推しではありません。



「よっ」
「ぜ、善逸っ!?」

扉を開けて1番に目に入った人物に陽気に声を掛けてみたら、その人物は俺に気づいた瞬間、座っていた椅子から立ち上がり、真っ先に俺に飛び込んできた。
突然の事でまさか抱きつかれるとは思ってなかったから、身体がゆらりと傾いたけれど、ギリギリのところで踏ん張った。
俺は苦笑いを見せつつ「離れろよ、炭治郎」と言うと、抱きついてきた人物、炭治郎は複雑そうな表情を浮かべて、俺から距離を取った。

「…本当に、善逸なんだな?」
「そんなのご自慢の鼻で分かるだろ? 元気だったか、炭治郎」
「ああ…伊之助から話は聞いていたから、もう戻って来ないと思っていた…本当に、すまない」
「炭治郎の所為じゃないよ」

全て自分がまいた種だ。

近くにあったパイプ椅子に腰掛けて、息を吐く。
炭治郎はさっきまでテレビ収録でも出ていたのだろう、普段の私服とは違い、髪もセットして衣装を身に纏っている。
俺は被っていた伊之助のロゴが入った帽子を外すと、大きく伸びをする。
外した帽子を首を傾げながら見つめて、炭治郎は俺の真向かいに腰を下ろした。

この部屋は事務所の中にある、個室。
普段は会議や打ち合わせに利用されるスペースだ。
そこに呼び出された訳だが、用が終わればさっさと帰りたいものだ。
そんな俺の様子に気づいた炭治郎が口を開く。

「…気づいてあげられなくて、ごめんな善逸」
「さっきかろ何回謝んの? むしろ謝らないといけないのは俺の方だっつーの。お前らを置いて逃げたんだから」
「そうしなきゃいけない理由があったんだろう? 善逸は理由なしにそんな事をするような人じゃないから」
「……まあな。今日はその話をする場でもあるし」

人が幸せの絶頂の中にいた最中、喧しく伊之助から来ていたメッセージ。
それは至極単純な話で、いつかはそんな日が来ることが分かっていた俺には今更驚くことでもなかった。

「俺の居場所がバレたんなら、時間の問題だしね」

今まで事務所側にバレていなかった俺の居場所が、此度漏れたらしい。
まあ、今まで大した変装もしていなかったから、いつかは、と思っていたけどさ。
勿論伊之助はとうの昔に知っていたけど、アイツはそんな事を言う奴じゃない。
漏れた出処は何となく予想がついてしまうのが情けない。

「あー…もっと上手くやりゃよかった」

名前の叔母。
あれが恐らく俺の正体に気づいた。
その行動が思いの外早くて、こうして事務所側に呼び出される羽目になった訳だが。
出来れば名前が寝ている間に終わらせたかったけど、この炭治郎の様子から考えるとそれも無理そうだ。

「紋逸っ!」

俺の名…ではないけれど、俺を呼んだつもりで大声張り上げて扉を開けて中に入ってきたのは、伊之助だった。
伊之助は走ってきたらしく、ぜーはーと上下に呼吸を繰り返して、乱暴に扉を閉めた。
伊之助はどうやら、休みだったらしい。いつもの少しだらしない私服で、カバンの1つすら身に纏っていなかった。

「……」
「伊之助までそんな辛気臭い顔すんなって。大丈夫、俺はもう逃げないからさ」

何とも言えない顔で伊之助は、俺の隣にズシンと音を立てて椅子に座った。
久しぶりに3人揃ったというのに、こんな空気になるのは初めてだ。

伊之助が入ってきて数分。
コンコン、と静寂な会議室の中に響き渡るノック音。
炭治郎が「どうぞ」と声を掛けると、扉は静かに開いた。
入ってきたのは事務所のお偉いさん。
この事務所を立ち上げた時から上に居座る重鎮だ。一人だけパリッとしたスーツで中へはいると、扉を閉めるついでに鍵を掛ける。
よっぽど聞かれたくない話をするつもりらしい。

「ご無沙汰してますね」

座ったまま失礼だとは思ったけれど、一応軽くジャブは打っておく。
お偉いさん…高田さんは俺を一瞥すると目を細めて炭治郎の隣に座った。

「…どの面下げて、と言いたいところだ」
「大変ご迷惑をおかけ致しました」
「ふざけているのか?」
「いえ」

明らかにお怒りモード全開で俺に突っかかってくるあたり、今日この場は俺を糾弾する為のものだったらしい。
隣に座る伊之助の眉間に皺が走る。
炭治郎も同じくだ。

「…ここに戻ってきた、という事は、つまりそういう事だな?」
「……」
「今まで通り、仕事はこなしてもらう。いいな?」

俺はすうっと目を据わらせて、椅子にもう一度深く座り直した。
答えない俺に高田さんは酷く苛立っている様子だ。
年功が伺える深い皺がぴくりと痙攣している。
勿論、聞こえる音なんて酷いもんだ。

