練習その1 一緒に帰る


「無一郎、帰ろ」

最後の授業が終わると、名前は後ろを振り返り、無邪気な笑顔を向けながらそう言った。
いくら俺が言い始めた事とはいえ、そんなに無垢な態度をされると何だか傷つくな。
少しくらい俺を意識してもいいんじゃないの?
…まあ、今までも一緒に帰っていた事があるし、普段と変わりがないと言われればそれまでなんだけど。

「うん」

俺は自分のカバンを持って、ゆっくり立ち上がった。
今日は部活もないし。
ゆっくり名前と帰る事ができる。
有一郎は、知らない。適当に帰るんじゃないかな。

俺たち二人は教室を出て下駄箱へ移動し、靴を履き替える。
その間も名前はにこにこと俺の横でどうでもいい話をぺちゃくちゃと喋っていた。

「この前ね、冨岡先生がね一人でご飯食べてたんだけどね」
「…いつもの事じゃないの」

何がそんなに楽しいのか。
教師が一人でご飯を食べる様の話をずーっと話している。
それは校門を出てからも続いたので、最初は大人しく聞いていた俺も我慢の限界だった。

「あのさ」
「うん?」

名前の話を遮って、じっと名前の瞳を見てみる。
キラキラとまるで子供のような瞳に思わず見とれてしまったけど、慌てて正気に戻った。
俺が話を遮っても怒ったりしないんだよね、名前って。

「これじゃあ練習の意味がないんだけど」

一緒に帰っている本来の目的を思い出させる。
名前に好きな人が出来たけど、もしその人とイイ感じになった時に慣れていないと困るから、練習しようって。
思い出すだけで腹の立つ話なんだけどさ。
一体どこのどいつなんだよ、そいつ。

「あー…そうだった」

本当に俺の事は微塵も意識されていないらしい。
やっと思い出したようにポカン顔で言われてしまう。
…ホント腹立つよね。

「えっと、普通のカップルってどうやって帰るのかな?」
「…言ったじゃん。手を繋ぐとか」
「それってずっと?」
「何、不満?」
「そういうわけじゃないけど」

不思議そうに首を傾げて「うーん」とぽつり零す名前。
風で髪が靡くのが鬱陶しいのか、髪を耳にかけて考える姿は、不覚にも可愛いと思ってしまった。
口から馬鹿の子みたいなセリフを吐かなければ、それなりに可愛いのに。
でも名前の良いところでもある。
そんな馬鹿な子が好きな俺も相当なんだけど。

「じゃあ、はい」

俺の目の前に掌を差し出す名前。
何だか仕方ないって態度が見え隠れしている。
いや、元はと言えば俺が練習って言ったからなんだけど、そんなに事務的に差し出さなくてもいいんじゃないの。
繋ぐけどね。

差し出された手をそっと握る。
二人並んで手を繋ぐ。
ちょっと昔。まだ幼いころにそういう場面は沢山あった。
残念ながら中学に上がってからは皆無だったけれど。
少なくともその時から俺はずっとこの子と一緒にいるつもりだった。
どこの馬の骨か分からない相手を好きになるなんて、今日の昼まで思いもしなかったし。

「…私の手、汗ばんでない?」
「そんな事気になる?」
「一応女子だしー。人と手を繋ぐって中々ハードル高いと思う」
「その割にはあっさり繋ぐじゃん」

俺と繋いだ手をちらちらと見ながら、名前が言う。
ハードルが高い、と言うけれど俺とは特に恥じらいなく繋いだように見えたけど?
それだけ意識していないってこと?
呟いた言葉はちょっとした嫌味だった。

「無一郎は女の子と手を繋いだことある?」
「あるよ」

ふと何かに気付いたように尋ねる。
俺はその質問に即答で答える。
女の子って、そりゃ君だけど。
それすら覚えられてないわけ?

「私、無一郎と有一郎以外繋いだことないから分からない」
「何が?」

ちょっとだけ何かに悩むように顔を俯く。
明るい馬鹿な子のイメージからは少しだけ離れた。
意外な名前の様子に俺の方がびっくりだ。

「だって、無一郎とこうして手を繋いでいるけれど、自然に無一郎は私の歩幅に合わせてくれるし。そういうのって意識しないで出来るのって、それだけ慣れているか相手の事を考えているかじゃない?」
「……名前にしてはマトモなこと言うね」
「あのねぇ!」

名前の言ったことを肯定するとしたら、明らか後者だけどね。
俺の言った一言にさっきまでの悩まし気な顔はどこへやら。
頬を膨らませ横でブツブツと文句を垂れ流している姿に、俺はくすりと笑みを浮かべた。

「…名前みたいに歩くのトロいと、合わせてあげないと可哀そうだ」
「さっきまで感心していた私の気持ちを返して」

ジロリと冷たい視線を感じながら、俺は手をぱっと離す。
一瞬で名前があれ?と頭に疑問符を浮かべたけど、俺は宙に浮いた手を繋ぎなおした。

「恋人って、こうだよね」

指を絡めるように繋ぎなおすと、手元を見ていた名前の顔がほんのり色づいた。
俺はそれを見逃さない。

やっと、俺を意識した?


「…無一郎って、案外手が大きいね」
「俺は男だから。名前は小さな手だね」


少しでも君に意識してもらえるように。
一つ一つ選んで言葉にしていく。
これは時間との勝負だ。
名前が俺の知らない奴に告白する前に、俺を意識させて好きになってもらう。
それが出来なければこの練習の意味がない。

今告白したところで、俺なんて名前からしたらタダの幼馴染以外の何者でもないから。

寂しいね。


「明日は、朝起こしてあげるよ」
「…それって彼氏のすること?」
「っていうか、名前の彼氏になるなら、それくらいしないとダメなんじゃない?朝弱すぎだし」
「もう私の練習じゃないじゃん…」
「そう思うなら、起こされる前に起きることだね」


ぎゅっとさらに力を入れると小さな手が握り返してくる。

この手を離したくない、なんてワガママだろうか。

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