パン屋の兄妹と寂しがり屋の魔女

パン屋を営んでいる我が家では、焼きあがったパンを街へ売りに行くのが日課となっている。
いつもは父さんと母さんが大きな籠を背負って行くのだが、その日はどちらも昼から外せない用事があり、
今回ばかりは長男である俺が行くことにしたのだ。
俺一人で行くつもりだったが、それを聞いたすぐ下の妹、禰豆子も心配だから一緒に行くという。
俺はそれを笑って了承し、二人で手を繋いで森へと出かけた。

森を暫く歩いて抜けたところに、大きく栄えた街がある。
いつもそこに売りに行き、日が落ちる前に帰るのだけれど、その日は少し遅くなってしまった。
街を出た時には既に茜色の空だった。
森に入って暫くしたら、空の色も真っ暗になってしまい、方向が分からなくなったのだ。

「お兄ちゃん、どうしよう…」

禰豆子が心配そうな顔で俺の後ろをついてくる。

「大丈夫。きっともうすぐ家が見えてくるよ」

安心させるために笑ってそう言うが、実は妹に動揺を悟らせないように必死だ。
ついつい街に居る幼馴染の女性に振られた話を聞いていたら、こんなことになってしまったのだ。
もう二度と愚痴なんて聞くか、と心に誓った。

段々足元も見えなくなってきた。
そもそも舗装された道ではなかったため、細心の注意を払いつつゆっくり歩を進める。
だが、もうどこを歩いていて、何処に向かっているのかさえ、分からない。
きっと家族も心配しているだろう。
一刻も早く森を抜けないと。

そう思い、辺りを見渡した。
ふと、甘い匂いが鼻を掠めた。
まるでお菓子のように甘ったるい匂い。
誰かがお菓子を焼いている…?

突如として背後から聞こえる腹の音。
振り返ると恥ずかしそうな顔をして、腹を押さえる禰豆子の姿があった。
朝から出て、道中で余ったパンを食べていたとはいえ、腹は空いている。

匂いの元を辿れば、民家にたどり着くかもしれない…!

俺は禰豆子の手を引き、匂いの強くなる方向へ歩き出した。
何故だろう、匂いの元に向かうにつれて、道がどんどん険しくなっていく。
生い茂る草の高さが自分の背丈ほどある。
外から見ると、全く何も見えないだろう。

だけど、匂いは強くなっている。
こっちで間違いない筈だ。

草をかき分けた先にあったのは、小さな家だった。
煙突からはもくもくと煙が出ているし、窓から見えるのは暖かな光だ。
匂いの元はここだ。
しかもよく見ると、家自体はパンで出来ていて、屋根はお菓子だ。
だから甘い匂いがしていたんだ。

疲れ切った身体でふらふらと家に近付いていく。
何て美味しそうなんだ。
空腹と不安で思わず外壁に手を伸ばしそうになった。
丁度その時、その家のドアが音を立てて開いた。


「あら?」


中から出てきたのは、眼鏡をかけ紺色のローブに同じ色のとんがり帽子を被った少女だった。
家の外壁に手を伸ばした俺と目が合う。
暫く沈黙が続き、先に声を発したのは俺だった。

「ご、ごめんなさいっ! とっても美味しそうだったので、つい…」
「私たち、道に迷ってしまって彷徨っていたんです」

俺に続いて禰豆子が声を上げる。
それをポカンとした様子で交互に見つめる少女。
何故かその姿が可愛らしく見えて、俺は少しドキリとした。

少女はこくりと頷き、

「そうだったんだぁ…それは大変だったね。どうぞ、中へ」とドアを開けてくれた。

有難い申し出に俺たちは、何度もお礼を言って中へとお邪魔させて頂く事にした。

中はこじんまりとした、可愛らしい内装だった。
流石に家具はお菓子やパンではなかったけれど、女の子らしいセンスが見える家具配置だった。
禰豆子もキラキラした目で目線を動かせていた。

