Heart


 瀬名さんからチケットを無理矢理渡され、テレビで真緒を見てしまった次の日、私はいつものように早朝から仕事へと向かった。仕事しながらも思い出すのは、テレビの向こうの真緒の笑顔。そして、瀬名さんの真剣で少し焦りを含んだあの表情。瀬名さんの言う通り、真緒と瀬名さんは全く違う。出会いも、今の関係性も。なのに、アイドルであるというだけで瀬名さんにすら真緒の面影を探してしまっている。どれだけ依存していたのだろう、知っていたけれど改めて思うと苦しくて仕方がない。
 開店して間もない早朝の店内で、コーヒーの味を確かめる為にデミカップにコーヒーを淹れる。今日のコーヒーは、コロンビア。この暑い時期、もうホットコーヒーは出ることが少ないからアイスコーヒー用にも同じ豆でコーヒーを落としている。味見の時は、香りや味が分かりやすいことからホットを飲むだけど。私は、デミカップに入ったコーヒーを一口啜る。

「す、っぱ」

 いつもより強く感じる酸味に、私は不快感を覚える。こんなに酸っぱかったっけ。コロンビアは柑橘系の酸味が特徴的だけども、それにしても酸っぱすぎる。もしかして豆の期限切れてたりする?私は急いでパッケージを確認するけれど、期限内の表記があるだけ。なんでだろ。私は、違う場所で備品の補充をしていたバイトの子に声をかける。

「今日のコーヒー酸っぱいね」
「え、本当ですか」

 声かけに反応して寄ってきたバイトは、私と同じようにホットを一口口にする。でも、「そうですか?いつもと一緒な味しますけれど」と首を傾げた。勘違いだったのだろうか、私もその子と同じようにもう一口飲んだ。

「いや、酸っぱい」

 まるで、舌が酸味しか感じ取らないというように酸っぱさが広がる。不味い、酸っぱすぎておいしくない。よっぽど嫌そうな顔をしていたのだろう、バイトの子は苦笑いをしながら「そういえば」と言葉を続ける。

「体調とか、精神状態で味覚って変わるらしいんですよ。そういうのじゃないですかね」

 「無理はしちゃだめですよ、苗字さん」とバイトは笑いながら仕事へと戻る。その言葉で、私はすぐに瀬名さんと真緒を思い出す。絶対昨日の件だ。ああもう、だからアイドルは嫌なんだ。八つ当たりに近い感情を抱きつつ、私はデミカップに残ったコーヒーを洗い場に流し捨てた。



「おはようございます」
「おはよう、今日は朝なんだ」

 オープンして数時間後、来店したのは瀬名さん。少しボリュームのあるネイビーのトップスに、白のアンクルパンツ。今日は暑いからか、マスクはやめてサングラスをしていた。レジにやって来た瀬名さんに、頑張って笑顔を向ける。でも、自分の口角が少しひきつっているような気がした。それを直ぐに察したのか、サングラスを外した瀬名さんは私を見て目を細めた。

「……アイスでいいですか」

 私は目を合わせないように、レジの画面に集中する。さっさと帰ってくれないかな、いつもは思うことのない感情が芽生える。今まで、瀬名さんが来ることに対して嫌だと思うことすらなかったのに。こんなに視線すらも棘のように痛いなんて、意識しすぎなのだろうか。

「アイスで、氷少なくしてねぇ」
「......はい」

 カウンター越しに、瀬名さんは注文をする。知ってるよ、アイスコーヒーを頼むときは氷を減らす事くらい。前に、氷が溶けて薄くなるのが嫌だって言ってたの覚えている。いつもなら「知ってます」とか言えるのに、今日は会話すらままならなかった。
 レジキーを打ち瀬名さんに会計金額を伝え、後ろを向いてアイスコーヒーを用意する。これを渡してしまえば、瀬名さんは帰る。昨日のことだって、なかったかのように今日は終わるはずだ。

「苗字さん」

 アイスコーヒーの用意ができて、瀬名さんの前に出したところで瀬名さんに名前を呼ばれる。そこでやっと、ゆっくりと顔を上げた。視界に入るのは、不機嫌そうな表情を見せる瀬名さん。私は、笑うことすら忘れその目を見てしまった。

「昨日の、来るの?」

 ほら、やっぱり。絶対振られるだろうと思っていた会話に反応して、冷や汗が流れる。同時にフラッシュバックする真緒の姿。「別れよう」と言った顔も昨日見たテレビでの笑顔も、瀬名さんじゃないのに。

「行って、傷抉られたら瀬名さんのせいにしますよ」

 引きつった笑顔で、やっと会話を成り立たせた一言。それはもう、溜まりに溜まった八つ当たり。瀬名さんのせいじゃないのにね。ただ、瀬名さんが同じアイドルだっただけなのに。
 その言葉を聞きながら、瀬名さんはアイスコーヒーを手に持つ。そして、サングラスをかける前に少しだけ笑った。

「いいよ、しても」

 それだけ言うと、瀬名さんはレジカウンターを離れ店を出る。バイトの子が「ありがとうございました」と言ったところで、やっと我に帰った。いいの?意味分かんない、それでいいのか瀬名さん。それとも、絶対そうならない自信でもあるのだろうか。瀬名さんが出て行った扉を見つめ、私は小さく「ありがとうございました」と呟いた。まあでも、行く気はまだないんだけれども。

backnext



ALICE+