何で忘れていたんだろう



「何してるの?」
「……」

グズグズと鼻水を啜りながら、透明な袋にどんどん伊之助グッズを放り込む背中に、風呂上りの善逸が声を掛けてくる。
私は振り返ることなく、また一つ涙を拭ってグッズを袋の中へぶち込んだ。
首にタオルを巻いた善逸がすたすたと私の顔を覗き込みに来て、そして至極楽しそうに笑った。

「え、何〜? 伊之助のファン辞めるの?」
「…やめたくない…けど、嫌われたらファンとして生きていけない…」
「深刻すぎない?」

私の前にどすんと座り込み、私の前髪を攫う善逸。
赤く腫れた目を見て善逸は苦笑いを見せたけど、優しく涙を拭ってくれた。
私はズズズとまた可愛くない音を立てて鼻水を啜る。
家の中にあった伊之助グッズを袋に詰め込み、きゅっと口を結ぶ。
これでもう三袋目になる。今まで集めたグッズのすべてがここに詰まっている。
ちなみに入らなかったサイズのものは諦めて、ウォークインクローゼット化している親の部屋に入れておいた。
まさか両親も娘のヲタグッズを収納されるとは夢にも思っていなかっただろうけれど、こっちだって伊之助に嫌われる日がくるなんて思ってもみなかった。
……まあ、実物をこの目に焼き付けられたことだけは良かったかもしれないけれど。

「伊之助のファンを辞めたら、俺のファンになればいいじゃん」
「……はぁ…」
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてない」

後ろでニッコニコと顔面を緩ませ、尚且つ私の周りをウロチョロする姿は邪魔者以外の何物でもなかったけれど。
それでも怒る気力すら湧かない。あれだけ真剣に好きだったアイドルから、恐ろしいほど睨まれ罵倒(?)されたのだ。
悪夢として夢に出るに違いない。あれだけ好きだったグッズを見るだけで、あの視線を思い出してしまう。

「お風呂、入る」
「おー。一緒に入ってやろうか?」
「うざい」
「…うざい…」

善逸は地味に傷ついたような顔をして、ひらひらと私に手を振る。
先ほど風呂に入っていた癖に、何が一緒に入ってやろうか、だ。
善逸の口から出る言葉を真に受けていたら、気分も優れない。
仕方なしに私は沈む肩から、黒いオーラを放ちながら脱衣所へと向かった。

脱衣所の籠に自分のスマホを置いた時。
置いたばかりのスマホが振動して、着信を知らせた。
慌てて画面を見て、それが誰からの連絡なのか理解した時、私は一瞬出るのを躊躇ってしまう。
その間もスマホは振動続けていたので、意を決して通話をタップした。

「も、もしもし」
『名前? 電話してるんだから、さっさと出なさいよ』
「……ごめん」

たった数コール出るのが遅くなっただけで、電話口の相手は不機嫌そうに溜息を吐いた。
それに舌打ちをしたくなったけれど、相手に気取られないように適当に謝っておく。
この人と話すのも、久方ぶりである。出来れば一生話したくない相手ではあるけれど。

『そろそろお線香を上げたいんだけれど、家行ってもいいわよね?』

線香。
ああ、もうそんな季節か。
確かに言われてみればそうだった。
いつもは忘れることなんてないのに。頭になかったのはきっと、善逸が居たからだろう。

「お墓参りなら、家に来なくてもいいじゃない」
『お仏壇があるんだから、家にも行くわよ。……家に来られてまずいことでもあるの?』
「ないよ」
『だったら、いいわよね』

じゃあ、今度の土曜に行くわ。
そう言って電話の相手は言いたいことだけ言ってブチっと電話を切ってしまった。
私は切られたスマホ画面を暫く見つめて、それをそっとタオルの上に置いた。
あの人と会話をしたら、記憶が鮮明に頭に流れ込んでくる。
嫌だなぁなんて考える暇もなく。


『何で、アンタだけが生きてるの!? 姉さんも、義兄さんも、出来の良い兄まで皆死んだのに!』


そう言って肩を揺さぶられた記憶だけが、鮮明に。
涙の出ない私に腹が立ったのだろう、私だけが生き残って他の家族が死んだのが悔しいのだろう。
やり場のない気持ちをぶつける相手もいなかった。
両親と兄を巻き込んだ事故には相手の方もろとも。
加害者の家族の方が擦り切れんばかりに床に頭をつけて、泣きながら謝罪を口にしていたけれど、それすら響かなかった。

生き残った私だけ、全てを負うつもりでいた。
だから叔母が私憎さに罵倒してきても、反論することはなかった。

だって、その通りだから。

「……なんで、私だけが生きてるんだろ」

何で忘れていたんだろう。
あんなに苦しかったのに。
……ああ、そうだ、楽しかったんだ。
善逸が傍に居てくれた、この時間は。

ぽっかり空いていた胸の穴を、善逸が優しく埋めてくれていた。
それだけで、私はまるで家族が生きていた頃のように笑って生活出来ていた。
ピシピシとひびが入る音が頭の中で響く。
それに気づかない振りをして、私は服を脱いだ。


◇◇◇


「今度の土曜、ごめんだけど外に出てくれない?」
「何で」
「……親戚が来るから」
「ふうん、親戚ね」

どれくらいお風呂に入っていたのか分からない。
気が付いたら、脱衣所から善逸が「いつまで入ってんだー?」と声を掛けてくれたので、思い出したように私は湯船から出た。
パジャマに着替えてリビングへ戻ってくると、善逸がなんと私に牛乳を入れてくれていて。

「半身浴? あんまり長く入りすぎたらのぼせるよ」

と言って、コップを差し出してくる。
お礼を言って有難くそれを受け取り、私は先ほどの電話の内容をそのまま告げた。
深くは言わなかった。
ただ「親戚が来るってことは、俺、挨拶しなきゃじゃん?」と笑う善逸に、いつもなら「馬鹿じゃん?」と返せたはずなのに。
今日は「だね」と平坦な声が出た。

善逸の表情が一瞬で変化したのに、私は気づくことなく。
ただぼーっと、カチカチと秒針が動く時計を見ていた。


prev next