「この森は広いから、よく迷子になる人がいるんだ。好きなだけゆっくりしていってね」

そう言って、俺たちをソファに案内する少女。
俺たちが腰を下ろしている間に、少女は俺たちの分のお茶を用意する。
ポコポコとお湯が注がれる音が心地いい。

「どうぞ。森でとれたベリーで作ったお茶なの」
「あ、ありがとう!」

ニコニコと俺たちの前にカップを置く少女。
ベリーの良い香りが俺の鼻を刺激する。

「俺は、炭治郎。こっちは妹の禰豆子。家に入れてくれて、本当にありがとう。…えっと…」
「私は名前っていうんだ。よろしくね、炭治郎くん、禰豆子ちゃん」

少し照れくさそうに笑う名前と名乗る少女。
年は俺たちとそう変わらなさそうだ。
だけど、この家には名前しかいないのだろうか。
不思議に思い、キョロキョロと見回していたら、それに気付いた名前が「あぁ…」と口を開く。

「この家には私しかいないの。一人暮らし」
「そうだったんだ」
「二人はお腹空いてない?」

心配そうに俺の顔を覗き込む名前。
タイミング良く今度は俺の腹が鳴った。
頬を指でぽりぽりとかきながら「実は…昼から何も食べてないんだ」と言うと、名前の顔がぱあっと明るくなる。

「今から晩御飯のつもりだったの。よかったら食べてくれる…?」
「いいんですか…?」

禰豆子が身を乗り出して名前に問う。
一番お腹が空いていたのは禰豆子だから。
名前は笑って「うん」と頷いてくれた。



「どうしてこの家はパンとお菓子で出来ているんだ?」

頂いたスープを啜りながら、向かいに座る名前に尋ねてみた。
名前は「えーっと」と言葉を濁しつつ、頬を若干赤らめて答えてくれた。

「ぱ、パンとお菓子が好きなの…。一番はパンなんだけどね。自分でも作るんだけどあんまり美味しくなくて…」

少し残念そうに言う姿に俺は否定した。

「こんなにスープが美味しいのに、そんな筈はないよ。実は俺たち、家がパン屋なんだ。もう固くなっているけれど、良かったら余ったパンを食べる…?」
「良いの!?」

ガタンとその場から勢いよく立ち上がる名前。
あまりの必死さに俺と禰豆子はくすりと笑みが零れる。
名前は少し恥ずかしそうに椅子に座り直した。

「ごめんなさい。パンの事になると…」
「とっても可愛らしくて、良いと思うよ」
「…えっ」

思ったままの事を言うと、仄かに赤かった顔が更に赤みを増した。
まるで湯気が出てしまいそうな顔をブンブンと横に振って「そそそそそんな事…ない」と言う姿も可愛らしい。
俺の横にいる禰豆子が口角を上げてこちらをちらりと見た。
何か言いたい事があるようだ。



その後は空いている場所にベッドを用意してもらい、俺たちは熟睡することが出来た。
気が付けば窓から差し込む光で目を覚まし、トントンと軽快なまな板を叩く包丁の音が聞こえる。

「おはよう。今日はいい天気になりそうだよ」
「あ、おはよう。本当だ」

可愛らしいエプロンを身に纏い、台所へ立つ名前。
朝ごはんの準備をしてくれているようだ。
俺はのろのろと体を起こし、丁寧に布団を皺なく畳む。
禰豆子はまだ隣のベッドで寝息を立てていた。

俺はそのまま名前の隣に立ち、フライパンを覗き込んだ。

「粗末だけれど、こんなものでもいいかな?」
「とんでもない。贅沢すぎるよ、ありがとう名前」
「どういたしまして」

ふふ、と思わず抱きしめてしまいそうになるような笑みを見せる名前。
まるで新婚夫婦のようだと想像が働き、バレないように頬を染める俺。

その後禰豆子が起き出して、三人で仲良く朝ごはんを頂いた。
朝ごはんを頂いた後は、出て行く準備を進める。
これだけ天気がいいのなら、帰り道も大丈夫なはずだ。

「万が一のことが無いように、帰り道は分かりやすくしておくからね。無事に帰ってね」

名前がにこりと言う。
言っている意味がちょっとわからなくて、首を傾げると、名前はしまった、といったような顔をした。

「ごめんね、今言った事忘れて…」
「名前?」
「二人ならきっと迷わずに帰れるから。そう言いたかったの」
「あ、ありがとう」

用意も済んで、俺と禰豆子は家の前に並んだ。
わざわざ家の外でお別れを言いに来た名前に、感謝とまたここに来ると伝えた。
名前は少し悲しそうに笑って「…うん、待ってるね」と言った。

