これのネタから




今年、仲間と一緒に行った初詣で引いたおみくじは中吉だった。占いとかおみくじとか、そういう運試しの類のものは自分に都合の良いものだけ信じるタチなので、仲間内の中で一番良い結果に幸先いいぞと上機嫌で初詣を終えたことは記憶に新しい。
それでも、仕事、健康、金運、旅行の欄にそれぞれ何が書いてあったか、もう覚えていない。けれど、最後に目を通した恋愛のところは今でも頭に残っている。
「悩むことは大小含めあれど、概ね恋愛は成就する」。
そう、大体そんなことが書いてあった。そしておみくじの通り、なんと今年に入ってから恋人ができた。恋愛成就なんていつぶりのことだろう。数年ぶりにできた恋人に、俺は文字通り有頂天だった。が、またもやおみくじの通り、恋人ができてからすぐ、俺はある一つ大きな悩みごとを抱えることになった。
俺の恋人がめちゃくちゃにかわいすぎて困る。
これはマジで問題だ。なにしろここ最近で一番時間を割いて悩んでいることがこれなのである。恋愛に悩みごとは付き物だし、我ながらなんて幸せな悩みだとは思うが、事態は割と、いや、結構深刻である。

「なまえサン」
「おう千冬」

部屋のインターホンの音に廊下を抜け、ドアを開けて鳴らした人物を出迎えると、制服姿の俺より少し背の低い少年はぱっと笑って、それからぺこりとお辞儀をした。その拍子にふわふわとした触り心地の良い金髪が揺れる。「学校お疲れ」、そう言いながら部屋へ通せば、「ありがとうございます」とまたはにかんで、律儀に「お邪魔します」と挨拶してから部屋へと上がった。こいつ、見た目も中身も不良だけど、こういうところはきっちりしているし礼儀正しいんだよな。いわゆる筋を通す不良ってとこだろうか。
松野千冬。黒髪と金髪のツーブロック、片耳ピアスの中性的な少年。そう、この少年が俺の恋人であり、目下の幸せな悩みの種である。

「悪いな、今家になんもなくて、ちょっと待ってて」
「いえ、全然気にしないでください。寧ろありがとうございます、その、部屋上がらせてもらって」

そう言う千冬は新鮮だとばかりにきょろきょろとあたりを見回している。そんなにあちこち見られるんだったらもっと掃除しとけば良かったな…、と少し後悔しつつ、一人暮らしの狭いキッチンへと足を向けた。

「学校どうだった?」
「フツーっすよ、いつもとおんなじ」

雑談を交えつつ、まずはお菓子でもとガサガサとキッチンの戸棚を漁る。が、食料らしきものは出てこない。まずいな、お菓子どころかインスタント食品しかないかもしれない…。

「フツーってことはお前、また授業サボってたのか? たまには授業きちんと出ろよ」
「……なまえさん、たまに親みたいなこと言いますよね」
「大先輩からのアドバイスだっつの。将来のために適度に勉強はしておけよ。まあお前は要領良いし、平気そうだけど」

そりゃあ親みたいなことも言うだろう。なにしろ千冬はまだ中二、俺は今年二十二になる社会人だ。人生の荒波に一足先に揉まれた俺からすれば、こんなアドバイスもしたくなる。まあそれにしたって、荒波に揉まれた末に八コも下のちんこに毛が生えたばっかの子供(しかも野郎)と恋人同士になるなんて、……人生どうなるか分からないもんであるが。
そもそもどうして俺がこうしてなけなしの食料を漁っているかというと。千冬と夜電をしていた時にそろそろ定期考査で勉強がやばいという話が出て、これでも俺は塾講のバイトをしていたことがあったので、少しでも足しになるならと勉強会でもするか? と言ってみたのだ。で、どうせなら飯もついでに食うか、となったのである。それがちょうど一週間前の話だ。付き合い始めてそろそろ一ヶ月経つが、何気に千冬を家に上げるのは初めてなのでちょっとドキドキしている。気を紛らわせるために適当な会話を始めてはみたはいいものの、千冬も千冬で緊張しているのか、話をすれば返してくれるが若干表情が硬い。そりゃあ初めての恋人の部屋に初めて上がるのは緊張するか、そうだよな…。もっと気を遣ってやれれば良かったのだが、如何せん俺も俺であまり気持ちには余裕がない。
俺の方がずっと年上のくせに情けないな…と反省しつつ、一通りキッチンを漁ったところで手を止める。

「………。」

結果、発掘できたのはカップラーメンが一つだけだった。
マジで情けねえ…。

「半分コします?」
「え?」
「え、あ、…すみません、クセで」

カップラーメンを見つめながら自分の情けなさを噛み締めていると千冬からそんな言葉が飛んできた。思わず聞き返すと、千冬は気恥ずかしそうに目線を逸らす。「半分コ」、どこかで聞いたことあるフレーズだな…、と数秒考えて思い出した。

