一緒に練習しよう


今日もいい天気だ。
窓の外のポカポカ暖かい陽気についつい、欠伸も顔を出してしまう。
昼からの授業なんて真面目に聞いたって眠たくなるのだから、全部昼寝の時間にすればいいのに。
そんなことを考えながらも、俺は前の席に視線をやる。


後ろから見ていてもわかる。
俺よりもさっさと眠りについている。
ショートカットの髪がこっくりこっくりと船を漕いでいる姿を見て、悪戯を仕掛けたくなり、後ろからそーっと手を伸ばした。
揺れる背中につんつんと指先でつついてやると「グアッ!」とまるで鶏が絞められたような悲鳴を上げた。
勿論、それで起きないはずも無く、

「何するの!」

と一際大きな声を上げて、俺の方を見る。
その顔は折角の眠りを邪魔されて不機嫌そうだ。
だが、不機嫌なのは彼女だけではない。
黒板の前に立っていた教師も、授業中に突然大声を上げた彼女に苛立ちを隠せない。

「苗字…」

教師の冷たい声が、彼女の背中に刺さった。
俺を睨みつけていた彼女の眉が、八の字に下がり、恐る恐る黒板の方に顔を向ける。
俺はその時にはもう笑いを堪える事が出来なくて、クスクスと後ろで小さく笑っていた。

きっと次の休み時間に、俺は彼女にドヤされるんだろうけど、それもまた悪くない。
彼女をからかうのはとても楽しいから。


ーーーーーーーー

「無一郎!! なんて事してくれるの! 私だけが課題が増えたじゃない!」
「そもそも授業中に名前が寝るのが悪いんだよ。俺は起こしてあげたんだから、感謝して欲しいくらい」
「起こし方ってもんがあるでしょ!?」

案の定次の休み時間に、ギャーギャーと喧しく吠える彼女。
眠たくなるのはわかるんだけどね、実際俺も眠たかったし。

幼馴染である彼女、苗字名前とは家が近所で、昔からよく遊ぶ友達だった。
男女の幼馴染というのは、世間一般的に年頃になってくると関わりが薄くなるという。
だが、名前に至ってはそんな気配は全くない。
だからこうして、休み時間に堂々と俺の前で愚痴を吐き続けているわけだ。

昔はよく俺と有一郎と名前の三人で遊んだものだ。
最近は遊ぶというよりも、名前の可哀そうなテストの点数を危惧して、勉強会ばかりしている。
それもまた楽しいからいいんだけど。

「はぁ、まあいいわ…また教えてよね、課題」
「気が向いたらね」
「…成績優秀者の癖に」
「有一郎もでしょ」
「有一郎でもいいけど、何だかんだ優しいのは無一郎じゃん」

そうでしょ、と屈託のない笑顔を向けられると、不覚にもドキリとしてしまう。
だけど、表情には一かけらも見せない。
無表情のまま「そうかな」と言うと名前は苦笑いを零した。

「あ、そうだ無一郎」
「なに」

何かを思い出したようにポンと手を叩く名前。
その姿が本当に楽しそうで、きっと彼女にとってとても幸せな事を言わんとしている事だけはわかった。
机に肘をつきながら、さも興味無さそうに名前を見る。
その顔を見るのが俺の楽しみの一つだと言ったら、名前はどんな顔をするんだろうか。
頭の隅っこでそんな事を考えていたら、名前が口を開く。


「私、好きな人出来た!」


一瞬周りの音が何も聞こえなくなった。
心の底から嬉しい、楽しいといった声が聞こえてきそうな表情に、俺は初めて落胆した。
何か反応しないと、そう思っても咄嗟の事で何と言えばいいのか分からない。
それだけ俺にとっては深刻な問題だった。