「俺が居なくても何とかなっていたでしょ」

ポツリとそう呟けば、今度は頬が痙攣する。
今の俺が何を言っても怒りを増幅させることしかできないらしい。まあ、そのつもりで話にきているんだけども。

「ふざけているのか? アイドルグループの意味を履き違えるな」
「グループなら脱退できるし、また新しく加入させる事もできるでしょ。別に俺じゃなくてもこなせる。」

それに、と視線を下げて自嘲するように続けた。


「俺が残らない方が、余計な事言われなくて済むんじゃないですか?」


俺の発言で場の空気が変わった。
高田さんだけじゃない。炭治郎も伊之助もだ。
皆が俺の言葉を聞き逃すまいと耳をそばだてている。
高田さんは俺の言葉を聞いて、明らかに動揺が見られた。
音も同じく。
馬鹿だねえ、大人ってさ。

「……どういう事ですか、高田さん」

ずっと黙っていた炭治郎が震える声を発して、ジロリと高田さんを見る。
炭治郎も伊之助も分かってる、高田さんが何かに動揺していることは。
今考えれば俺は本当に真面目で聞き分けのいい子だった。
事務所の連中からすれば扱いやすく、口も固い。だからこそ、何をさせてもいいと思っていたのだろう。

「言わないなら俺から言いますよ」

俺とは違って、純粋にアイドル活動をしていた2人にとって、その事実がどれだけ酷いものなのか。
考えもしなかったんだろうな、俺が二人を守るためにしてきたことが何かって。

「や、やめ…」
「俺は、枕営業を強要されてたんだよ」
「…はっ!?」
「嘘だ! でたらめだ!」

高田さんの返事を待つことなく、簡潔に言い放った。
まず伊之助が目の前のテーブルを蹴り上げ、大胆に身体を起こす。
そして次に炭治郎が隣に座る高田さんの腕を掴んで、額に青筋を何本も走らせた。
まさかそんなに怒ると思っていなかったから、俺も思わず拍子抜けしてしまう勢いだった。

「あ、ちなみに証拠はありますよ、ここにね」

ポケットから出したのは、今の今まで電源を落としていたスマホ。俺名義のものだ。
直前のやり取りだけでなく、ホテルでお酒が出てきた辺りから録音した記録がこの中にはある。
…まあ、使えるとは思っていなかったけど。
名前の家にいる時に、衝動で捨てなくて良かったと、心から思った。

手元のスマホを見て顔色を変えた高田さん。
更に炭治郎が声のトーンを低くして、絞り出した。

「……俺達の仕事が急に増えたのは、実力でも何でもなかったんですね?」

怒りで震える炭治郎の声。
ギリギリと肉を絞る音が聞こえるくらい、その腕に力が入っている事が良く分かった。
高田さんは痛みで顔を歪めて必死で炭治郎の手を払おうとするけれど、そんなことで炭治郎の手は離れないだろう。
伊之助もまた今にも飛び掛かりそうな雰囲気だったけれど、それは流石に片手で制止しておいた。
伊之助がやるとマジでやばい。

「善逸が行方知れずになった意味が、今やっとわかりました」
「仕方ないよ、俺しか適任者はいなかったんだから」

だとしても、やってはいけない仕事であると自負はしていた。
だからこそ、一線は越えなかった。
今はその判断が正しいと胸を張って言える。

「だから、俺はもうこのグループを抜け…」
「俺達はもう表舞台には出ません」
「えっ、炭治郎?」

相変わらず高田さんの腕から手を離さない炭治郎。
俺の言葉を遮って、炭治郎が怒りに燃える視線をこちらへ寄越した。
炭治郎の音が、よく耳に通った。

「仲間に酷い事をさせておいて、のうのうとアイドルを続けられない。それにもう、俺達は自分の道がここでない事をよく理解している」

少しの懺悔と、どこかスッキリした感情の音。
高田さんが慌てて「そ、そんなっ、待て!」と声を荒げたが、続いて黙っていた伊之助が口を開く。

「紋逸だけに汚い事させてたんだから、次は俺達の番だろ? なあ、オッサン、その腕まだ必要か?」
「な、何を…っ!」
「おい、伊之助!」
「……お前もよくわかってるだろ、俺も大五郎もアイドルっていう器で収まれるわけねェんだ」
「だからと言って、お前たちも一緒に辞める必要は…」
「善逸。俺達は決めたんだ。善逸だって、もうとっくに覚悟を決めているんだろう?」