「ああ、圭介か!」

そうだ、確か圭介がそんなことを言っていた。圭介というのは俺の昔馴染み─といっても七コ下なので弟みたいなもんである─で、千冬の学校の先輩であり、千冬も彼と同じ仲良し不良グループに属している。そういえば、最近圭介が家に遊びに来た時もちょうどペヤングの超大盛りが一個しかなくて「半分コ」したばっかりだった。千冬は圭介を慕っているし、きっと圭介と「半分コ」したのが良い思い出になってるんだろうな。

「お前らホント仲良いよな〜、半分コって育ち盛りには全然足りないだろ」
「え? あ、はい、そっすね……」
「つーか、半分コ以前に俺が誘ったのに飯がカップヌードルは良くないよな」

待ってろ、なんか探すから、と俺のことを見守る千冬にそう言って、諦めずにキッチンの棚という棚を開け閉めしたが。

「………ごめん、食えるもんがない!」
「……なまえさん、ちゃんと食ってるんすか?」

結局戸棚という戸棚を開け閉めしただけで終わったし、ついには若干呆れ顔で心配までされてしまった。

「…食ってるよ、たまたま今日冷蔵庫の物が尽きたってだけで」

といっても自炊は普段せずにコンビニ弁当ばっかりなので、もともと冷蔵庫の中身はあんまりないのだが。

「こりゃ買い出しだなあ…、千冬、来てくれたばかりで悪いけど買い出し付き合ってくれる?」
「いいっすよ、なまえさんの普段の食料も買わないとっすね」
「もう、俺のはいいんだよ。千冬なに食いたい? レパートリー少ないけど俺何か作るよ」
「えっ」

そうなんとはなしに言えば、千冬の顔がぱあっと一気に明るくなる。

「なまえさん、手料理作ってくれるんすか!」
「そんな喜ぶもんでもないけどな。味とか普通だし」
「いや味とかカンケーないっすよ、だってなまえさんが作ってくれたものを食えるなんて」
「ま、俺だけじゃなくてお前にも手伝ってもらうけど。共同作業な」
「! はいっ勿論です!」

この流れだと勉強会よりも飯の方がメインな感じになりそうだが、それはそれ、これはこれである。「やった」と噛み締めるようにこぼしてから年相応にはにかむ千冬がかわいいので、ここは腕によりをかけて作らなければ。


  ○


最寄りのスーパーまでつっかけをぺたぺた音をさせながら歩きながら駄弁り、飯何するかと話し合って、結果俺の数少ないレパートリーの中で一番マシに作れる肉じゃがを作ることになった。まあ俺が作れる料理のうちほとんどは汁物なので、汁物の中から選んで、という感じだったのだが。バリエーションがないのが申し訳ないところだが、汁物は一度にたくさん作れば数日持つし、材料を切って鍋にぶち込むだけなので楽なのである。
一人暮らし用のキッチンに二人並ぶと流石に狭い。お互いの肩がぶつかるくらいの距離で並んでいると共同作業感が増すなあ、なんてちょっとほくほくした気持ちになったのは秘密だ。千冬に手伝ってもらい買ってきた食料、プラスデザートやらお菓子やらを然るべき場所にしまって、早速調理に取り掛かる。切られていればいいのでざくざく野菜を切りながら「テキトーでいいぞ」と言ったら丁寧にジャガイモの皮を剥く千冬に「かっけえ…!」と感動されてしまった。千冬の感動ポイントがよく分からない。
二人で準備をすると早いもので、あっという間に下準備が終わって煮込む段階に入った。待ち時間が長いのが煮込み料理である。ぐつぐつと沸騰する鍋を見てから弱火にして蓋をし、タイマーをセット。まずは二十分煮込み、一度中身をかき回してまた二十分、そして蒸らしに十分だ。
タイマーが鳴るまでの空き時間、千冬を居間に通してまた駄弁る。俺が仕事があって中々会えない分、お互いの近況を話したり、くだらない話をする時間は俺にとっては貴重だった。

「──万次郎の道場に通ってた頃から知ってるから…、圭介とは結構長い付き合いだな。よく遊びに付き合ってたよ。ほら、あいつ見た目に反して動物に好かれるだろ? 野良猫と戯れあったりしてたな〜」

千冬の話には圭介が登場することが多い。というか東卍の隊長と副隊長らしいし(あんまりよく知らないが)、なんなら同じ中学だしでいつもつるんでるようなものだ。それはもう話にたくさん出てくる出てくる。それを俺は青春だなあって思いながら、いつも頬を緩めて聞いているのである。

