Hand drip


「ごめん、別れよう」

その言葉を貰ったのは、大学最後の冬だった。
よくあるチェーン展開したカフェ、その片隅で切り出された別れ話。目の前にいるのは、申し訳なさそうな顔をする彼。赤ワインのように艶やかな髪が、照明に綺麗に照らされる。なんでそんな事、いや、分かってたんだ。彼がそう言いだすことは。私は買ったばかりのラテを一口飲み、彼の瞳を見つめ薄く笑う。

「そう言うと思った」

アイドルを生業としている彼に、私は不必要。言って仕舞えば、重枷にしかならない。そのくらい、承知の上で付き合っていた。でも、耐えきれなかったのは彼の方だったらしい。国民的アイドルと成り上がった彼を、私が引き止める権利はない。こんな私に、この人―――衣更真緒は、似合わない。

「お前は本当、冷静だな」

表情豊かな彼は、眉を下げ困ったように笑う。対照的だった。いつも明るい真緒と、静かな自分。彼は太陽で、私は月のように。それが心地よいとも感じていた。

「じゃあ、元気でね」

労る言葉を添えて、私は立ち上がり真緒に手を振った。いつかは失うと思っていたから、特別悲しい気はしなかった。ただ、いつも真緒と過ごしていた時間が消えるだけ。他は、そんなに変わらないはずだ。真緒も、私にゆっくり手を振る。今日で、彼を見るのは終わり。私は背を向けて、鋭く寒さが突き刺さる夜の街へと繰り出した。ラテ、持って帰ればよかったなあ、気休めのようにどうでもいい事を考えながら。

カフェを出て駅に向かうにつれ、襲って来たのは思いのよらない寂しさ。何を思い出したのだろうか分からないくらい、私の頭には今までの真緒との記憶が走馬灯のように蘇る。あのカフェだって、人があまりいないから2人で良く通っていたりした。砂糖の少し入ったラテ、飲み過ぎて飽きたなんて言いつつも今日まで飲んできた。さよなら、か。私は変に、乾いた笑いが出てしまった。

「うわ、辛気臭い顔」

人通りの多い駅前で、不意に聞こえた声。声の主は、すぐ分かった。血のような赤い瞳。マスクしているから分からないけれど、口元は薄く弧を描いているのだろう。真緒の幼馴染である朔間凛月。私は、なに、と素っ気ない言葉で朔間の言葉に答えた。

「知ってるよ、別れたんでしょ〜」
「傷えぐるような事言うね」
「だって、そうなると思ってたもん」

朔間は私に近づくと、覗きこむように私を見る。このバカにしたような態度、私はずっと気に食わないでいた。けれど、傷心中の自分にはそれを退ける気力すら持ち合わせていなかった。

「名前は、俺と似てるから」
「……は?」
「似てるから、ま〜くんみたいな太陽とはつり合えない。本当は、横にいる事すら許されない」

分かってたでしょ、朔間は私にそう言葉をかける。思ってた、分かってたんだ。私が、何度もそれに劣等感を抱いていたか。陽の光すら眩しくて、不快で。けれど、その存在がないと生きていけないと錯覚していた。
言葉の代わりに、涙腺が緩みかける。だめだ、泣いてはいけない。私は、拳を作り体に力を込める。こいつの前では、泣きたくない。そんな私を見て、朔間は楽しそう。腹が立つ、私は彼を睨んだ。けれど、力無い睨みは全然効かなかった。紅い瞳は再び私を捉えると、ゆっくりマスクを取って耳元で囁く。

「ねえ、寂しい?」

その囁きはまるで、悪魔のようだった。

「埋めてあげるよ、その寂しさ」





「女らしさの欠片もないねぇ」

バカにするような声、振り向いた先には瀬名さん。呆れたような顔で私を見ていた。

「何ですか、文句あるんですか」

夜にコンビニの商品棚を物色していた私は、口を突き出し瀬名さんに捻くれた態度をとる。仕事が終わった帰り、コンビニで瀬名さんと出くわすのは2回目だ。

「別にぃ?仮にも女子が、そんなんで良いのかと思っただけ」

私は今一度、持っているカゴの中身を確認する。アルコール類におつまみ、あとカップ麺。私にとっては普通で、日常的な食生活だ。

「これ、いつも通りです」

私の返答に、瀬名さんは眉間にしわを寄せ不快そうな顔をする。そんなに文句あるか、私は面倒になってそのままレジへと向かった。すると瀬名さんも、何かを手に取り遅れてレジへと向かう。会計を終えて、瀬名さんを見ると瀬名さんもちょうど会計を終えたようで目があった。なに、私を見てそう言うと横に並んだ。

「瀬名さん、彼女でもいるんですか?」
「はあ?何でそうなるの」
「だって、」

そう口にしながら、瀬名さんがコンビニで買った袋を指差す。そこに入っているのは、缶チューハイか何かが2本。ひとりで飲むのだろうかとも考えたけれど、体型やらに気を遣っている瀬名さんだ。カロリーのあるアルコールを何本も飲まないだろう。

「横に、ユニットのリーダーが居るんだよね」
「りーだー?」

帰路へと向かいながら、話す瀬名さん。リーダー、私はあまりピンと来なくて疑問形で言葉をそのまま返す。私が分かっていない事を察したのか、瀬名さんは少しだけ笑った。

「苗字さん、本当にアイドル興味ないよねぇ」
「何言ってるんですか、瀬名さん知ってるから完璧でしょう」
「まあ、いいけどぉ」

瀬名さんは、私にそう言うとリーダーがどう言う人かについて話し出した。Knightsのリーダーで、名前は月永レオ。作曲もしているらしく、今では世間で話題の音楽は大半月永レオさんの作曲らしい。

「凄い人ですね。で、その人が横に居ると」
「そうなんだよねえ、敢えて俺の隣に住みだしたの。本当迷惑」

そんな事言いつつも、瀬名さんは少し嬉しそうな表情をする。多分、その月永さんとやらが好きなのだろう。どう言う関係か知らないけれど、同じ仕事をしてその上同じマンションに住んで居るなんてよっぽどだし。仲良いんですね、言いかけたけれど私は笑うだけで口には出さなかった。多分、そんな事言わなくても瀬名さん自身が十分知っているだろうし。

「あ、そう言えば」

瀬名さんは、何かを思い出したかのように呟くと、鞄の中を漁りだした。何だろうか、その間、瀬名さんの顔を見る。夏で夜も暑いのに、瀬名さんはマスクに帽子姿。暑くないのかな、それにしてもマスクしているのに綺麗な顔は隠しきれていない。前世でどれだけ得を積めば、こんな綺麗な顔立ちに生まれるのだろう。この人は、それだけではなく自分なりに努力もしているだろうけども。

「これ、来ない?」

目的の物を見つけたらしい瀬名さんは、私に一枚の紙を渡した。何だろうこれは、受け取って夜の暗さになれた目で紙に書かれた文字を読み上げる。

「ない、つ、ライブ……?」
「そう、ちょっと先だけど苗字さんにはいつもお店でお世話になってるし」

少し早口で言葉を捲したてて喋る瀬名さんは、私と目が合う。けれど、すぐ目を逸らしてしまった。日付は来月、予定は開けられるし大丈夫ではあるはず。けれど、

「私には、勿体ないです」

私は、苦笑いになりつつ瀬名さんにチケットを返した。

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