私よりも先に死なないで




「ぜん、いつ…」

呟いた声はびっくりするほどか細くて。
善逸はやっぱりどこか余裕のある笑みを浮かべたまま、私の頬を撫でた。
何て言えばいいのか分からない。ちゃんと頭が回っているのかも分からない。
ただ言える事は、その言葉に私自身、ときめいているという事だ。

「言っとくけど、冗談でもなんでもないよ」

私の頬を撫でていた手がそのまま後頭部に回って、ゆっくり善逸の胸に寄せられる。
それすら嫌だとも思わない。むしろ心臓が跳ねている。
言われた言葉を正しく理解しようとしても、どうしても私の頭では自分に良いように考えてしまって、都合のいい妄想が繰り広げられている。
それを口に出すと、後には戻れない。

わかって、いる、のに。

「どうして」
「どうしてって、俺の家族になって欲しいからだよ。ねえ、名前、アイドルじゃない俺でも好きになってくれる?」
「そんなの…」

善逸の声は震えていた。
さっきまで余裕たっぷりだった態度とは裏腹に。
そう言われて初めて私は思い出した。そうだ、善逸はアイドルだった。私、随分前から善逸を“K-styleの善逸”として、見ていなかったんだ。
もうずっと、善逸は私の家族だった。
私の、大切な。


「び、ぇ…っ」


自分の心に疎いのは本当にダメだな。
やっと気づいた気持ちを伝えたいのに、伝えるよりも先に私の鼻からは情けない水が垂れて、それから両目からはとめどなく涙が零れてきた。
どっからどう見ても告白を受けた女子の顔ではない。
むしろ振られた後の不細工な横顔である。
私が泣いている事に気づいた善逸が、ぎょっとした顔で慌て始めた。

「え…な、泣くほど嫌だった…?」
「ち、ちがぁ…ひっ…ぐぅ…」
「いやあの、えーと…名前さん?」
「大好き…っ、ひ、んっ…」

慌てふためく善逸の身体が硬直した。
私は自分の涙を両手で拭いながら、なんとか言葉にする。
まるで泣きわめく子供のように情けなかった。

「一緒にご飯を食べる善逸が好き。一緒に並んで座ってテレビを見る善逸が好き。お風呂から上がるまで待ってくれる善逸が好き。一緒のベッドで、私を抱きしめて寝てくれる善逸が好き。わ、私を、私のすべてを理解してくれる善逸が、好きだよ。もう、ずっと前から、善逸をアイドルだなんて思ってなかった、ごめ…んんっ」

私の言葉は途中で遮られてしまった。
善逸が強く抱きしめながら私の唇を、己の唇で塞いだからだった。
それが二回目のキスであると理解する前に、私は必死に善逸の服を掴んで必死に縋りついた。
数秒、繋がったそれはゆっくり離れて、お互いの鼻先が触れる所で止まった。
アイドルなんて思ってなかった、そう残酷とも言える言葉に善逸は怒るどころか、凄く嬉しそうに笑って。

「俺、もしかして告白されてる?」
「…ご、ごめん、伝える気はなかったから、」
「嘘、無かったことにしろって言われてももう遅いよ。ねえ、名前」

愛してる。

耳元でしか聞こえないようにそっと囁かれれば、私の涙も一瞬で止まる。
頬に伝った涙の痕に善逸が唇を落としていく。
そして私の首元に顔を埋めて、また一つ口づけを落とした。

「はぁ〜…マジでこれ全部俺のかぁ」
「…っ、え?」
「あー…嬉しいなぁ、もう一生手放さないから」

抱きしめられていた身体が、急に宙に浮いた。
善逸がそっと私をお姫様抱っこをして、そのままリビングを抜け、廊下を歩き、そして一つの部屋の前で止まる。
器用に私を抱えたままドアを開けて中に入れば、一番奥のベッドに優しく私を寝かせた。

「…え?」
「状況理解してる?」
「え?」
「名前は今から俺のものになるんだよ」
「……ぁ」

なんだ、私は善逸のものになるのか。
何をされるのかと身構えてしまったけれど、善逸のものになるのなら怖くはない。
ベッドの上に体重を掛けようと、上にまたがる善逸にそっと手を伸ばした。

「ねえ、善逸。あのね…」

きょとんとした顔の善逸が私を射抜く。
そして、くちゃっと表情がまるで子供みたいに崩れて笑い、

「約束する」

と言って、また私の唇を奪った。


◇◇◇


隣で裸で眠る名前を見ていたら、なんかこう心臓がきゅんとして、下半身に血が巡るから気を静めるためにはだけていた布団をそっと深く被せた。

”あのね、私よりも先に、死なないで”

俺に抱かれる前に真剣な表情でそう訴えてきた名前。
勿論約束した以上、破るつもりはないし、名前を置いて逝くなんて絶対にしない。
やっと俺のものになったんだ、ずっと大事にして愛して、隣で守っていく。
名前の家族にもそう、約束しよう。

窓から見える月明かりを見ていたら、ふ、と笑みが零れた。
夜中までヤルとか、いくらなんでも猿すぎやしませんかね。
お陰で名前は疲れ果て、起きる気配すらない。
…本当は俺の所為でくたくたになったという事実が、ほんの少し嬉しい。

ブー、ブー、と足元に転がっていたスマホが僅かに振動する。
これは以前、名前名義で買った新しい俺のスマホだ。
俺の名前で買うと所在がバレる心配があったから。
このスマホの連絡先を知る人物というのは、当たり前だが少ない。
一人は今まさに俺の隣で、規則正しく寝息を立てている愛しい名前。
もう一人は、この前家にまで押しかけてきた伊之助。

ダルそうにスマホを掴み上げると、俺は画面を見てふう、と息を吐く。

「いつかはそうなるって思ってたけどさ」

意外に早かったな。
振動が鳴りやむ事無く次々と伊之助から届くメッセージ。
それらを一通り眺めると、次のメッセージが来る前に返事を返すことにした。


『戻るよ』


覚悟を決める、時が来た。


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