「おはよう…苗字さ、ってどうしたの、その隈!?」
「あ、日向くん…おはよ」
次の日の朝。
私はげっそりした顔で体育館に居た。
宿舎から出てきた日向くんが私の姿を見つけると、笑顔で寄ってきて挨拶をしてくれたけれど、私の顔を見て一気に青ざめる。
ワタワタと私の周りをウロチョロして慌てふためく様子を宥めたいけれど、どうもそんな元気すらない。
それもこれも昨晩の月島くんの所為なのだが。
バス停まで送ってくれたのは百歩譲って感謝する事だと思う。
だけど、その後、人を小ばかにしたような顔で私の名前を呼び捨てにするのだけは許さない。
お陰で月島くんに名前を呼ばれる夢を見てしまい、超早い時間に目が醒めてしまった。
「うっす。どうした、その顔」
日向くんの後からポケットに手を入れた影山くんが近づいてきた。
私は影山くんの方を向いて「おはよ、ちょっとね」と返すと影山くんが一息吐く。
影山くんは日向くんに対して優しくないけれど、こうして心配してくれるあたり良い人なんだと思う。
「おい日向!! ウロチョロすんじゃねー! 鬱陶しい!!」
……日向くんには優しくないけれど。
私はパチンと両頬を叩いて気合を入れた。
そうこうしているうちに、ぞろぞろと先輩達が体育館へと顔を出してくる。
皆私に優しく挨拶をしてくれたけれど、一様に私の顔色を見て酷く驚いていた。
そんなに酷い顔をしているのかと流石に傷つく。
手鏡を取り出して自分の隈とにらめっこしていたら、望んでいなかった相手の声が聞こえた。
「名前」
ピシ、と身体が硬直した。
身体はまるで凍ったように動かなかったけれど、首だけはぐぐぐと声の主の方向へ向いて、そして心の底から出た嫌悪感いっぱいの顔で迎え撃つ。
「うわぁ、何その酷い顔」
山口くんと一緒に体育館へ入ってきたのはにっくき月島くんだ。
メガネをくいっと上げる仕草すら殺意が湧き出てくる。
山口くんは最初私の表情に気づかなかったみたいで、月島くんの言葉で私の顔を見て眉を顰めていた。
「誰の所為だと…それに名前、呼ばないで……」
「そんなの僕の勝手でしょ。もしかして、僕の事で頭がいっぱいで眠れなかった?」
「……本当ムカツク」
「ツッキー、いつの間に苗字さんと仲良くなったの?」
「仲良くなんかないよ、山口くん」
またあのムカツク笑みで目を細める月島くん。
血が沸騰したように怒りが込み上げてくるけれど、言葉で勝てる気がしないので、私はまた歯をくいしばって耐えるのみ。
きっと目なんて吊り上がって余計に酷い顔になっているかもしれない。
山口くんは私と月島くんを交互に見つめ、最悪な勘違いをしてくれていたので、はっきりとそこは否定しておく。
シャーペンを握っていた手も握力だけでボキリと折れそうなくらい、めきめき音を立てている。
むかつくむかつく!!
そんな私達を日向くんが不思議そうに見ていた。
月島くんが日向くんの方を一瞬見て、ふっと鼻で笑ったような気がしたけれど、私は月島くんの一挙一動だけで苛立ちが最高潮になる。
結局何をしていても、腹が立つくらい月島くんの事が嫌いなんだと思う。
怒りで目の前が真っ赤になっていた私は気づかなかった。
日向くんの表情から感情が抜け落ちていたことに。
朝の走り込みが終わると、体育館へ戻ってチームに分かれて練習が行われた。
あれだけ苛立っていた私はその後潔子先輩に宥められ、なんとか落ち着きを取り戻した。
コートから離れた位置からメモとシャーペンを握って、練習風景を見つめる。
自然と日向くん達に視線が行きそうになるのを、意識して他の人に目を向けるようにした。
すると、周りの先輩たちがどういう意図で動いているのか、何となくわかるような気がした。
「日向と影山みたいに目立ってるわけじゃないんだけどね」
私の気持ちを知っているかのように隣の潔子先輩が呟く。
私はその横顔を見つめながら言葉を待った。
「皆それぞれ、凄い技を持ってるの」
「…そうですね。今ならわかる気がします」
澤村先輩の安定したレシーブ。
田中先輩の相手にプレッシャーを与えるような一撃。
どんなボールでも拾ってチームを助ける西谷先輩。
皆、それぞれ素晴らしい技術だ。
今まで私は全然見えてなかったんだ、と再認識した。
それから。
バシン、と体育館に響くブロックの音。
軽やかにコートに降り立った月島くんを見て、苛立ちではない感情が湧いた。
汗を拭う姿を睨みつけながら、私はポツリと零した。
「……黙ってたらカッコいいのに」
あの毒舌で冷めた視線さえなければ。
そう思ったけれど、本人には勿論聞かせられないので、潔子先輩の隣で吐き出すだけに留めておく。
◇◇◇
笛が鳴ってミニゲームは終わりを告げた。
ちらほらとコートの中に居た人間は外へ出て、水分補給をしたりタオルで汗を拭ったりして、思い思いの休憩を過ごす。
僕もベタベタとする汗をシャツで軽く拭う。
「月島」
同じく汗だくの日向が息の荒い状態でゆっくりと近づく。
僕は顔を上げて面倒臭そうに日向を見た。何こいつ、僕に何か文句でもあるわけ?
そう思いたくなるぐらい、日向の表情は険しかった。
珍しい。頭に浮かんだのはそれだった。
「…苗字さんと昨日、何かあった?」
「何で日向にそんなこと言わなきゃならないの」
「だって、いきなり…名前呼んでた、から」
「だから、そんなの僕の勝手でしょ。日向には関係ない」
関係ない。
そう言い放つと、日向の目の色が一瞬で変化する。
…ああ、そう、そういうこと。
唇がきゅっと閉じてそれから何かを口にしようとまた開いたけれど、何も言葉にならなかったらしい。
日向の視線が苦々しくコートの床面に向けられた。
それに追い打ちをかけるように僕は笑う。
普段の日向からは考えられないミスが、さっきのゲームの中にはいくつもあった。
その原因が僕の所為だというのなら、これほど面白い事はない。
別に日向と名前がどうなろうと知ったこっちゃないけれどさ。
ただ、そう。
少しだけチクりと胸にトゲが刺さったような、そんな感覚を覚えた。
トコトコと小さな足音が後ろから駆けてくる。
足音は僕の少し後ろで止まって「ええい!」というふざけた掛け声の直後。
僕と日向の頭の上にはらりとタオルが落ちた。
「あ、間違えて日向くんのも投げちゃった。ごめんね」
申し訳なさそうに日向に駆け寄る名前。
日向はハッとしたように名前の方を見て、すぐにいつものバカな顔に戻した。
…彼女の言い方だと、僕にだけタオルを投げつける予定だったみたいだけどね。
すうっと目を細めて頭のタオルをそっと取ると、こちらを鋭く睨む視線と合った。
「べー」
隈だらけの顔であっかんべーの表情をされ、プチプチと頭の中で小さい血管が千切れる音がした。
……バカじゃないの。
あまりの馬鹿さ加減にぴくぴくと頬が痙攣したが、そんな僕に気にも留めず、日向に向かって優しくスポーツドリンクを差し出す姿に更に苛立ちがプラスされた。
…いい度胸してるよね。
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