「ツッキー、良かったね」
「は? 何が?」
「ほら、苗字さんに応援してもらえて」
「だから何なの」

最後のストレッチをしていたら、隣に居た山口は何とも言えない顔で生暖かい目線をこちらに向けてくる。
不快感が僕の背筋を襲ったから、そのまま睨みつけるように山口を見下ろした。
けれども山口は相変わらず「いいねぇ」と微笑ましく笑う。

「何が言いたいわけ?」
「ツッキー、自分で気づいていないの? 『頑張って』って言われた時のツッキー、少し顔が赤かったよ」
「は?」

山口が自分の頬を人差し指でプスプスと指しながらそんなことを言うもんだから、思わず僕は自分の頬に手を伸ばしてしまった。
それを見た山口は「嘘だよ、ツッキー」と意地悪く笑ったから、無言で肩に一発入れておく。
ふざけるな。何が顔が赤いだ。
特段変なことを言われた訳でもない。ただほんの少し、動揺してしまったのは否めない。
それを顔に出さないようにあの場を離れたというのに、山口には分ってしまったんだろうか。
山口の癖に生意気だ。

まさか、応援されるなんて思ってもみなかった。
僕の事が苦手で嫌いな名前は、僕が隣にいるだけでイライラしたような顔を向けてくるのが常だった。
なのに、今日は。
日向に向けるような顔で僕に向かって『頑張って』と確かに言ったのだ。
一体何の気まぐれかは分からない。もしかしたら、今日は雪や槍が降ってくるかもしれない。
それだけ、あり得ないことだった、今までの事を思えば。

「日向くん、影山くーん、頑張ってー!」

一人悶々と考えていれば、途端に聞こえた名前の声。
それに応える日向と影山。日向は名前に向かってブンブンと両手を振り、影山は小さい声で「うっす」と返す。
その光景を目にして、一瞬で感情が冷えたのを感じた。

「…あちゃ〜」

山口が斜め後ろでそう呟いたのを聞きながら、僕は一瞥してコートに入った。


◇◇◇


二階の観客席からハラハラドキドキしながら、ゲームが始まるのを待っていた。
一通りアップが完了すると、一気に緊張感がコート内に漂い、レギュラーの面々が配置につく。
初めて、目にする試合。
笛が鳴って最初のボールが上がる。
最初はスローモーションのように流れて行って、次第に次から次へ人の手を流れていく。
練習で見ていた皆の成果が試されるときを、私は目撃している。
一つも見逃すものかと手に握るビデオカメラに力が籠った。

最初は日向くんと影山くんのいつもの速攻が決まって、音駒高校の人たちの空気が若干変化する。
その様子に少しだけ嬉しくなって、カメラを持っていない方の手でガッツポーズを作った。
勿論その後も東峰先輩の一撃が決まり、順当にポイントを稼いでいるように見えた。
そう、”最初”は。
違和感を感じたのはそれからすぐに。
最初は音駒高校の人も驚きながらプレーしていたの、次第に動きが私たちに慣れているのを感じ取った。
ただのまぐれかと思ったけれど、素人の私でも分かるくらい、最初よりも動きが精錬されて、無駄がなかった。
そして、安定したレシーブ。
どんなボールでも落としてなるものかと、食らいつくその姿に思わず目を見張った。

日向くん達の速攻が彼らに止められた瞬間も、私はそこまで驚かなかった。
最初から見ていれば分かる。彼らはこの短期間で学んだのだ。
日向くんたちがどのように速攻を打つのかを。
そして、慣れた。
時間の問題だ、と思ったその次の瞬間だった。

「…強い」

なんとなく。
私はうちの学校のバレー部が堕ちた強豪と呼ばれていても、本当はそんなことはなくて。
この数か月でそんな汚名を晴らすくらい強くなったんだと、勝手に思っていた。
だけど、そんな考えが甘いものだと突き詰められたような、感覚だった。

きっと、他だってもっと強い。
考えれば考えるほど、現実が見えてくる。
……堕ちた強豪、飛べない烏。

ダダン、と固い手の平にボールが当たる音がして、悲しくネット際に落ちた。
ネットより遥かに高く飛んだ指先は、床に着地すると、くいっと厭味ったらしくメガネを上げていた。

「くっそ…!」

厭味メガネ、月島くんが弾いたボールを打った相手の選手が、悔しそうに月島くんを睨む。
だけど、月島くんは涼しい顔でそれを躱す。

一瞬その視線と目が合った気がした。
まるで、そう。
ゴミ虫を見るように冷たい視線だろうと。
見下している人間をとことん追い詰めようとする視線だろうと。
少なくとも、その時の私にとってそれは、さっきまでの嫌な考えを吹き飛ばすのは十分なくらい破壊力があった。

『日向ばっかり映さないでよ』

試合前に言われた一言を思い出して、私はカメラを構えた。
涼しい顔をしているけれど、頬から首筋にかけて汗を流す、厭味メガネを映像に残すために。


◇◇◇


残念な事に、ゲームは2-0で烏野の負け試合だった。
その後も二試合目、三試合目と繰り広げられたけれど、結果は変わらず。
三試合目が終わった時、日向くんが「もう一回!」と叫んだけれど、コーチ含め皆に止められていた。
それもそのはず、皆息も絶え絶えで立っていたからだ。
そう考えると、けろっとした顔で立っている日向くんは化け物なのかもしれない。

練習試合が終わりを告げる笛が鳴り、そこで初めて私はビデオカメラの録画停止を押した。
慌てて観客席を離れ、コート内に飛び出す私。
皆がぞろぞろとコートの片づけを行う中、私は見かけた人たちに私はタオルを渡していく。
烏野の人も、音駒の人も、分け隔てなく。
音駒の人は顔が怖い人もいたけれど、皆タオルを快く受け取ってくれたので、正直一安心した。

「苗字さん!」
「日向くん」

遠くにいた日向くんがわざわざ私のところまで走り寄ってくれたので、はい、とタオルを渡してあげた。
にこりと笑って受け取ってくれた日向くんを見て、つられて笑みが零れる。

「お疲れ様、すごかったよ!」
「ありがとう」

本当に、凄かった。
上手く言葉に出来ないのが悔しいけれど、この気持ちははっきりと伝えよう。
日向くんにそう言うと、少し照れたように後頭部をかく日向くん。

「僕にも頂戴」

日向くんの顔を見て癒されていた私は、背後から伸びた手が私の手のタオルをかっさらうのを見て、思わずポカンと固まる。
私から勝手にタオルを強奪した犯人、月島くんはそのまま自分の顔の汗を拭うと、スタスタとコートの外へ出て行ってしまった。
その後ろ姿を忌々しく見つめながら、私は唇を尖らせたのだった。


「……校内新聞、覚えててよね」


きっと聞こえてないと思ったから、そんな強気な発言が出た。
私はこれから書く新聞の内容を何となく頭に浮かべつつ、周囲の人にタオルを配り歩いた。