どうか、これからもあなたの傍で「今日、善逸さんのお誕生日なので、好きなものを沢山作ってあげましょうね」
「我妻さん、の?」
天使の微笑みとはこういうのをいうんだろうな。
藤乃さんがにこりと笑う姿を見ていて、会話の内容の半分を聞き逃した。
慌てて正気に戻り、首を傾げると藤乃さんがこくりと頷いた。
「ええ。名前さんも何か贈り物をしてあげてみてはいかがでしょうか」
「贈り物、贈り物…ですか。えー…何だろ」
カチャリ、と陶器の食器がぶつかる音が台所に響く。
藤乃さんと一緒に昼餉の食器を片付けているけれども、思わず手が止まってしまった。
我妻さんにプレゼント、ねえ。
そりゃ人なんだから、誰しもお誕生日はやってくるだろうし、私だって我妻さんにお祝いしてもらった経験もある。
今度は私の番だというのは重々承知なのだけれども。
「我妻さんって、何あげれば喜びますかね」
全然思いつかない。
ぽつりと呟いたそれに応えるように藤乃さんがくすくすと笑う。
「名前さんが一生懸命考えてくれたものなら、なんでもお喜びになられると思いますよ」
藤乃さんのテンプレートな受け答えに私は心の中で頭を悩ませる。
贈り物が豊富な現代ならまだしも…この時代の贈り物って何が主流なのか全然わからないし。
何だったら、私このお屋敷周辺から出たことないし。
いくらなんでも限界があるんじゃないだろうか。
私の苦悩する表情で何かを察した藤乃さんが「何でもいいんですよ」と言ったけれど、何でもいいはずがない。
誕生日みたいな特別な日に、そこらへんに落ちている石とかあげても喜ばないだろうから。
これは大変だ。
私はそそくさと藤乃さんと家事を終え、自室に籠ることにした。
じゃらじゃらと自分の通学カバンをひっくり返し、中身を広げた。
学校の教科書や筆箱、もう起動しないスマホ、ハンカチ。
こんなものをあげても喜ぶはずがない。
ひっくり返したはいいが、結局何一ついい案が浮かばなくて、私はそれらをカバンの中へ一つ一つ戻す。
我妻さんの好きなもの、とか。
何が好きなんだろう。
……女の子、かな。
うーん、とたどり着いた答えに頭痛が走る。
そんなもの用意出来るはずもないので、無難に何か物でも贈るのが一番いいんだろうけれど。
と言ったって私に出来ることと言えば、少しのお裁縫と少しのお料理と。
贈り物に出来ることなんて、一つもないじゃないか。
考えるのが嫌になってきた私は、そのままごろんと畳の上に転がった。
天井をどれだけ睨みつけても答えが出るわけでもないし。
はあ、と誰もいない部屋で私は溜息を吐いた。
「藤乃さん、お裁縫箱貸していただけませんか」
「名前さん」
悩みに悩みぬいて部屋を出て、台所で包丁を研いでいた藤乃さんを見かけた。
その後ろからそーっと声を掛けると、藤乃さんは研いだ包丁を台の上において、水で手を濯ぐ。
割烹着で簡単に水を拭うと、藤乃さんがてけてけと藤乃さんのお部屋へ駆けて行ってしまった。
それを数分待つと、行きと同じように可愛らしく走る藤乃さんが戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「何か作るんですか?」
「……いえ、そういうわけでは」
意味深な笑みを見せつつ、裁縫箱をこちらに渡してくれる藤乃さん。
申し訳ないけれど、本当に全然大したことがないんです。
何も思い浮かばなかったから、裁縫箱に頼っているんです、と呟いたけれど、それでも藤乃さんは笑みを絶やさなかった。
藤乃さんから裁縫箱をお借りして、その足でお庭に干していた羽織を一つ、拝借する。
金色の、鱗模様。
いい天気だったから既に乾いていたようだった。
こんなところ、我妻さんに見られたらなんと言われるか分かったものではない。
キョロキョロと辺りを見渡し、人気がない事を確認して慌てて私は再度自分の部屋へ引きこもった。
なんとか夕餉の準備には間に合った。
羽織はさっさと洗濯物の中に放り込んでおいたので、問題ない。
確かに晩御飯はいつもより少し豪勢なものを準備した。
「善逸さんはうなぎが好きなので」
と藤乃さんが言っていた。
うなぎの捌き方を知らない私は、藤乃さんに教えてもらいつつ、なんとか夕餉の準備をすることが出来た。
全てのおかずが出来たタイミングで、鍛錬から旦那様と我妻さんが戻ってきた。
「ぎゃあああっっ!! 何これ何これええ!!」
「うるさ…喧しいです、我妻さん」
「どっちも同じ意味だけど、なんで言い換えたの!?」
広げられた我妻さんの大好物の数々に我妻さんはいつも以上に顔を変形させ、そして大興奮していた。
そんな様子を見て拵えた藤乃さんも嬉しそうだし、旦那様も小さく息を吐いているけれど、その表情が緩く微笑んでいるのが分かった。
皆が、我妻さんの誕生日をお祝いしている、そんな素敵な日。
我妻さんは「こんなうれしい誕生日初めて!」と大喜びで夕餉を貪り、普段は出さないお酒を旦那様が少しだけ、と言って出してきた。
旦那様と一緒に飲んで先にぶっ倒れてしまったけれど、その表情はここ最近で見た中で一番幸せそうだった。
我妻さんが食い散らかした食器を片付け終わり、まだ畳に転がる酔っ払いにそっと布団を掛けてやる。