「それじゃ、またね」

そう言って小さく手を振る名前に手を振り返し、俺たちは草木の中を潜り込んでいった。



――――――――――――

あの後すぐ、あっという間に森から抜け出すことが出来、難なく家に戻った。
家族はとても喜んでくれたけれど、俺は最後に悲しそうに笑う名前の姿が頭から離れなかった。

次の日、俺は家の用事を済ませた後、もう一度森へと入った。
確かこっちだった筈だ、と思いながら道を進んでいったが、何故かあの家にたどり着くことが出来なかった。
匂いを辿ろうとしても全然分からなかった。
結局また日が暮れそうだったので、その日は家に帰る事したが、俺はその次の日もそのまた次の日も森へと入った。

1か月が過ぎた。
だけど、いくら森へ入ってもあの家にたどり着かない。
日に日に頭の中の名前の顔が頭から離れなくなってくる。
会いたい、だけど会えない。
悶々と過ごす毎日だった。

俺は決めた。
もう一度あの家に行こうと。
名前に会えるまで、家にも戻らないと。

覚悟して俺は再度森へ足を踏み入れた。
沢山のパンの入った籠を背負って。

朝から森の中を歩いたが、全然見つからない。
次第に日が落ちて辺りが暗くなってきた。
いつもなら、ここで帰るところだが、今日は帰らないと決めた。
俺は更に深く奥へ進んでいった。

足が棒のようになってきた。
近くの木を背にして、その場に座り込んだ。
ぜーはーと荒い呼吸を繰り返す。
もう視界は暗闇で最悪だ。
辛うじて匂いが分かる程度。
今夜はこのまま野宿だろうか。

若干諦めつつも、俺は瞼を閉じた。

すると、どこかで嗅いだことのある甘い匂いを鼻が捉えた。

「……こっちか」

すっとその場に立ち、キョロキョロと見回して匂いの方角を確かめる。
方角が分かると、さっきよりも早いスピードでずんずんと歩き始めた。

段々険しくなる道。背の高い草。
もしかして、と思いながらかき分け進んでいく。

最後の草をかき分けた時、見えたのはあれほど焦がれた家だった。

俺は籠をその場に置いて走り出した。
扉の前について、胸に手を当てる。
少し緊張する。ドキドキしながら扉を叩こうとした時、中から声がした。

「何で戻ってきたの?」

その声は少し震えていた。
弱々しくて、今にも消えてしまいそうだった。

「もうここに来れないようにしていたのに、どうして何度も森へ入ったの?」
「…ここに来たかったんだ」
「どうして? ここには悪い魔女がいるんだよ?」
「魔女…?」

言っている意味は分かるけれど、別にそれは重要な事ではない。
俺が気にしているのは今、扉の向こうにいる彼女が泣きそうだということだ。

「俺は名前に会いたかったんだ、もう一度」

そう言うと、中から息を飲んだ音が聞こえた。
俺は続ける。

「魔女なんて、どうでもいい。名前の顔が見たくて、声が聞きたくて来たんだ。名前は俺に会いたくない?」
「そんなことないよ、でも…」
「ここを開けてくれ」

暫く沈黙が続いた。
が、カチャリと音を立てて扉が開いた。
数センチ開いた隙間に見えたのは、目に涙を溜めた名前の姿だった。

「魔女は、人を食べちゃうかもしれないよ?」
「名前は魔女なのか?」
「そうだよ、だから人里から離れたところにひっそり暮らしてたの」
「そうだったんだ。でも、どうでもいい」

扉の隙間に手を入れて、力の限り開いてやった。
吃驚した顔でポカンと立つ名前。
俺はふう、と息を吐いてその小さな体を抱き締めた。

「会いたかったんだ」

自分の掠れた声が彼女に届いたのだろうか。
強張っていた体がふっと力が抜けていくのがわかった。

「わた、わたしも…」

自分の背中に回った細い腕がきゅっと俺の服を掴んだ。
愛しさが込み上げてきて、俺はさらに強く抱きしめた。


やっと正気に戻って身体を離した時には、名前の顔は真っ赤っかで、今にも火照りあがってしまいそうだった。
その顔を見ていたら、もっと抱きしめてしまいそうになったので、ぐっとこらえる。
名前の話だと、何度も森へ入る俺をここに来させないようにしていたんだとか。
思わずムっと頬を膨らませる俺。

ちょっとイラついたので、まだ頬の赤い彼女の耳元で囁いてやる。



「俺を食べる?魔女さん」



すぐに目を丸くて後ろに倒れた可愛い魔女を、俺は優しく抱き留めた。

prev / next



童話
色いろ