何が起こったのか、未だに私はよく理解ができなくて。
ただ、唇に残った感触を確かめるようにそっと指で撫でてみた。
指で触れた感触とは、全く別物だった。
つまり、それは。

「何か反応しないの?」

ポケットに両手を突っ込んだまま、月島くんが尋ねる。
本人は先程までしたり顔で余裕ぶっこいていたというのに、私の反応が思っていたのと違ったためか、我慢できずに口に出した、という所だと思う。
それに関しては申し訳ないと思うけれど、私だってよく分かっていないんだもの。
というか、理解してしまったら、それはつまり、月島くんが私にキスをした、という事。

「あ、」

キス、という単語が頭を駆け巡った瞬間、私の顔面は見なくても分かるくらいに熱を持ち始めた。
覗き込む月島くんも分かったんだろう。
私の顔を見て何かに気づいたように目を見開くと、それからまたニヤリと笑う。

「そうそう、そう言う反応」

どこか満足気で笑う姿に、文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、この人にキスをされたという事実がそれを止めた。
嘘だ、嘘。
だって、何で?
ぐるぐると聞きたいことが頭を駆け巡る。
それと同時に恥ずかしさで今にも死んでしまいそうだ。
こんな経験、初めてだからどうしたらいいのかわからない。

自分の両頬に手を当てて、ゆっくり肩を落とした。
もう月島くんの目を見る事もできない。恥ずかしい、やばい。
語彙力も極端に低下している。

「苗字さーん」

恥ずかしさで何も言えずに凍ったままの私を、道路を挟んだ向こうから呼ぶ声。
ドキドキする心臓であまたがおかしくなりそうだけど、そのまま何とか視線を向こう側へ。
ビニール袋を片手にこちらに手を振る日向くんが居た。
勿論、隣には影山くんと山口くんもいる。

「チッ」

隣で舌打ちみたいな音が聞こえた気がしたけれど、私は勿論それどころではない。
信号が青になって三人は小走りで戻ってきた。
そして、日向くんが私の顔を見るなり、

「苗字さん、どうしたの? 顔赤いよ?」

と尋ねてきた。

「え」
「本当だ、何かあった?」
「え、え」

その後に続いて山口くんが心配そうにこちらを見る。
だけど、それもすぐに何かを悟ったように隣の月島くんへ視線が向けられ、答えるように月島くんが鼻で笑った。
日向くんだけは本気で熱でもあるのかと心配してくれて、私のおでこに手を伸ばそうとしてきた。

「熱なんかないよ」

日向くんの手は私のおでこに触れる事はなかった。
その前に空中で月島くんが制止したからだ。
止められたことにより、日向くんがぷうっと頬を膨らませて「何で月島にはわかるんだよ」と呟く。
別に意味あるように言われたわけでもないのに、それを聞いて私は何故か更に頬を赤くした。

「やっぱり体調悪そうだし、早く帰ろ」
「あ、あり、がとう…」

日向くんの気遣いに有難く思いながらも、本当は体調なんて悪くないんだなんて口にはできなかった。
心臓が不自然なくらい鼓動しているのはしているんだけれど。
何で隣の月島くんは平気そうな顔をしているんだろうか。凄く腹が立つ。

まだ月島くんの顔は見れないまま、皆が別れるバス停まで歩いた。
暫くすると私の帰宅方面のバスが先にやってきたので、扉の前で開くのを待つ私。

「じゃ、じゃあバイバイ」

後ろにいる皆に軽く手を振って、そそくさとバスに乗り込もうとした、その時。
後ろから声が掛かった。


「ほたるじゃなくて、けいって読むんだよ」


バスのステップに片足をかけたまま、慌てて振り返った。
後ろで私に手を振っていた三人も、声の主の方を見てポカンとしている。
相変わらず不機嫌そうで、目も若干据わったまま。
それでも掛けられた言葉は、確実に私宛だった。

『インターハイが終わったら教えてあげるよ』

インターハイ前に一緒に帰った夕方。
確かにそう言われた事を思い出した。
試合中でもほたるくん、と呼んだ私にこれ以上、ほたるくんと呼ばせない為に。

「バイバイ、蛍くん」

まだ恥ずかしいのは残っているけれど、いつまでもそうしているわけにはいかない。
少しの意地で私はなるべく普段通りに口を開いた。

ほんの少し、その口元が緩く笑った気がした。


◇◇◇


名前の乗ったバスが発車してすぐに、僕の斜め前に居た日向がぐるんと振り返り「なんで月島の名前教えたんだよ!?」と苛立ちを隠そうともせず吠える。
僕はそれを相手にすることなく、顔を背けて知らん顔。
そんな僕の姿に余計に日向が怒っている気はした。

「ツッキー」
「何」
「嬉しいこと、あったの?」

山口がそっと呟く。
僕は数回瞬きをして「さあ」と答えたけれど、山口は腑に落ちない顔をして「そんな顔しといてよく言うよ」と溜息を吐いたのだった。

何と言われようとも、僕としては目的は果たした。
これで名前も少しは意識するだろう。
そうでなくては困る。あんな見るからに鈍感そうなバカは行動するのが一番だ。

「今夜は寝かせないよ」

精々僕の事を考えて、眠れなくなればいい。