それを見ていた藤乃さんが後ろから声を掛けてきた。
「善逸さんに言わないんですか?」
ギク、と布団を持つ手が止まった。
ゆっくり振り返って「……はい」と言うと、困ったような顔をした藤乃さんと目が合う。
「贈り物なのに…」
「いいんです、そんなに出来も良くないし。言ったら言ったでまた喧しそうだし」
「きっと善逸さん、喜んでくれますよ?」
「どうですかね」
我妻さんの眠る横に綺麗に折りたたんだ羽織。
バレないように襟の内側に縫い付けたお守り、それは私の持っているもので一番マシな柄のハンカチで作ったものだ。
言わないときっと気づかないし、気づいて欲しいと思って作ったわけでもない。
ただただ、この人の身を守ってほしいと、そう思っただけ。
「また雷に打たれたら、今度こそ死にそうですし」
「……名前さんはお優しいですね」
そんなわけない、と言いたかったけれど、藤乃さんの柔らかな笑みに当てられ、私も同じような笑みで返すことしか出来なかった。
涎を垂らして眠る、情けない恰好のこのどうしようもない人を。
どうか、来年もその次も、無事に過ごさせてほしい、と。
こっそり隣で祈るくらいしても許されるだろう。
ねえ、我妻さん。
◇◇◇
「何してるの?」
縁側で針仕事をしていたら、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
きっと鍛錬を抜け出してきたんだろう。
そんなことをすれば、怒った炭治郎さんにこっぴどく叱られるのに、バカな人だと思いながらも私はそれを口には出さない。
この人がこの後怒られると分かっていても、私も少しでもこの人と一緒に居たいと思っているからだ。
…怒られるときは私も同席しよう。
「善逸さんの羽織を直してます」
「……何その布」
私の肩から顔を覗かせ、膝に乗った小さな端切れ。
それを見ながら首を傾げる善逸さん。
言いたいことはわかる、善逸さんの羽織の柄と合わないから。
でもこれは、
「お守りです。毎回善逸さんが羽織をボロボロにしてくれるので、私のハンカチもこんなに小さくなってしまいました」
「……もしかして、それずっと俺の羽織に縫い付けてあったの?」
「今頃気づきましたか」
すとん、と素直に私の隣に腰かける善逸さん。
その表情はほんのり赤みがかっていて、見ただけで感情が読めた。
私も心が暖かくなる。
「自分の持ち物をお守りにして渡すといいらしくて。本当は髪の毛とかでもいいらしいんですけれど」
流石にそれは止めた。
髪の毛を渡して喜ぶ人だと思っていないし、それになんか少しホラーだし。
数年前の私の判断に間違いはなかったと思っている。
それでも任務の度に羽織に縫い付けていたら、手元に残ったハンカチは、もはや端切れというのも些か疑問なくらい小さくなってしまった。
今こうして善逸さんが元気にいてくれているのは、このお守りのお陰であると思っていてもいいだろう。
「いつから…?」
「さあ、いつからでしょうか」
「え、そんな前から?」
「さあ」
数年前の善逸さんのお誕生日を思い出し、くすりと笑う。
やっぱり気づいてなかった、でもそれでいい。
私からのちょっとしたサプライズが成功したことで、私は何とも言えない達成感でいっぱいだ。
私の膝の上に善逸さんの固い手が乗る。
「……ずっと、俺の為にしてくれてたの?」
ゆっくり顔を上げれば、善逸さんの潤んだ瞳と目が合った。
一瞬、琥珀色の瞳に目を奪われて、私は何故かその言葉を口にしていた。
「お誕生日、おめでとうございます。我妻さん」
「誕生日…? あ、我妻?」
数年前に言えなかった一言。
それを言わなければいけないと思ったのだ、今。
後悔していた。
贈り物は勝手に用意したけれど、それでも彼にその一言を言えなかった事を。
善逸さんは私の誕生日に祝ってくれたのに。
あの時はどこか恥があって、それを口にするのがどうしても無理だったのだ。
「誕生日でもなんでもないんですけど」
それに苗字で呼ばれるの久しぶりすぎて緊張する、呆れたように善逸さんは息を吐く。
そんなことを言いつつも優しい声色で私をそっと包んでくれる。
私は針を針山に戻し、そして善逸さんの頬に手を伸ばした。
「ずっと言いたかったんです、ずーっと」
いつか言える日が来るのだろうか、なんて思っていた。
この人の隣でそれを恥じらうことなく言える日が。
当たり前のように過ごせる、こんな大切な日々が。
「これからも、ずっと言いますから」
そう言って微笑むと、善逸さんが私の額にそっと口づけを落とした。
ああ、どうか。
これからもあなたの傍で。
あとがき
てんさま、四回目のリクエストありがとうございました!
善逸のパピバということで、ちょっとばかし方向性を変えた感じでお送り致しました〜。
久しぶりに『我妻さん』時代のお話を書きたかった、という私のわがままでございました、すみません。
ハピバ話なのに、甘さ控えめとは…。
気合入れすぎて文字数とんでもないことになった。
まるでERO。
こんなものでよければお収めくださいませ〜
この度は誠にありがとうございました!
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色いろ