらす。腕はまだ離してくれず、力強く握られていた。

「あーーもう!」

 その言葉とともに、万里は私を車の後部座席に押し込んだ。抵抗できなかった私は、言われるがまま。さらに、訳もわからず涙が出た。

「なに!送るからほっといて、」
「ミキさん」

 不意に、体ごと万里に引き寄せられる。気づけば私の体は、万里の腕の中にいた。

「離し、て」
「文句ばっかうっせーな」
「うっせえ、黙れ」
「おー怖っ」

 口わりぃな、とおどけたように笑う万里。だってここ、車内といえど駐車場。誰かに見られたらどうするの。恥ずかしさと逃れられない悔しさが、私を襲う。思わず万里の胸を叩いた。

「ハグって、ストレスの3分の1を解消する効果があるんだってよ」
「しらない」
「ミキさんいっつも仕事でストレス貯めて疲れてるから、いつかしてやらなきゃなって思ってたんだよな」
「しらない」

 私の無愛想な返事すら無視して、万里は腕の力を強める。万里からは、嗅いだ事のある香水の香りがした。女の子のものだと思っていたけれど、これは万里の香りだ。私は何故かそれに安心する。なんだか、上司の理不尽な怒りも、毎日の説教もその香りに浄化されているような気がした。それはストレス解消とがどうとか言われたからか、分かんないけれど。
 私は万里から離れようと、万里の胸をゆっくりと押す。

「……もう大丈夫」

 気付けば嗚咽も止まり、気持ちも落ち着いていた。見上げるとまだ少し不安げな、そしていつになく真剣な万里と目が合う。

「ありがと、万里」

 涙腺は弱いのかまだ涙は溢れるけれど、万里に笑いかけるまで出来た。不覚ながらも、万里のおかげだと思ってしまう。そんな私を見て万里は、いつも通りの余裕な笑みに戻る。

「なんならキスも、ストレス解消になるらしいよ」

 そういうと万里は、私の顎を持ち上げ顔を近づける。綺麗に整った顔立ち、潤んだ自分の目から見える万里はなんだか綺麗に見えた。

「は?」

 いや、前言撤回。こいつはただのクソガキだ。
 不覚にも頼りになると思ってしまったことに、かっこいいと思ってしまったことに今一度後悔する。
 
「ってーな!」

 私は、空いたその手で万里に平手打ちをかました。


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