もうあんな思いはごめんだ
bookmark


幸せだった。
長い間、待ち望んでいたその時がやっと来たと思った。
だから、目を覚めてもあのサラサラな髪が横にあって、子供みたいな顔の寝顔がそこにあるもんだと思っていた。

残念ながら、目を覚めたら俺の隣は空っぽだったけれど。

一瞬で以前の事が頭に浮かぶ。
夜を共にしたと勘違いさせたあの日。
いつの間にか彼女は俺の隣から姿を消していて、すぐに戻ってくると思ったら本気で帰ってしまっていて。
完全なる拒絶を感じた。
だから、まさかそんな。
昨晩は…それはもう可愛がった、はずだ。
名前の気持ちも知れて俺は自分の気持ちが一方通行で無い事を知った。
だからこそ自分を抑えられなかったのは仕方ないと思う。

なのに、また名前が消えた。
あれだけ、俺を好きだと言ってくれて。音もそう訴えてて。
最中のあれがダメだったんだろうか。
あまりにしつこい男だと幻滅したのか。
色んな事が頭を過り、俺は上半身を起こす。

布団はまだ暖かい。
だったら、まだ遠くに行っていない筈だ。
布団から出ようとした時、ふと浴室の方から物音がする。
…あ、シャワーの音。

シャワーを流す音が耳に入り、俺は安堵から胸を撫でおろす。
確かに昨夜は盛り上がった。そりゃ、シャワーだって浴びたいだろうさ。

「紛らわしいんだよ…」

くしゃっと片手で前髪を掴む俺。
女々しいにも程がある。たった一人の女の行動で、こんなにも心を乱されるなんて。
しかも前回逃げられたのが相当なトラウマと化している。
マジで二度とあんな思いはしたくない。

安心したら身体が寒さを覚え始めたので、もう一度布団の中にもぐりこんだ。
きっともうすぐしたら名前も戻ってくるだろ。
浴室のドアが開いた音、それから洗濯機を回す音が聞こえた。
普段聞いている音だけど、こんなに幸せを感じる音だったのか。

ペタペタ、と裸足でフローリングを歩く音が聞こえる。
おい、スリッパくらい履けよと思ったが、いたずら心が働いて俺は瞼を閉じた。
案の定、俺が寝ていると思ったのか名前はそのまま気付かないで、俺の横に腰を掛ける。
ちら、と瞼を開けたら名前の背中が見えた。
おいそれ俺のTシャツ。

男もののTシャツを着ている事に気を取られて、名前の手にあるスマホに気付かなかった。
やべ、メッセージ取り消すの忘れてた。
こう胸の中に燻る羞恥心が、今すぐにでも名前のスマホを取り上げたくて、うずうずしている。
……まあ、いっか。
送ったメッセージは俺の気持ちそのものだし。
このクソ鈍感女にちょっとくらい頭に入れて貰えれば、俺の純愛も伝わるってもんだろう。
肘をついて、名前の後ろ姿をじっと眺めていた。

たまに「は?」とか「うわ、最低」とかブツブツ言ってるのを聞くと、思わず笑ってしまいそうになる。
わりとスムーズにスクロールしていた手が、ある所で止まった。
そして、ゆっくり次のメッセージをみて、まるで大切なもののようにスマホを胸に抱きしめる名前。

はあ、この女マジかよ。
くっそ可愛いんですけど。
もう後ろから抱き着いてやろうか、なんて考えながら俺は目を逸らす事なく見つめていた。
丁度その時、スマホを抱えたまま名前が振り返った。

「はっ!? 起きてるじゃん!!」

俺が起きている事に驚きを隠せない様子の名前。
やっと気づいたかこの女。

「…起きるだろ、隣に誰もいなくなったら」

俺ははぁ、と分かりやすくため息を零して、スマホを持つ名前の腕を引いた。


「また逃げられたのかと思って、焦った…」


名前の身体を俺の胸にしまい込んで、そのまま二人で布団に入った。
もうどこにも行くな、そう言いたくなる。
逃げられるのだけは勘弁なんだよ、こっちは。
追いかけるのは得意じゃないんだからさ。

「か、身体も服もベトベトだったから、シャワー借りた…」
「うん、いいよ。起こしてくれれば一緒に入ったのに」
「ぜ、絶対いやだ!」
「ちぇっ」

モゾモゾと俺の腕から抜け出したそうに動く名前。
いや、離さないよ?当たり前でしょ。
暫く我慢しててください。
名前の髪から俺のシャンプーの匂いがして、こう…ね。
ああ、こういうのいいなぁって思った。

名前の手が俺の頭に伸びてきて、そっと俺の頭を撫でる。
…何、こいつ。
さっきから可愛い事しかしてないんだけど、なんなの?