「あ、そういえば千冬は猫飼ってるんだよな。ペケJ、だっけ? かわいい名前してるよな、……」

と、そこまで言って気付いた。千冬の表情が曇っている。

「……どうした?」
「………場地さんの話は、もういいです」
「……えっ」

まさか、圭介大好きな千冬が圭介の話を「もういい」と来るとは。そういえばさっきからずっと俺ばっかり喋ってしまっている。しまった、調子に乗って喋りすぎた。

「あー、すまん、つい思い出話で盛り上がっちまった……」
「……なまえさん、今はオレといるのに、さっきから場地さんの話ばっかりじゃないですか」
「……」

いや、それは普段のお前もだぞ千冬、とは思ったが、この状況でそんな揚げ足取りみたいなことは口が裂けても言えない。というか、これは。

「……もしかして、ヤキモチ焼いてる? 圭介に?」
「………」

千冬は何も言わない代わりに、その眉間の皺が深くなった。これは図星だ。
自分のことを棚に上げてヤキモチなんて、なんとまあかわいいことをしてくれる。思わず顔がだらしなくにやけそうになったが、千冬の様子を見て引き締めた。彼の表情は暗いままだ。
何か言いたげな様子の千冬の様子を見守る。そんな彼は下を向いたまま、やがてぽつり、ぽつりと普段とはかけ離れた力のない声で話し始めた。

「…ワザとじゃなかったけど、なまえさんは、オレが半分コって言った時も全然反応してくんないし」
「…うん」

返す言葉もない。

「今日だってオレ、なまえさんの家に上がらせてもらうの、すげえ楽しみにしてたし、頭おかしくなるんじゃないかってくらいドキドキしてたけど、なまえさんは……なんか普通だし」
「いや…それは、」

それは俺だって内心すごくテンパってたけど、なんとか上手く隠し通せてたってだけなんだが…。言い訳をしようとしたが、千冬の言葉は止まらない。じわじわとエメラルド色の瞳が滲んでいく。

「そりゃ、オレはなまえさんより全然年下でガキだけど、でも、…っオレ、なまえさんのこと、すげー好きなのに」
「ち、っ千冬……!」

ついには言いたいことが言葉にならなくなってしまったのか、千冬は固く唇を結んで、その瞳からはぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
泣かせてしまった。
千冬の涙を見た途端、体が石のように固まった。やばい、まずい、どうしよう。そんなことばかりが脳内を巡る。
こういう時、どういう風にフォローすればいいのだろう。
じわりと変な汗が滲む。千冬が家に来た時とは別の意味で、心臓がどくどくと音を立てていた。

「………千冬」

なんとか出した声は、かろうじて平静を装えたと思う。恐る恐る肩に触れ、薄い体をそっと引き寄せる。これがマトモな恋愛経験がない俺の、思いつく唯一の方法だった。ハグなんて片手で数えるほどしかしてないのに、そのうちの貴重な一回を泣かせてしまったことで消費してしまうなんて。今日何回目だよ、本当に情けない。
それでも拒否されなくて良かったとほっとしつつ、頭を必死に働かせ、次に言うべき言葉を声に乗せる。

「ごめん、圭介のことは……、お前は圭介のこと尊敬してて憧れてるのとか、圭介だってお前のこと信頼してるのとか、お前からもあいつからも話聞いてると分かるんだよ」
「……」
「それが、微笑ましいというか…実際お前らが一緒にいるとこだって見るけどさ、ホントに仲良いんだなってニコニコしちゃうんだよ……」

言いたいことがまとまらない。これフォローになってるのか? なってなくないか? 本当にひどいな。思い切りため息を吐きたい衝動に駆られたが、きっとため息を吐きたいのは千冬の方だろう。
これはもう一言フォローを入れるべきだろうか。これ以上言っても苦しくなるだけではないだろうか、いやしかし。悶々としていると、俺の胸あたりに顔を埋める千冬からくぐもった声が聞こえてくる。

「…なんで、そこでニコニコするんすか」
「……だって微笑ましいんだもん……」

だめだ。完全にアウトだ。自分でも分かっているが答えになってない。かといって、あの微笑ましさの理由を言葉にして説明できる自信はなかった。
千冬はそこで口を閉ざしてしまった。ああ、やっぱりまずったなと思いつつも、口下手な俺ではこれ以上の言葉は逆に余計ことを悪くさせるだけだろう。
抱き寄せてから置く場所に迷って、俺の手は千冬の小さい背中に添えるだけ。
それにしたって薄い背中だ。ケンカがどんなに強くたって、こいつはまだ十四歳なのだということを実感する。そう思うと、俺よりもずっと年下の恋人を泣かせてしまうとはと、さっきまでの楽しい気持ちが一気にしぼんで、やるせない、くずおれた気持ちが全身に広がっていく。

