いたずらっぽく笑う声
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「580円になります」
「はい」

お客様から震える手で何とかお金を受け取る。
バクバクと心臓が音を立てているけれど、何とかそれをレジに収納し「丁度お預かりしました」と零した。
レジを打つと自動的にレシートが吐き出され、それをお客様へ差し出す。
先に包んでいた袋と一緒にお客様はそれを受け取って「ありがとう」と言うと、お店から出て行った。
その背中をぼーっと眺めていたら、とん、と肩に小さい衝撃。

「お疲れ様」

炭治郎くんがにこりと微笑んで私を見ていた。
途端にさっきまで感じていた緊張が解れ、はぁああっと強張っていた気持ちが全て吐き出されるような気持ちになる。
とっても情けない、と思うよ?それでも接客なんて人生で一回も経験した事がないから、
こうしてドキドキ緊張しながらレジを打っている。

炭治郎くんのお母さんが用事で暫く県外に出張するというから、その間のお手伝いを買って出たのだ。
お母さんも炭治郎くんも喜んでくれて、無理はしないようレジ打ちくらいで済ませてくれたんだけど、
それはそれでバイト経験のない私からすれば、ハードルが高いわけで。
今まで何でもないように炭治郎くんや禰豆子ちゃんがやっていた接客は、決して簡単なものではなかったと実感した。
そう考えると炭治郎くんたちはすごいなぁ。
私なんてもう半日働いているのに、全然慣れない。

溜息と共に出た思いを感じ取ったのか、炭治郎くんが私を安心させるように頭を撫でてくれる。
本当に優しい人だと思う。思わず私の頬が熱くなってしまう。

「名前が来てくれて、本当に助かった。でも無理はしないでくれ」
「そう言ってもらえて嬉しい。私なんかで役立てる事があれば、何でも言ってね」

緊張しいなのに、炭治郎くんの役に立とうと口からは全く別の事が出てきた。
でもきっと炭治郎くんにはお見通しだとおもう。
ちょっとだけ困った顔で笑っていたから。

トレーのパンを棚に陳列させていた禰豆子ちゃんが、いつの間にかこちらを見て笑っていた。
見られていた事で更に恥ずかしくなって、私は顔を俯かせる。

「私、邪魔かな?」
「そんなことないよ、禰豆子。後で二人きりにしてくれるなら、問題ない」
「…えっ」
「わかったわかった。もう少ししたらきっとお客さんも減る時間だし、二人で休憩に行っておいでね」

ニコニコと変わらない笑顔で炭治郎くんが言う。
禰豆子ちゃんとの会話に付いていけないくて、二人の顔を交互に見ていたら、会話が終了していた。
そして、炭治郎君がぼそりと「だってさ」と笑う。
何だか手伝いに来ているのに、私にとっていい事しか起きていない気がするのは、気のせいかな?

そんな会話をしていた時。
お店のベルが鳴り、ガラス戸が開かれる。
入ってきたのは、よく知る二人だった。

「名前ちゃんがバイトしてるー!」
「…うるせぇ」

炭治郎くんのお友達の我妻くんと伊之助くんだ。
偶に二人はかまどベーカリーに遊びに来てくれるみたいだ。
タンポポのような黄色い髪を揺らして私に「もう慣れた?」と聞いてくる姿に、苦笑いを返す。
残念ながらまだまだ慣れそうにないんです。
伊之助くんは早速禰豆子ちゃんの横に移動して、パンを物色していた。

「善逸、今日は連れてきていないのか?」
「…んー? まあ、そのうち。本当なら俺だって連れてきたかったけどさ」
「誰かお友達?」

炭治郎くんと我妻くんの会話から、他に誰かを連れてこようとしていたみたいだ。
きっと私の知らない人だろうから、首を傾げて尋ねると、炭治郎くんが優しい笑みで「善逸の彼女なんだ」と言う。

「ええっ! 我妻くん、彼女いるの!?」
「…それってどういう意味? 名前ちゃんナチュラルに失礼なんだけど」

驚愕して声を上げると、唇を尖らせて少し不機嫌そうにこちらを見る我妻くん。
言われてみて、確かにそうだと思い「ごめん」と口にしたけれど、本当はまだ信用できていない。
だって、だって…え?本当に?

