24. 見てしまいました。

あまり近づきすぎてはいけない。何故ならあの人は、耳が良いのだ。
でもだからと言って離れすぎても、様子が分からないんじゃ意味がない。
丁度いい距離を保つというのは意外と難しいみたいだ。
遠くの方を歩く善逸さんの背中は、どっからどう見てもいつも通りで、ドギマギしながら見守っていた私の目の前で、作業場へ到着するなり、同僚の皆さんたちから何か揶揄われているようだった。
会話の内容はわからないけど、仲良くして貰っているようで一安心だ。

…いや、私はそんな事を確認しに来たわけじゃない。
そう、問題は赤ちゃんと女の人。
遠くの電柱の後ろから不審としか考えられない私が覗き込んでいても、それらしい人物は見当たらない。
だとすればきっとあの話は、カナヲちゃんたちの見間違いだった、ということ。
だった10分程度しか確認していないのにも関わらず、自分に都合の良い考え方で締めようとしているのは、早く帰って家の掃除をしようかな、なんて余計な事を考えているから。
よくよく考えれば、やっぱりあの人に浮気なんてできるはずないじゃない。
これは自惚れなんかじゃなくて、善逸さんは私しか見えていないんだから。

フンフン、と電柱の後ろで満足げに頷く女子は、相当気味が悪いものだっただろう。
すれ違う人たちが凄い形相で私の顔を見ては、目が合わない内にすぐに逸らしていく。
つまりは、そういうこと。
でも私は愛の証明が完了したことで、その場を立ちさろうと電柱から身体をぬっと出す。

さて、今日は善逸さんの好きなものにしようかな。
既に意識は今日の晩御飯へ移っていた、その時だった。

赤ちゃんを背中に抱いた髪の長い女の人。
その人が何の抵抗もなしに、作業場へずんずんと入っていくのが見えた。

「……はい?」

大正の世とは言え、女子だって働く場はある。
だけども、赤子を抱いた女の人が働く場所なんてあるのだろうか。
それも、男の人ばかりの作業場なんて。

当然のように奥へ入ってしまった女性に思わず驚いて身体が硬直した。
まさか、そんな。
カナヲちゃんたちが言っていたのは彼女のことだろうか。

そのまま無意識のまま作業場に向かって歩き始める私。
このまま顔を出せば、尾行していたことを善逸さんにバレるだろうに。
でもそんな事頭にはなかった。
ただただ、不安と動揺でいっぱいだった。

「真琴?」

途端、私の肩に優しくトンと触れる手。
反射的に振り返れば、そこには想像していなかった人が不思議そうな顔で立っていた。

「どうしたんだ、酷い顔色だが」
「…成瀬さん」

何故こんなところに。
思わずそう口にしそうになったけれど、ぽかんとしたまま視線を下げれば、成瀬さんは制服を着ていた。
お仕事の巡回中だったのかもしれない。
善逸さんのストーカーになっていたところを見られたのは恥ずかしいけれど、少しホッとしている。
危うく何も考えずに善逸さんの前に出るところだった。

「何でもないんです、善逸さんに差し入れでも、と」
「差し入れか」

成瀬さんの目がすっと細くなり、何も持っていない私の手に視線を落とす。
見られている事に気づいた私は慌てて自分の両手を背にまわして苦笑いを一つ。

「と、ところで…! 成瀬さんが良ければ、お茶でもいかがですか?…あ、お仕事中でしたね、ごめんなさい」
「別に構わない。昨晩から今朝まで働きづめだったからな」
「それは、帰って寝た方がよいのでは…」
「気にするな」

この場に居て善逸さんに見られても困るし、この場から去るのが賢明だろうと、成瀬さんを無理やりお茶に誘ったけれど、成瀬さんは表情を変えずに了承してくれた。
きっと困った顔をしている私に気を遣ってくれたんだと思う。

善逸さんの事は気になるけれど…。

小さく溜息を吐いて、私達はその場を後にした。



◇◇◇



成瀬さんと近くの喫茶店へ入ると、中に居た人たちが一斉にこちらを見たのが分かった。
注目を浴びているのは、私ではなく隣に立つ成瀬さんだった。
制服姿の警官が喫茶店に入ってきたら、そりゃ空気変わるよね。

店員さんに通された席に二人で腰を掛け、しばしの沈黙。
成瀬さんは何も聞かなかったけど、きっと不思議に思っているに違いない。
いつまでも変な空気のまま沈黙するのもアレなので、膝の上でモジモジと指を動かしながら成瀬さんに打ち明けることになった。

私が簡単に説明したあと、成瀬さんの第一声はこれだ。


「なんだと?」


信じられないくらい怖い顔をしている成瀬さんを見ると、私が怒られているような気がして思わずびくりと背中が揺れる。

「た、ただの噂ですから…!」
「だが、真琴の知人に目撃されたのだろう?」
「そう、ですけど、何かの間違いかも」
「……あの善逸が他の女性に現を抜かす事はないと思うが」

ちらっと成瀬さんが私を見る。
その時はさっきみたいな怖い顔はしていなくて、どこか呆れたような顔をしていた。