ボールがコートの床に落ちた音。
そして審判の笛が高らかに鳴り響いた。
誰かの雄たけびとも言える野太い声が響き、コートの半面ではガッツポーズと喜びの笑顔で満ち溢れていた。
かたや半面では、呆然と立ち尽くす者、ぺたんとその場に座り込んでしまう者。
両手を床について、何が起こったのかまだ理解できていない者がいた。
私だって、信じたくはなかった。

烏野高校はここで敗退なんだと。


「っ…ぐ、」

堪えきれずに涙が溢れ出てきた。
観客席の誰もが目の前で起こった試合に拍手を送る。
そんな中、私は一人観客席を飛び出し、皆が片付けを行うその出口で必死に涙を堪えて立っていた。
皆何か言いたい顔をしていた。
私だって、何か声を掛けるべきたと分かっていた。
でも、何も言えなかった。
ただただ唇を噛んでこれ以上涙が零れないように我慢するだけ。
スカートを掴む手が震えていたとしても。

私よりも泣きたい人は沢山いるんだから。

「……どうしたの」

先輩たちがそれでも私を見て心配そうに視線を送ってくるけれど、大丈夫の意味を込めて泣き顔で笑って見せた。
誰も私の泣き顔を追求などしてこなかった、のに。
一人だけ。
一番最後に出てきたメガネのあの男が、私を見ていの一番にそう呟いた。

「だって…っ」
「君が負けた訳じゃないんだから、泣く必要はないよ」
「だって、だって…」

先を歩いて行った山口くんが心配そうに振り返った気がした。
でも、メガネ、月島くんは何故か足を止めて私の頭をぽんと撫でた。
月島くんの言う通り、私はバレー部には何ら関係のない人間だ。
だけど、彼らの頑張りを知っている、一人の人間でもあったのだ。
だからこそ、それが報われなかった現実がこんなにも辛い。

「ほら、行くよ」

上手く説明できない私の腕を引いて、月島くんはそのまま私を連れ出した。
ジャージに着替えた皆がぞろぞろと次の試合を見るために観客席へ上がっていく。
そこの一番後ろの席に月島くんは私を座らせて、その隣に山口くんを置いた。
私を挟むようにして、月島くんが隣に腰を下ろす。

「大丈夫? 苗字さん」
「うん…山口くん、ごめんね」
「苗字さん、僕たちのために泣いてくれて、ありがとう」
「…山口くん」

山口くんの優しい一言で、また私の涙腺は決壊する。
私の目から大粒の涙が吹きこぼれたのを見て、月島くんが「山口」と呆れた声を出した。


◇◇◇


試合が終わって。
そのまま皆はバスで学校に戻るんだろうと思っていた。
私も大人しく家に帰るつもりだったのに、武田先生がニコニコ顔で私をバスに押しやると、そのままなんとバスは発進してしまった。
何が何だか分からない私を空いた席に座らせて「苗字さんもお疲れさまでした」と武田先生が呟く。
何と言っていいのか分からないけれど、緩く首を横に振り私はバスから見える外の光景をじっと見ていた。

暫くして、到着したのは勿論学校だったけれど、バスを降りてそのまま体育館へ行くのではなく。
何故か校門を出て、ついてこいというコーチ。
皆さんは大人しくそれに従ってぞろぞろとついていった。今度こそ私は帰ろうと思ったけれど、今度は潔子先輩に捕まってしまい、私も皆さんの後ろをついていくことにした。

ついた先は、準備中の札が下げられた居酒屋。
その暖簾を潜っていく一同。
私達用に用意された座敷の広い場所。そこに所狭しと料理が並び、不思議な顔をした皆さんが腰を下ろしていく。
潔子先輩の隣に座ろうとしたら、山口くんが私の肩をツンツン、と突いてきて黙って月島くんの隣へ誘導する。
それをはあ、と面倒くさそうに一瞥する月島くんを見ながら、私は誘導された通りその場に座った。
最近月島くんの隣に座ることが増えた気がする。

「皆座ったか」

コーチが皆を見て座ったことを確認し、こくりと頷いた。
そして、優しい目をして続けたのだ。

「走ったりとか、飛んだりとか、筋肉に負荷がかかれば筋繊維が切れる。試合後の今なんかブッチブチだ」

それを言われて思わず自分の腕を見てしまった。
私は何の運動もしていないのに。何となく自分の筋肉も切れてしまったようなそんな感覚になったからだ。

「それを飯食って修復する。そうやって筋肉がつく」

三年生の先輩たちが息を飲んだのが分かった。
先輩たちはコーチの言いたいことが分かったようだった。

「だから食え。ちゃんとした飯をな」

コーチの近くに座っていた武田先生は何も言わずにただ微笑んでいた。
先輩達がおずおずと手を合わせて料理に手を伸ばしていく。
月島くんも山口くんも目の前の料理を小皿に分けて、一口。
その様子をキョロキョロ見ていたら、コーチが私に気づき「いいから、食えって言っただろ。取材、お疲れさん」と優しく笑ってくれた。