幸い表情だけは変化がなかったようで、名前に気付かれていないようだ。
心底ほっとしたけれど、俺の心臓はドクドクと未だかつてない程、鋭い音を立てている。

「ふーん」

なるべく興味がないように。
名前に悟られないように。
俺は慎重に言葉を発した。

それに全く気付かない名前は唇を尖らせて「ふーんって何よ!」と声を荒げている。

「誰か気にならない?」
「全く。どうせテレビのアイドルでしょ」

フイっと顔を逸らしつつ、何とかそれだけ言うと、俺は見たくもないのに窓の外へ視線をやった。
名前の顔が見れない。
どんな顔で誰の話をするんだろう。

実はこの会話、前にもあった。
その時は俺が言った通りテレビのアイドル相手だったので、何の心配もしていなかった。
今回もどうせそうだろう。
ちょっとした安心感を胸に抱き、俺は気付かれないようにため息を吐いた。
そんな俺をあざ笑うかのように、残酷な一言を発する名前。

「残念でしたぁ。そんな遠い人ではありません。ヒントはこの学校の人だよ」

何が楽しいというんだろう。
口元に手を当てて、小さく笑う名前の姿に俺は苛立ちさえ覚える。
相手なんぞ知りたくない。
知ってしまったらその相手を今後俺はどういう目線で見ればいい?
何で、何で。

「あんまり喋ったことないんだけどね。かっこいいの!」

仄かに顔を赤くして、女の子らしい顔で言う姿を初めて見た。
すうっと自分の中の気持ちが変化していくのが分かる。
名前の笑った顔が好きだ、大好きだと思っていたのに。
そんな顔をさせているのは自分じゃなくて、よく知りもしない男だという。

どうして。

ずっと一緒にいたのに。
俺と有一郎がずっと隣に居たのに。
何で?

気持ちが溢れだしそうなくらい、胸が高鳴っている。
悪い意味で。
今までずっと、悪い虫がつかないように大事にしてきたんだ。
俺の大切なものを横から掻っ攫うような真似はさせない。

「…そんなカッコイイんだったら、名前には無理じゃないの」

負け犬の遠吠え。
そう言われてもおかしくない。
苦し紛れに出た言葉に、名前はむっと頬を膨らませた。

「うるさいなー。これから頑張るの! だから、無一郎も応援してね?」
「はあ」

なんて残酷な事を名前は言うんだろう。
俺の気持ちも知らないで。

顔も名前も知らない名前の好きな人が、どうか、どうか名前に興味を持たないでと心の中で願う。
名前は決して美人じゃないし、器量の良い子ではない。
頭の出来は残念だし、小さいころからほとんど変わってない。
だから、さ。

お願いだから、俺から名前を取らないで。


「…応援してあげてもいいけど」
「え、ほんと!?」


すっと目を細め、名前を見上げる。
ニコニコと笑顔を振りまく名前。

へえ、そんな顔するんだ。
ズキン、と胸に痛みが走る。


「名前は全然そう言うことに慣れてないんだからさ、一個ずつ練習する必要があると思うんだ」
「練習?」
「キスとか、出来るの?」
「きききっ…キス!?」


キスの単語だけで顔を真っ赤にするような子なんだよ。
到底告白なんてできるとも思えない。
だったら、このチャンス、無駄には出来ない。


「本番で失敗しないように、練習しよ」


ずっと胸は痛いままだけれど、俺はその時初めて上手に笑う事が出来た。

告白なんてさせない。
付き合うなんて許さない。
絶対に。


「……それもそうかも。練習に付き合ってくれる?」
「もちろん」
「じゃあ、まず何から?」


首を傾げ、俺の目を見る名前。
俺は少し考える素振りを見せて、口を開く。

「まずは、一緒に帰るところから」
「何かそれ、いつもと変わらないんじゃない?」
「じゃあ、恋人っぽくね」
「どうするの?」

視界の隅に時計がちらりと映る。
もうすぐ次の授業が始まる。

教室から出ていた生徒も教室へと戻ってきた。
授業が始まる直前のざわめきの中、俺は名前に向かって静かに言葉にする。


「手を繋ぐ」


俺にとっては意味のある言葉だったけど、名前にとってはそうではなかったらしい。
あっさり「なーんだ、そんなことかぁ」と頷いてさっさと前を向いてしまった。

「おっけー。じゃあ、放課後ね」

名前は本当に俺の事、なんとも思ってないんだなと自覚したけど、悲観している場合ではない。
今後の予定を組みなおす必要がありそうだ。
悠長になんてしてられない。

トントントン、と机を指で叩きながら俺は、頭の中で計画を立てる事にした。



俺を好きになってくれるまで、本気で行くから。

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色いろ