「………なまえさん」

微かな声と共に、きゅ、と服が僅かに引かれる感覚に視線を下に遣る。その瞳は濡れてはいたが、涙は止まったようだった。揺らめく瞳と目を合わせれば、千冬が小さく口を開く。

「オレが場地さんと一緒に居ても、場地さんの話をしても、何しててもなまえさんはヤキモチ焼いてくれないんですか」
「う、…ううん、そうだなあ……、」

正直千冬が圭介と居るところを見ても、圭介の話を聞いていても、そういった感情は湧いてきたことがない。

「そもそも、圭介は俺にとっては弟みたいなもんだし、千冬が俺のこと圭介とは違う形で好きでいてくれてるの、分かってるからさ。だから嫉妬のしようがないというか……」

そう、千冬は俺のことが好きだ。それは千冬が俺に告白される前から分かっていたし、付き合い始めた今も重々承知している。千冬が好意を寄せてくれているのが分かっているから、彼が俺ではない誰か一緒にいても、嫉妬という感情は沸き起こったことがなかった。千冬が普段つるんでいる奴らが俺よりもずっと年下で、そもそも嫉妬の対象として見ていない、というのもあるだろう。
でも。千冬からの好意の上に胡座をかいて、自分は相応の好意を示さないというのは、彼に対して不誠実なことではないのか?

「………なまえさんは、ずるいです、オレよりずっと大人で」
「そりゃまあ、お前より八コも老けてるし…」

年齢と人生経験ぐらいだろう、俺のアドバンテージ。だからこそ年上の俺がリードするべきなのだ。ぐるぐると考えが頭を巡る。好意を示す。その一番効果的な方法は分かっている。でも、もし止まらなかったら?

「はは、…オレばっかいっぱいいっぱいなんて、なんかダサいっすね」

力なく笑って、千冬は制服の袖で濡れた瞳をこすった。ブレザーの繊維が涙を吸収して、その染みが色濃く現れる。

「……お前はダサくないよ」

むしろダサいのは俺のほうだ。

「お前を泣かせて、今だってどうしようってテンパって……、俺、お前よりずっと年上なのにさ。ほら、俺の方がしょうもないだろ?」
「……テンパってたんですか?」
「そりゃあテンパるよ、好きな子泣かせちまったんだし」

俺を見上げる千冬に微笑んで、指の腹で涙の筋を拭ってから頬にそっと手を伸ばす。日焼けしていない白い肌は、男にしては柔らかい。

「あんま言いたくないけど、俺も我慢してていっぱいいっぱいなんだよ。今日だってお前と同じように内心ドキドキしてたし、俺ん家ではしゃぐ千冬はすげーかわいいしさ」
「っな、…はしゃいでなんか、つーかかわいいって、」
「嫉妬してくれんのとか、俺のフツーの手料理に喜んでくれるところとか、行動がいちいちかわいいんだよお前。かわいいって言われんのイヤかもだけど、でもお前がいちいちどうしようもなくかわいくて、……すげえ、手ェ出したくなる」

顔が熱い。途中までは千冬と目を合わせていたけれど、どうにも恥ずかしさに耐え切れず、言い終わる頃には声も小さくなってしまったし顔も逸らしてしまった。
俺よりも何歳も年下の、しかも中学生相手に手を出したくなるなんて。そんなのマジでどうかしている。
頭ではそう思っているのに、気持ちがどうしても止まらない。千冬の俺に向ける笑顔や、仕草どれをひとつとってもたまらなく愛おしくて、触れたくなるし、抱き締めたくなるし、キスだってしたくなる。その衝動に駆られる度に毎回毎回俺の理性が必死に押し留めているのだ。これが付き合い出してからずっと続いている。まだ一ヶ月しか経っていないのに正直もう限界である。かっこ悪いから、千冬には絶対限界なんて言わないけど。

「そういうわけだから、俺も結構余裕ないんだよ、いいオトナが、中学生相手にな」
「………」

こんなことを言っている時点であんまりかっこよくないし、大人である俺がまだ中学生の千冬に「手を出したい」なんて言うべきではない。けれど、それで千冬の不安が取り除けるのなら言うべきだ。
ごほん、その場の雰囲気を取り繕うようにひとつ咳払いして千冬の表情を窺えば、彼は真っ赤な顔をしてきゅう、と唇を結んでいた。千冬がこんな反応をするのはある程度読めてはいたが、それにしたって実際に見てみると想像していた十倍はかわいらしい反応である。
千冬の瞳がさまよう。横に逸れ、下に俯き、やがて上目遣いの瞳が俺を見つめる。そして、薄い唇が小さく言葉を紡いだ。

「なまえさん」
「なに?」
「………手、出してくんないんすか」
「………あのな、そういうところだぞ、千冬」

だから言いたくなかったんだ。




20210808