まるで海の中にいるような、幻想的で美しい内装。程よい喧騒の中、用意された海に面した窓際(とでもいうのだろうか)の席に座り、オーダーしてから待つこと約5分。カラフルな珊瑚たちに囲まれて水の中をすいすいと泳ぐ魚たちをぼんやり見つめていると、目当ての料理を持ったウェイターが視界の端にちらついた。

「お待たせいたました。浜辺のクリームリゾットでございます」

優雅に丁寧な仕草でテーブルに置かれた料理を一瞥して、それをサーブした人物を見上げる。

「ありがとう、ジェイド」
「珍しいですね、ラウンジに来てくださるなんて」
「そうだな。今月はちょっと余裕があったんだ。ジェイドの働いてるところも見たかったし」
「そうですか、僕も貴方が来てくださって嬉しいです。ありがとうございます」

俺の世辞にジェイドは胸に手を当てにこ、といつもの笑みを浮かべる。その所作は整っていて美しい。

「では、ごゆっくりお過ごしください」

去り際の挨拶。ジェイドは恭しく一礼をした拍子に俺を見つめ、きゅ、と僅かに口元を強張らせた。

「…今夜、貴方のところに伺っても?」
「…ああ。……待ってる」

耳元で囁かれた言葉に笑みを浮かべて返事をすれば、彼はほっとしたように微笑んだ。




ジェイド・リーチと付き合っている。そんな摩訶不思議なことをもう1ヶ月も続けている。
俺がジェイドに告白されたのは、約1ヶ月前のことだった。
魔法薬学の授業の終わり。教室からぞろぞろと出ていくクラスメイトに続こうとしていた時、「少しお時間よろしいですか?」とジェイドに話しかけられた。それに俺は平然を装って頷いた。何かやらかしてしまっただろうかと内心冷や汗をだらだらと流していたわけだが。「話って?」「はい、実は、」なんて、誰もいなくなった教室でそんな簡素なやり取りをした後、俺よりも背の高い目の前の男は、顔を赤くして俺にこう言ったのだ。
「貴方が好きです」と。
ジェイド・リーチ。オクタヴィネルの副寮長で、寮長のアズール・アーシェングロットに与するリーチ兄弟の片割れ。アズールが生徒と交わした契約の名の下に、彼らは所謂取り立てまがいのことをしており、マフィアだとかなんとか、その悪名はナイトレイブンカレッジ中に轟いている。
気分屋で何をするか分からず手も出すのが早いもう一人の片割れ、フロイド・リーチとは違い、ジェイドは物腰も柔らかく、誰に対しても丁寧に接する。一見するととっつきやすそうに感じるが、腹の中は真っ黒だ。計算高く、何を考えているか分からない。下手したらフロイドよりもタチが悪い人物。それが俺の印象。俺の、できるなら近付きたくない人物ランキングで堂々のナンバーワンである。
ということで、俺はジェイドと適度な距離を保ってきた。運の悪いことにジェイドとは同じクラスだが、接点と言えば授業のペアか日常会話をする程度だ。ジェイドにとって俺はただのクラスメイトで、それ以上でも以下でもない。だからその立ち位置を維持しようと変に目立つことはせず、至極平凡な学生生活を楽しんできたつもりだ。実際俺自身はNRCの中では平々凡々な人間なので上手くいっていた。そう、1ヶ月前までは。

「…はあ〜〜……」

ラウンジで美味しい料理を平らげ、自室に戻ってベッドにダイブ、そのままごろごろ寝転がり、天井をぼんやり見つめる。
理解ができなかった。いや今もできていない。俺に告白してきた時は何かの冗談か、何らかの理由で俺を利用しようとしているのだと思った。ジェイドが本当に俺のことが好きだから告白してきたというより、何かを企んで俺に告白をしてきたのだと、そう考える方がしっくりくる。ではなぜ断らなかったのか?断った後の報復が怖過ぎたからである。
というわけで、ジェイドからの告白に俺は「ヨロシクオネガイシマス」と返したわけだ。それからというもの、現在まで順調に「お付き合い」が続いている。とはいえ、ジェイドに怪しまれないように普通を装ってはいるものの、正直ストレスは溜まっていく一方だ。せめてこの「ごっこ遊び」が何のつもりなのかが知りたい。まあどうして告白なんてしてきたのかと本人に聞いてもどうせはぐらかされてしまうだろうが。