「信用してないの丸わかりだよ。今度連れてくるから、覚えておいてよね」

はあ、とため息を一つ零す我妻くん。
炭治郎くんは顔を見た事があるみたいで「善逸とお似合いなんだ」と呟いた。
ちらりと我妻君を見たら、少しだけ頬を赤らめていた。
あ、赤くなってる。

その顔を見て私はくすりと笑みをこぼした。


少しの間二人は店に居たけれど、すぐに帰ってしまった。
また私と炭治郎くんと禰豆子ちゃんだけになった。
パンの陳列を終えた禰豆子ちゃんが、レジへとやってきて「後は私に任せて」と微笑んでくれる。

「禰豆子、悪いな」
「いいの。名前ちゃんに手伝って貰ったんだから」
「禰豆子ちゃんありがとう」

炭治郎くんと一緒にエプロンを脱いで、レジの横に置かせてもらう。
そして、横の部屋のイートインスペースで二人仲良く、パンを持参して座る事にした。
後から禰豆子ちゃんがオレンジジュースを持ってきてくれる。

「しばらくお客さん来ないと思うから、ゆっくり休憩してて」

可愛らしくウィンクする姿に、私が男なら胸を射抜かれていただろう。
またお店の方に戻って行った禰豆子ちゃんの背中を見つつ、私はオレンジジュースを一口。

「とても疲れただろう?」

炭治郎くんが心配そうに顔を覗き込む。
心配かけたくないから、すぐに笑顔で「ううん」と否定した。
疲れた、というか慣れない事だから緊張はしたけれど、しんどくはないんだよ。
むしろ炭治郎くんと禰豆子ちゃんが一緒でとても楽しかった。

「お店のお手伝いって、とても大変だね。見ているだけじゃわからない事沢山あるよ」
「そうかなぁ。もう慣れてしまったから、わからないな」
「炭治郎くんと禰豆子ちゃんはもうプロだよ」

アップルパイを少しずつ摘まみながら、口に入れていく。
美味しい。美味しすぎる。
特に働いた後はいつもよりも格別だ。
思わず頬を緩めていたら、炭治郎くんと目が合った。

「…み、見ないで…」
「なぜ?可愛い顔だったよ」
「……恥ずかしい…」

惜しげもなく可愛いと言われると、どう反応していいか分からない。
私自身蒸発してしまいそうだ。

「…何か、炭治郎くんと並んでお仕事するの、凄く新鮮だった」
「そうかな」

炭治郎くんとは学校も違う。
普段一緒にいるわけでもないから、こうして隣に居て同じ事をするというのが、貴重と言うか。
色んな事を考えてしまって、頭がぼーっとしてしまいそうになる。

「ほら、普段一緒にいる時間が少ないからね」
「それはそうかもしれない。…そう言う意味では、俺は予行演習になってよかったと思うよ」
「予行演習?」

にこ、と笑みを見せる炭治郎くん。
予行演習?なんの演習?
炭治郎くんの言っている意味が分からなくて、ポカンとした顔で見つめる。

炭治郎くんが私の頬に手を伸ばして、そして。



「名前がお嫁に来たときの、予行演習」



ピ、と炭治郎くんの指が私の唇に触れ、それを今度は自分の唇に当てた。
ボン、と盛大な音が鳴って私の頭の上に蒸気が浮かぶ。
自分の体温が急上昇していく中、私は目の前のいたずらっ子のような笑みにどう反応すればいいのか分からなかった。




いたずらっぽく笑う声



いつか絶対演習の成果を見せてあげるから、ね!






あとがき
パン屋炭治郎愛好家さま、リクエストありがとうございました!
パン屋の息子、久しぶりに書かせて頂きましたー!
ハァーッ!癒されるぅううう!!書いていてルンルン。
しかもヒロインちゃんのバイト話と言う事で、もう楽しすぎて。
途中善逸の余談まで入ってしまいましたが、どうかお許しくださいませ。

この度は誠にありがとうございました!

お題元「確かに恋だった」さま


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色いろ