Cinnamon roast


 セナイズミさんを認知してから数週間、彼と会話することが増えた。マニュアル通りの挨拶だけではなく、今日の天気に始まりこの時期は紫外線が強くなるとか、最近見つけた近くのカフェについてとか他愛のない話ばかり。流石に一線を引いているのか、プライベートに踏み込むような話は一切して来ない。初めは私が話を振れば話す程度だったけれど、最近ではセナイズミさんからも話を振ってくれることから、私との会話は嫌ではないみたいだ。

 ここまで話すようになって確信を得られたことがひとつ、それはセナさんが私をファンだと思っていること。私のセナさんに関する知識は、あの時教えられた話とその後補足のようにくれる友人の「セナさん情報」のみ。そんなことを知りもしないセナさんは、「昨日の生放送」や「来週の歌番組」という仕事の話題を出してきたりしてくる。多分ファンにとっては基本情報なのだろう。セナさんは当たり前かのようにその話題を振ることから、私はいつも無難かつ傷つけない言葉で交わすことで精一杯になっていた。

 流石にこっちも知らないままでいるのは疲れる……いや良くないと思い、セナイズミをネットで調べた。名前は漢字で瀬名泉、瀬名さん家の泉くん。どうやら同い年。Knightsというアイドルユニットに所属しているらしく、モデルもしているそうだ。結構アイドル業界では人気なようでコンサートのチケットは入手困難、と書いてあった。
 ひとつ、驚いたことといえば自分と出身校が一緒だということ。私は夢ノ咲学院普通科卒、あちらは私たちとは違う次元のアイドル科卒だったようで、広い目で見れば同級生と言える。運動会とか、行事でたまにアイドル科と一緒になることがあったけれど、校舎すら違うものだから私は全く知らずにいた。高校生活の3年間、所属していたテニス部に専念していたことからアイドル科のライブには一度も行ったことなかったし、友人が瀬名さんのことを話題に挙げていたとしても、もうすっかり忘れてしまっている。けれどこんなに身近な人物だったとは、ちょっとびっくり。

「え、瀬名さんもテニスしていたんですか」
「ええ、高校の時にお遊び程度ですけれど」

 マスクを顎まで下げて、瀬名さんは薄く笑みを浮かべる。話の発端は、私が天気が良い日には体を動かしたいなんて言ったことから。瀬名さんが何かスポーツでもしているんですか、と聞いてくるものだから私にとって唯一出来るテニスを挙げた。どうやら、瀬名さんもテニス部に所属していたらしい。もしかしたらこれも基本情報だったかもしれないけれど、瀬名さんは気にすることなく流してくれた。
 瀬名さんテニス似合うなあ、それこそどこかの豪邸の庭で優雅にテニスしていたっておかしくない。薔薇が咲いた庭で穏やか笑みを浮かべ、どこぞの外国人とラリーをする瀬名さんを想像する。

「瀬名さん似合いますね、テニス」
「そうですか?苗字さんの方が似合う気もします」
「まさかあ、私はここでコーヒーを淹れている方が性に合っています」

 豪邸の庭で外国人とラリーをする貴族の瀬名さんとは違い、私は一般庶民。その豪邸にいる身ならば、ただコーヒーを淹れることしか能がない使用人くらいが似合いそう。私はマスクをつけ直して、コーヒーを手に取る瀬名さんを眺めた。

「ありがとうございます」
「いえ、行ってらっしゃいませ」

 目を細めて笑う瀬名さんに、軽くお辞儀をして見送る。帰り際には相変わらず、爽やかな香水が漂うものだから流石貴族、なんて思ってしまった。別に瀬名さんは貴族じゃないのだけれど。



「お疲れ様でした、また会う日まで」
「帰る準備早い!」
「早番なのに残業のせいで、オープンからクローズまでいた私の気持ちになって」
「うん、お疲れ」

 瀬名さんを見送ってから私に訪れたのは、残業という社会人が一番嫌いな業務命令。店長が体調不良で休んでしまったのだ。その上、代わりに出勤できる社員が見事に、奇跡的に、いなかった。よって、次の日休みであることを良いことに私が閉店まで残ることになった。憂鬱すぎる、午後の私の顔は死んでいたに違いない。私は、一緒に閉店作業をしていた友人を早く帰れと急かして店の鍵を閉める。外はもう真っ暗で月だけが明るく照らしていた。ああもう、ビール買って帰ろう。私は、家の近くのコンビニまで足早に向かった。
 お店から家は徒歩10分程度、その距離の中にコンビニがあることからビールが温くなってしまうなんて心配はない。目的のコンビニ入ってすぐに、いつも買うビールを2本ほどと適当なつまみを取ってレジに持って行く。会計を終えて袋を手に持つと、足早に出入り口に向かった。

「ふざけないでよねぇ!?」

 ふと、前方から聞いいたことのある声を耳にする。

「うわっ」

 その瞬間、私は前方から来た人にぶつかりそのまま尻餅をついた。手に持っていた袋は私と同じように勢いよく地面に打ち付けられ、中のビールが一本コンビニのフロアに転がる。

「あ〜ビールが……」

 買い直しじゃん、最悪だ。開けたら炭酸が勢いよく吹き出てきそうなビールを見ながら、私はゆっくりと立ち上がる。ぶつかってきた人は、誰かと電話しているようで何かしら言い合いをしていた。

「ああもう!王さまもう切るからね!」

 電話の相手をしているんじゃなくて先に謝るべきでしょ、なんて奴だ。尻餅をついてしまったことで汚れたであろう部分を払いつつ、心の中で文句を垂れる。文句を垂れつつも顔は見てやろう、と自分の顔を上げようとした時、嗅いだことのある香りを感じた。まさか、そんなことはあるはずがない。

「あんた、大丈夫?それ弁償する、」
「いえ、大丈夫……」

 私と相手は、暫くお互いの顔を見合う。グレーの柔らかそうな髪に冷たい氷のようなブルーの瞳、端整な顔立ちでどこか中性的な顔。まるでロシアンブルーを彷彿させる人物、私はこの表現が似合う人をひとりしか知らない。

「瀬名さんじゃないですか、こんばんは」

 まるで悪事を見られた猫のように目を見開く瀬名さんは、携帯片手に暫く動かなかった。

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