「で、でも」
「早く食べないと、何も残らないよ」

部員でもない私がご飯まで頂くのは流石に、と思っていたら、月島くんがジュースを飲みながらぽつりと零す。
確かに男子高校生の胃袋はとんでもないと言うし、あっと言う間になくなってしまうかもしれない。

「それに、今のうちに食べておかないと、大変だと思うけど」
「大変?」

ほら、と月島くんが顎で日向くんを指した。
つられて視線をやると、日向君は目の前の唐揚げを頬張りながら、涙を流していた。
勿論、日向くんだけじゃない。
その隣に座る影山くんも、白ご飯を口にしながら泣いていた。
向かいに座る縁下先輩も、田中先輩も、皆。
隣に座る山口くんだって、嗚咽を零しながら泣いていた。
月島くんだけが、平気な顔で私を見ていた。

「…っ…ぶ、」
「さっきあれほど泣いたのに」

そんな皆を見ていたら、私まで引っ込んだ涙がまた溢れ出てしまう。
隣で呆れるように呟く月島くんには、大変見苦しく見えるだろうけれど、今回ばかりは我慢できなかった。
私も時々ハンカチで涙を拭いながら、お箸を手に取った。


◇◇◇


「…苗字さん、大丈夫?」
「うん、ありがとう日向くん」

すっかり赤く腫れてしまった目元をハンカチで押さえていたら、日向くんと山口くんが同じような顔をして覗き込んできた。
ご飯を食べてお腹いっぱいになった後、バレー部の皆さんは今日のところは解散となり、そのまま帰宅の途についた。
一年生組は同じ方向なので、そのままいつもの通学路を歩いていく。
既に日は落ちかけていた。

「何か飲み物でも買ってこようか?」
「ううん、本当に大丈夫」

優しい日向くんは私を気遣ってくれて、近くのコンビニで飲み物を買おうかと提案までしてくれたけれど、
流石に申し訳なさすぎてそれは遠慮した。
日向くんは困ったように笑って「じゃあ、何かいるものあったら言って。俺ちょっとコンビニ行ってくるから!」と近くにいた影山くんを引き連れて、この先に見えたコンビニへ一目散で走っていく。
それを山口くんと月島くんが「あれだけ動いてまだ動けるのか」と呆れたように見ていた。

「…いい加減泣き止めば?」
「私だって泣き止みたいの」
「ツッキー…もっと優しくしてあげてよ」

未だ僅かだが涙をこぼす私に、隣で溜息を吐く月島くん。
それを軽く咎める山口君に「ありがとう」と言って、私はまたハンカチで目を擦った。

「大体、君が泣く理由なんて無いじゃない」
「月島くんがそう思っているだけで、私にはあるもん」
「…そうだよ、誰も彼もツッキーみたいに血も涙もない性格をしてないんだから」
「山口」

山口くんの一言で、月島くんがワントーン低い声を吐き出しながら、軽く睨みつける。
睨まれた山口くんはビクリと肩を揺らし、明後日の方向を見ながら「俺も夜食買ってくる」とトコトコかけて行ってしまった。
……あ、逃げた。

残された私のグズグズと鼻をすする音。
そして、面倒くさそうにポケットに手を入れて、息を吐く月島くん。
残された私達では、会話も弾まない。

いい加減、帰ろうかな。

「泣き止みたいの?」

そんなことを考えていたら、目を細めて私を見ていた。
私は数回瞬きをして「まあ」と呟く。
事実、ずっと泣き続けているから、いい加減干からびてしまいそうだったし、学校に行ったときに凄い顔になってしまうのも嫌だ。
一刻も早く泣き止みたいと心の底から思っているけれど、今日の出来事が思いのほか尾を引いている。
未だに泣き止む気配のない私を見て、月島くんは地面にぽん、とカバンを下ろした。

それをただじっと見ていた。

次の瞬間、私の顔の前には見慣れたメガネが至近距離にあって。
そして、唇に感じたことのない感触が広がったことだけは、すぐに理解した。

それは一瞬だったのかもしれない。
でも私には永遠のようにも感じた。スローモーションのように目の前の顔が離れていき、そして何食わぬ顔で定位置に戻ったのだ。

「バレーではこのタッパって重宝されるんだけどね。名前とキスする分には、やりにくいかな」

ニヤリと口角上げて笑うメガネを見て、私は完全に身体が固まった。
確かに月島くんのお陰で涙は一滴も零れなくなったことは確かだったが。

「…え?」

脳みそだけが、理解を拒否していた。