「……ん、」

思考を中断させたのは、静かな音楽を混ざって鳴らされたノックの音だった。憂鬱な気分を振り払いつつ、立ち上がりドアの元へと歩いていく。ふう、と息を漏らして数秒、扉を開ければノックをした張本人、オクタヴィネルの漆黒の寮服に身を包んだジェイドが顔を見せた。

「よお。早かったな」
「ええ。今日はいつもより早く締め作業が終わりまして」

そんな会話を一言二言交わして、ジェイドが部屋へと足を踏み入れる。訪れるのに慣れた部屋を見回して、机上のPCから流れる音楽に落ち着く曲ですね、とぽつりと感想を漏らした。それにいいだろ、俺この曲好きなんだ、と返す。俺の言葉を聞きながら、ジェイドはこちらを振り返った。

「………」

薄いオリーブとゴールドの瞳が瞬いて、俺を見つめる。無言で見つめ返せば、ジェイドは形の言い唇をきゅ、と引き結んだ。ああこの仕草、ラウンジでも見た。

「あの」
「うん」
「触れても、いいですか」
「…うん、いいよ」

小さなお願いだった。それに軽く腕を広げて了承すれば、恐る恐るというように、俺よりもずっと長身のジェイドが身を寄せてくる。ぽすりと俺の肩に顔を埋めて、そろりと腕が背中に回される。それに応えるように細い身体を抱き締め返した。
付き合い始めてからの俺とジェイドのそういう接触はほとんどない。俺から求めることは殆どせず、大抵はジェイドの方から行動を起こされる。「触れてもいいですか」がいつもの台詞で合図だ。いいよと言えば、彼はおずおずと体を動かす。手を握られたり、抱き締められたりするのが主で、キスされたことは一度もない。これが「ごっこ遊び」の所以である。付き合い出してからある程度のことは覚悟していたのだが、こうしてハグ止まりで一向に進まないことは意外だった。まあ告白から今までの行動の全てが意外すぎるのだが。

「………」
「……………。」

で、これだ。この抱き合ったままの時間がしばらく続く。充電でもしてるのか?と思うくらいにジェイドは俺にひっついて離れない、し喋らない。俺はといえばその間、部屋に響く時計のカチコチ鳴る音をずっと数え続けている。正直退屈である。のでさっきの考えごとの続きをすることにした。
一体こいつはどういうつもりで俺にこんなことをしているのか。全くもって解せない。それにただ触られているだけの状態が1ヶ月も続いていては、同性からとはいえ「恋人」なのだし、何となくむず痒い。なんなら焦らされている気さえする。これも計算のうちなのだろうか。だとしたら何が狙いなのだろう。こっちが手を出すのを待っている?うーん、いまいちピンとこない。
何か手掛かりにでもなればとジェイドのシフト中にほぼ行ったことのなかったラウンジに赴いたのだが、結局逢瀬を求められただけで終わってしまった。料理を待つ間フロアで動くジェイドを目で追っていたが、長身で細身のあいつのウェイター姿は中々様になっていた。元々動きも綺麗で丁寧だから余計だろう。それくらいしか収穫はない。

「(そういえば)」

それから少しだけ、目論見とは全く別のことに思考が移る。考え出したら気になって仕方がなくなったので、ラウンジにいた時にずっと考えていたことを実行に移した。ちょっとセクハラくさいが恋人だからこれぐらいはセーフだと思いたい。

「っひゃ、」
「、可愛い声だな。驚いた?」
「っなまえさん、」

びくりと身体を跳ねさせて、普段の落ち着いた声からは想像もつかないような裏返った声。これは素みたいだ。意外だ、こんな声出るのか。ちょっとだけ可愛いとか思ってしまった。普段こうしている時は俺は抱きしめ返すだけで何もしなかったから、いきなりの行動に(しかも触ったのは尻である)驚いたのだろう。真ん丸の瞳が俺を見つめている。

「今日、働いてるお前を見てて思ってたんだけど、お前って尻小さいよな」
「っいきなり何、を」
「だから尻、小さいなと思って見てた。触って確かめてみたくて。突然触ってごめん」
「見ていてくれたんですか…?」
「あ、そっちなの?」

尻をずっと見ていたところをたしなめられるかと思ったが、俺が自分のことを見ていたことが嬉しいらしい。ジェイドは頬をほんのりと朱に染める。……ちょっとずれてないだろうか。

