あっという間に試合開始の笛が鳴り、コート内で練習していた人達が1列に並び始める。
さっきまで和気あいあいとしていた青葉城西の空気が、一瞬のうちにピリっとしたものに変わった。
観客席の私まで背筋が伸びるくらいだから、きっと向かい側に立つ皆は、計り知れない緊張なのだろう。

試合開始して、初めてのサーブは月島くんだった。
その表情はいつもと変わらない、無表情だった。
青葉城西の方にボールが渡り、そして一発目のツーアタックが決まる。
血の気の多い人達は、皆それでカチンと来たらしく分かりやすく顔を歪めていた。

その次は影山くんが日向くんに向かって、いつものトスを出し速攻を打ったけれど、打ち込んだ先には人がいて、軽々とボールが天井へ上がる。
それをまた及川さんが高く飛び、アタックが来るかと身構えた時、そのボールはコートの端にいた4番の選手へとトスされた。
皆が驚いている間に、ボールは烏野の陣地の地についてしまった。

青葉城西の応援席では、可愛い女の子たちの悲鳴が上がる。
ぐぐ、と握った拳に力が入った。

次のボールは、西谷さんが受けて、影山くんに無事に渡される。
「持ってこォォい!」という日向くんの声とともに、ボールは宙へ浮いた。
日向くんが打つ、もしくはその後ろで控えていた東峰先輩が打つのかとドキドキしながら見ていたら、影山くんの手首がくるっと回転し、ネット際にストンとボールがゆっくり落ちた。
先程、及川さんにやられたツーアタックのやり返し。
ネット際に立つ影山くんのギラついた顔が見えた。
及川さんも笑ってはいるけれど、ピクピクと頬が痙攣していた。
それから何回かの点数の入り乱れがあって、その度に私もコートの中に立っているような臨場感が襲う。
点差はあるけれども、きっと彼らならという願望もあって、一時も目を離すことはできない。
手元のメモがくちゃくちゃになろうとも、構わなかった。

途中から。
そう、最初は問題なかった。
途中から目に見えて影山くんの様子がおかしくなった。
いつもの冷静なプレーとは違って、どこか焦る様な、そんな。
相手が中学のときの先輩である及川さんなのだから、平気ではないだろうけれど。
そんな時、影山くんのボールが月島くんへ。
だけど、そのボールは月島くんを超えて、誰もいない場所へ。
慌てて東峰先輩がフォローに入ったけれど、青葉城西はチャンスボールを逃さない。
床に叩きつけられた音を聞いて、焦点の合ってない目をして立つ影山くん。

でも、私の目に映ったのは、影山くんじゃなくて。
そんな時でも悔しがるとか、怒るとかそんな表情一つ見せない月島くんにあった。
前日の試合でも感じていた、違和感。
それを今、全て理解した。

月島くんは、ただこなしているだけなんだ。
皆が勝つためにボールに食らいついている、その同じコートの中で、一人だけ皆と違う所にいるんだ。
違う場所を見ているんだ。

今のは確かに影山くんのミスでもあったかもしれない。
でも、それでも月島くんからは「そんなボール打てないから仕方ない。出来なくて当たり前」という諦めしか感じられない。

「…なに、を」

気が付いたら、身体が動いていた。

前列の手すりギリギリを掴み、力の限り叫んだ。


「ほたるくんっ! 」


近くにいた人達、コートの中に居た人達がギョッとした顔で一斉にこちらを見る。
それでも構わない。あのいけ好かない眼鏡に、今、伝えないといけない気がしたのだ。
あの眼鏡が否が応でもこちらを向くであろう、呼び名で。


「どこを見てるの!? ちゃんと前を見て!」


皆と、同じ方向を。
必死で辿り着こうとしている先に、月島くんも一緒に行ってほしいから。

烏野と青葉城西の人達がポカンとこちらを見ている。
そして、一部の烏野の人だけが月島くんを見て同じような顔をしていた。
当の本人である月島くんは、本当に心から驚いたようで今まで見た中で一番間抜けな顔をして私を見ている。
一寸置いて、審判の人がハッとしたようにジェスチャーで「静かに」と私に向かって指示をした。
私も自分が行動した事を今更ながら理解して、ジワジワと顔面に熱が籠る中、コクコクと頷き席に着いた。
先程頑張ってと声を張った時の恥ずかしさとは、比べ物にならないくらいだ。
顔面を上げる事は出来ない。
ぷるぷると膝の上で震える拳を見つめていたら、私の後ろで「お嬢ちゃん、やるなぁ〜」と男の人の声が掛かる。

恐る恐る後ろを振り返ると、何度か烏野の練習の時に見た烏野商店街のお兄さん達がそこにいた。
どちらもニヤニヤと何か言いたげではあるけれど。

「いやぁ勇気あるねぇ。でもお陰で少しは雰囲気変わったんじゃないか?」
「だろうな。でも”ほたるくん”って誰の事だ?」
「……あの、忘れてくだ、さい」

今にも恥ずかしさで死んでしまいそうだ。
でも少しだけ、そう言って貰えて心が救われたようだった。
どうか、月島くんに届いていますように。
そう願わずにはいられない。



「うっわぁ、月島。愛しの彼女からラブコールですかぁ?」
「……」
「否定すらしないよ、コイツ」

観客席で恥ずかしさのあまり顔を上げなくなったその方向を見つめつつ、後ろで冷やかす菅原さんを完全無視して片腕で汗を拭う。

何なんだ、一体。
突然叫び始めたと思ったら”ほたるくん”とふざけた呼び名でご指名頂いたわけだけども。
言われた意味はよく分からない。前を見ろと言われても、ずっと前は見ているし、周囲の事も見ているつもりだ。
どういう意図があってそんなことを言われなければいけないのか、皆目見当はつかないけれど。
ただ何となく、僕の事を”ほたるくん”と呼ぶ、あの娘を見返してやりたい、と雀の涙ほど思っただけだ。

「……チッ」
「やーだねぇ、苛立っちゃって。リラックスリラックス〜」

ポン、と菅原先輩の手が僕の肩に乗ったが、無闇に振り払うことも出来ず「どうも」と小声で返すと僕は自分のポジションに戻ることにした。