思わず固まった俺が「何?」と尋ねると、名前は少し笑っていた。

「眠そうだったから。まだ寝てなよ」
「…お陰様で目が覚めたわ」
「えっ?」

はぁああ…。
起きてから何回溜息を吐いただろうか。
俺は名前を組み敷いて、その華奢な体の上に乗った。
なるべく体重はかけないように。逃がさないように。

「な、なに…」
「何でさー…そおーいう可愛い事するのかなぁー…おまけに俺のTシャツ着てるしー…俺、なんか試されてるの?」
「はっ!?」
「初めてだからーもうしないつもりだったけどー…そっちがその気ならー…男としてはやるしかないっていうかー」

困惑した顔をみせた名前だったが、俺の言わんとしている事が伝わったのだろう。
段々と青ざめていく表情を楽しみながら、俺はニヤリと口角を上げる。
諦めてほしいんだよね、俺に捕まったんだからさ。
結構今まで我慢して手を出さなかったわけだし(いや、ちょっとは手を出したか)。


「じゃあ、いただきます」


一つ残らずいただきます。

―――――――――


「連絡来ねえし」

何なのアイツ。
遅くなる時は連絡しろって、前も言ったよな俺。
イライラしながら俺は名前の仕事場まで足を運ぶ。
歩いている速度もイライラのせいか、早くなってるし。
また訳わからん男に捕まってたりしてたら、ガチで今日は寝かせないから。

ようやく見えてきたビルの前。
速足で歩いてきたお陰で身体も暑くなってきた。
着ていたジャケットを脱いで、自分の腕にかける俺。

仕方ない、暫く待つか。

いつかの時のように、ロビーが見える場所で棒立ち。
でも案外、こうやって名前を待つのも悪くないと思っている。
どうせ帰る場所は同じなんだからさ。

そう言えば、あの家どうすっかな。
調子に乗ってここ最近名前の家に入り浸ってるけど。
このままずっとあの家に居れるなら、それはそれでいいんだけどな。
俺の家引き払って、もう少し大きな家に引っ越すか。
半同棲じゃなくて、同棲するための、家に。

いくらなんでも気が早いかもしれない。
どんどん湧いてくる妄想を振り払うため、頭を横に振った。
ふと、ロビーに目を向けたら、エレベーターから降りる名前が見えた。
名前も俺に気付いたようで、ちょっとだけ顔が赤くなっている。
まじアイツさぁ。そういうとこなんだよ、それ。

イチゴちゃん?だったか、と別れて、俺の方へ小走りでやってくる名前。
俺も名前の方に歩いていく。

「おっせーよ。連絡しろって言っただろ」
「ごめん、話し込んでて忘れてた」

不機嫌全開でぶっきらぼうに言うと、少し反省したような顔で俺を見る名前。
まあ、分かってたよ。
野郎と居ないだけ良かったよ。

すっと名前に手を差し出すと、躊躇なく俺の手に自分の手を絡める名前。
こいつの手、子供みてぇに温かいんだけど。

「今日のご飯何しよっか」

名前が片手で自分のお腹を押さえてぽつりと零す。
お腹すいてんのね、わかりやすいよ。

「ラーメン」
「食べて帰るの?」
「違う。この前、ラーメンしよって言って食べれなかったから。名前のラーメン食べたい」
「良く覚えてるね、そんなこと」

名前とケンカした、みたいになった日。
ラーメンを作ってくれるって、言ったのに食べられなかった。
わりと心残りなんだよね、あれ。
あの日をやり直したいってわけじゃないけど、悲しい思い出だけにしたくないじゃん。

「作るの手伝ってね、善逸」
「…はい」

ふふ、と笑うながら上目遣いでこちらを見る名前。
こいつは確信犯なんじゃないだろうか。
そう言われたら俺だって、素直にはいとしか言えねーよ。


「名前」
「なに?」
「鼻毛出てる」
「はっ!?」


そんな彼女にばっかリードされるのは癪なので。
いつかのメッセージみたいにチャカして言う。
んでもって手を引いて、崩れた体制を抱き留めながらその唇に齧り付いた。

驚いた名前の顔も可愛いんだよなー、これが。

勿論、癪なので言わんけど。







あとがき
麻里さま、リクエストありがとうございます!
サザンカの最後の話を善逸視点でという事でしたが、いかがだったでしょうか(*‘ω‘ *)
本編書いていた時に善逸視点も入れたかったんです!!
それがこういう形で実現出来て、私としてはほっとしております(*´ω`)
こんな感じで良ければお納めくださいませ〜!

この度は誠にありがとうございました!


prev|next


色いろ