「……もう少し触ってもいい?」

とは思いつつ、抵抗される気配はないことにちょっとだけいい気になって聞いてみたら、ジェイドはこくりと黙って頷いた。いいのかよ。尻だぞ?お前それでいいのか?と思ったが、せっかくなのでもう少しだけこの感触を味わせてもらうことにする。

「っ、ん、…っ!」

むに、むに。最初は弱く、時折力を入れて揉んでみる。ジェイドの尻は小ぶりで、男のくせに割と柔らかい。正直揉み心地がいい、なんて思ってしまった。揉まれている本人は眉を寄せ、唇を噛みん、っん、と懸命に声を出さまいとして、一方で脚をもどかしそうに擦り合わせている。
その様子を見てはたと気付いた。
そうか。もしかしたらジェイドが狙っているのはこれか?
人魚とはいえ盛りのついた男子だ、やりたいことはやりたいのではないか。ついでに言うならこの学校にも同性愛の風潮あるらしいし、男同士ということを気にしないなら。俺を選んだのは謎だが、きっとジェイドにとって俺は都合が良かったのだろう。進展が遅かったのは「演技」だ。わざと焦らして俺から手を出させて、楽しむため。
一度そう考えたらそれしか考えられなくなってきた。いやに胸がもやつく気がするが、今はそれしか考えられない。

「…っん、ん、ぅ」
「…はは、尻揉まれて感じた?」
「貴方が、触るから…」
「うん、だよな。ごめん」

謝りつつも、やめはしない。だってジェイドが欲しいのは、きっとこれなのだろうから。

「ジェイド、お前のデカいの、当たってるぞ」
「ぁ、っ!すみませ、っ」

かあ、と瞬時に顔が赤くなったジェイドの離れようとする腰を抱いて余計に密着させる。普段きっちりして大人びていてもやっぱり高校生男子だ、服越しからでも分かる興奮の証にニヤついた。良いモノ持ってんじゃん、少し揶揄う口調で眼前の顔を見つめれば目の前の人魚はますます頬を染めていく。

「なまえさん、これ以上は…」
「これ以上は、何?」
「っや、ぅ」

片手でジェイドの細い腰を抱き寄せたまま、もう片方の手で彼の小さい尻を揉みしだく。それにも彼は小さく震え、上擦った声を上げた。ああ、エロいなこいつ。

「教えてよ、ジェイド。……こういうコト、したいと思って来たんじゃないの?」
「……っちが、」

きゅ、と服を握られる。
目を潤ませ、か細い声で漏らされた言葉は震えていた。

「…僕は、…あなたが好きで、」
「……」

嘘だ。
その言葉を聞いた瞬間、さっきまであった熱が幻だったみたいに冷めていく。
好きだからなんだ。そんなの建前だろう。ヤりたいからこんなことをしてるはずなのに、こいつ、何をまだ純情ぶってるんだ?
「好き」だなんて、そんなの──、

「………」

…なまえさん?揺れるジェイドの声。耳には入ってきても、頭には入ってこなかった。
ジェイドからゆっくりと体を離す。何も言わずに動きを止めて距離を置いた俺に、奴のその顔は強張って、不安そうに色の違う双眸が俺を見つめた。その表情にすら苛ついた。なんでかは分からない。だけど今は、こいつの全てが信じられないでいた。

「……やめろよ」
「え…?」

漏れ出たような低い声。突然の俺の言葉にジェイドの表情がますます曇る。ああ、胸の疼きがどうしようもなく不快だ。眉間に皺が寄る。口が渇く。そこから先は、止まらなかった。

「……お前、俺のこと好きって言ったよな。俺、その言葉が信じられない。俺に向けられる感情も、視線も仕草も、お前の全部が信じられない。今もそんなカオして何か企んでんじゃないかって思ってる」
「そ、んな」
「つーか、ヤリ目で都合の良い俺を捕まえたんだろ?なのに"好き"ってなんだよ。お前、何がしたいんだ?俺はお前やアズールに渡せるものは何もないし、ただ俺のことを誑かして楽しもうってんなら、頼むからやめてくれ。……不愉快だし、迷惑だ」
「待って、待ってください、なまえさん、っ」
「…ごめん、無理だ。…もう帰ってくれ」

その日、俺は初めてジェイドのことを拒絶した。