Light roast


「今日もコーヒーですか?」
「え」

 相手の男性は、驚いたかのように目を開く。そして戸惑いながらもはい、と返事をしてくれる。かしこまりました、と定型文で返しつつ私はコーヒーを用意した。

「ここ最近、よくいらっしゃるので」
「ああ、そういう事だったのですね。ありがとうございます」

 毎日のように同じものを頼んでいたら、私も流石に覚える。男性は、財布から小銭をちょうど取り出す。マスクをしていて表情はよく見えないけれど、笑っているのだろうか。表情が気になって少しだけ顔を見てしまう。−−この時期にマスクとは花粉症か何かだろうか。色んなことが気になるけれど、たかが客と店員の関係。流石にそれ以上踏み入ることはやめた。

「ありがとうございます」

 マニュアル通りのお礼を述べると、男性は軽く頭を下げた。すらっとした身体のライン、コーヒー片手にお店を出る姿はモデルのようだ。


 その男性が、アイドルと知ったのは数日後の話だった。

「待って!?瀬名泉知らないの!?」
「セナイズミ?凄く語呂良いね」
「そうじゃなくて!」

 友人が声を張り上げる。彼女は私と一緒にここでバイトを始めた子で、今は大学4年生の就活生。休憩が被ったことで、一緒にバックヤードで休んでいた。その時、話題に上がったのがその「セナイズミ」という人。どうやらその人がこの店に訪れているらしい。彼女は、食べかけのサンドイッチを落としそうになり慌てて拾い上げる。私はその姿を見つつ、口を開いた。

「そのセナイズミ?って人は有名人なの?」
「名前、私の話聞いてた?」
「うん、聞いてた。それでなんだっけ」
「だから、アイドルなの!それも人気アイドルユニットKnightsの!」
「へー」
「わっ興味なさすぎ」

 私は、さっき休憩に入る前にミスしたチョコレートのフラッペを吸い上げる。春だけどまだ寒いのに、冷たいものを飲んで頭が痛くなって少しだけ頭を押さえる。そんなことはお構いなしとでも言うように、目の前の友人はまともに話を聞かない私にちゃんと聞いて、と怒ってきた。……セナイズミって人がアイドルでよく店に来ることは分かった。

「それで、その人はどういう顔なの?」
「あ、ああ、ちょっと待ってね。お店に来るときは、マスクしてるらしいけれど……あった、これ」
「……あ」

 私は最近朝によく見る男性を思い出した。猫のような目つき、ふわっとしたグレーがかった髪の毛。例えるならロシアンブルーだろうか、気品のある猫がぴったりの人物だ。そして、携帯の画面に映し出されるセナイズミもそっくりな風貌。多分、あの人がその噂のセナイズミなのだろう。私は、携帯の画面を指差して彼女に伝える。

「この人、今日来たよ」
「……マジで?」
「マジで」

 彼女は、目を開いて私を見る。数秒見合った後、朝かー、と頭を抱えた。彼女は今就活中、朝に入れる日なんて土日くらいしかない。会おうと思っても、時間が合わないから難しいとでも思っているのだろう。フラッペを飲み干したところで私は立ち上がる。休憩も終わりだ。

「ねえ、今度瀬名泉に会ったら話しかけて見てよ」
「ええ、面倒くさいー」
「お願いー!名前、接客態度は良いんだからちゃんと引き留めておいてよ!」

 ぐいぐいと物を頼む友人を手で抑えて、私はエプロンを着けた。凄いのは分かるけど芸能人ってだけで、やはり私は大した興味を持てていない。

「気が向いたらね」

 けれど、頼まれることに弱い私は、苦笑いでその頼みに応えた。


 それから、偶然なのかセナイズミと遭遇する機会が増えた。彼は毎朝、開店して間もない店に訪れる。その時間はお客さんも殆どいないし、店員も私含め2人居て良い方だ。必然的に、お互いがお互いを認識出来るくらいになった。

「あ、おはようございます」
「おはようございます、コーヒーを」
「はい、少々お待ちください」

 セナイズミさんは、コーヒーを用意している間よく携帯をいじっている。そして時折、着けている腕時計を眺める。人気アイドルだとか言ってたっけ、前にテレビで見た芸能人のスケジュールを思い出す。この人も、一分一秒も惜しいと言えるようなスケジュールで1日仕事をしているのだろうか。しかも、商売道具は自分自身。私だったら1日で辞めたくなるだろう。コーヒーが用意出来たところで、精算をする。いつもカバンから取り出す財布は、シンプルな革素材の財布だ。小さく、見たことあるロゴが記されていたから有名ブランドの財布なのだろう。ここまでこだわっているのか、と感心してしまった。

「今からお仕事ですか?」

 私は、お金を精算しながらセナイズミさんに問いかける。すると彼は、一度私と目を合わせるとマスクを下げて人当たりの良さそうな笑みを見せる。マスクを外した顔、初めて見た。その瞬間、ふわっと香水の匂いが広がる。

「そうなんです。今日は日付変わる前に帰れたらいいな、って思ってるんですけどねえ」

 爽やかな、ナチュラルな香り。その香りに包まれてセナイズミは話す。いつ帰れるかすら分からないのだろうか。大変だなあ、アイドルって凄い仕事なんだろうな、と思うばかりだ。

「大変ですね、頑張ってください」

 頑張ってください、なんて上から目線。そう思いつつ、セナイズミさんに笑いかける。彼は彼で、アイドルらしい人ウケ良さそうな笑みを返してくれた。一瞬、周りに光が散ったかのように見える笑み。ちょっと眩しい、なんて思いつつ目を細める。この人はこの笑い方が当たり前なのだろうな。慣れていない私には、刺激が強い。コーヒーを手に取ると、セナイズミさんは再びマスクをつけた。

「また、来ます」
「ま、待ってますね」

 私は、ちょっとだけ言葉が詰まってしまった。セナイズミさんは、そんな私を見て目を細めると颯爽とお店を去った。しん、と静まり返る店内。なぜか、私の心臓の音がうるさいように感じられた。緊張した、あれがアイドル。変に意識してしまった。意識するものじゃないな。私は、一息ついて仕事を再開する。先ほどのセナイズミさんの香水の香りが、少しだけ鼻に残っていた。

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