伊之助と炭治郎が俺をじっと見つめる。
二人を交互に見て、まさか俺がこんなに呆然とするとは思わなかった。
この先の事を考えていたのは、俺だけじゃなかったんだ。
始まりが同じなら、終わるときも同じで。俺達は仲間だと、そう言われたようだった。


「…あー、俺って結構幸せものかも」


高田さんの呻き声の響く部屋の中、俺は誰よりもすっきりした顔で二人に笑いかけた。



◇◇◇



善逸が居なくなって一週間が過ぎた。
あの日の事がまるで夢みたいだと思っていたら、本当に夢だった。
目が覚めたら隣に居たはずの善逸の姿はなく。
書き置き一つなくて、彼が使っていた小物や服は全て残されたままだった。
最初はすぐに帰ってくると思っていたのに、一日が過ぎ、二日が過ぎたあたりから私はようやく理解した。

ああ、なんだ。
同じ気持ちだと思っていたけれど、私だけだったみたい。

二日目の晩。
テレビをつけると画面には大きく映った善逸の近状画像。
テロップには「K-style 我妻善逸、復帰」と書かれている。
つまりはそう言う事。
善逸は善逸のあるべきところに戻っただけだのだ。私も私があるべきところに、一人で戻っただけ。
何も変わらない、前と同じ。

なのに、目から溢れて止まらない涙は、何なのだろうか。
好きなアイドルグループがやっと全員で活動再開するというのに。
私は酷く傷ついて、ショックを受けて。

彼に渡したスマホだけは見当たらなかったから、彼が持って行ったことだけは分かったけれど、
連絡手段があるのだから、別れる時くらい挨拶の一つ、して行って欲しかった。
その所為で私は、もう前に進むことなんて出来ない。

「酷いよ…善逸」

家族と言ったのは嘘だったのか。
いや、所詮芸能人。私と住む世界が違う。
枕元で会話した内容なんて、次の瞬間には忘れていてもおかしくはない。
…少しの間だけでも、家族が出来たと夢を見られたことだけは、私にとって良かったのかもしれない。
これから一人で生きていく代わり映えのしない人生の中で、あの数か月だけはまるで普通の人のような温かい時間だった。

「現実に、戻らなくちゃ」

あの思い出を時々思い出せばきっと、これからも一人で生きていくことは出来る。
そう決心して、早一週間。
日常は無情にもいつも通りで、前の生活に戻りつつあった。

仕事から帰っていつものように残り物で拵える。
晩御飯に事を何も考えていなかったから、昨晩カレーを食べたというのに、今日は肉じゃがを作ってしまった。
何か前も同じような事をした気がしたが、深くは考えずにそれをテーブルの真ん中に置いた。
テレビは、もう見ないことにした。
見れば嫌でも目に入ってくるからだ。

真っ暗の闇を映した画面だけを見つめて、私は箸を手に取った。

その時だった。


ピンポーン。

夜9時前。インターホンが鳴ったのだ。
宅急便や営業さんも憚れる時間帯だ。
こんな時間に誰が何のようだと、重い腰を上げてゆっくり玄関へ向かう。
チャイムの音が消えるとまたピンポーンとなり始める。
つまり、客人は何度もインターホンをプッシュしているのだ。
はた迷惑な。
怪訝な顔をしつつ、私は玄関へ来ると、のぞき穴からそっと外の様子を伺う。
外の光景が目に入った瞬間、私は何も考えずにカギを開けて、飛び出した。


「うわぁ、突然飛び出してこないでくれる?」


結構な勢いで抱き着いたというのに、抱き着かれた本人は体勢を崩すことなく、片手で私を受け止めて背中に手を回す。
その声と、感触が久しぶりで、望んでいた相手だったことで。
私の涙腺はまたもや決壊してしまった。

「あー…もう、泣かないでって。ちょっと連絡しなかったらこれだよ、ほんとごめんね。もっと早く帰るつもりだったんだけど、後始末に時間かかっちゃって」
「ぜ、ぜん、ぜんいつ」
「はいはい、俺ですよ」
「本物?」
「……味見すればわかるんじゃない?」

伊之助の帽子を外して私の頭に被せると、そのまま奪うようなキスが降ってくる。
暫く触れ合って、そして名残惜しく離れると、善逸がにやりと笑っていた。

「お味はいかが?」
「……あほ」

その肩に軽くグーパンをお見舞いして、私は首筋に顔を埋めた。
私の良く知る、善逸の匂いだ。離れていた間の悲しい感情なんて、もう忘れた。
善逸が目の前にいてくれる、それだけでもういい。

そんな私を抱きしめたまま、玄関へ入っていく善逸。
そしていつものように靴を脱いで、二人リビングに並んで、一緒に肉じゃがを食べるんだ。




アイドルを拾いました。
推しではありません。




今は、大切な旦那候補です。


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