「ツッキーがいるから?」

その言葉に何でもないような顔で「違うよ」と言えればよかったのに。
残念な事に私は一瞬ギクリとしてしまったので、山口くんにはすべてお見通しの事だろう。
下手に嘘を言うのも今更遅いと思う。だから私は返答の代わりに口元だけで笑った。

「何で、って俺が聞いていいのかな」
「別に大したことじゃないんだよ」

山口くんは私の様子を伺うようにそう言って後頭部を掻いた。
そんなに気を遣わなくても大丈夫なのに。ただ私が一人意識してしまっているだけなのだ、あの眼鏡の事を。
当の本人はきっと私の事なんて何とも思っていないだろうけれど。

「ただ、ちょっと距離を置きたいかなって思ったの」
「ツッキーが嫌い?」
「……っ、私よりも、月島くんの方が私の事嫌いでしょ」
「え、嘘」

いくら分かっていたとはいえ、それを口にすることがどれだけ寂しいことか。
さも当たり前のように呟けば、思いのほか目の前の山口くんは酷く驚いた顔を見せた。
どうしてそんな顔をするのか分からないけれど、もう月島くんのことばかり考えたくはないから、さっさと立ち去ろうと背を向けた。
だけど、慌てて山口くんが私の腕を掴む。

「ツッキーが、そう言ったの?」
「…そうじゃないけど、態度でわかるよ?」
「苗字さん、それは違うよ」
「…何で?」

山口くんならわかるのだろうか。
月島くんの考えている事。
そりゃ、私なんかよりもずっと付き合いは長いだろうから、当然と言えば当然なんだけれど。
それでも、私だけが分からないことがつらい。

「絶対に、あり得ない」

山口くんがはっきりと断言する。
そんなこと、あるわけない。って言えたらよかったのに。
山口くんがはっきり言ってくれたから、ほんの少し。ほんの少し、そうだったらいいのに、って思ってしまう。
あのキスだって、意味があることだと思いたかった。
私だけがドキドキしているのに、月島くんに一ミリも伝わらないのが悲しくて悲しくて。

なんで、そんなことを考えるのか、理由はまだ明確ではないけれど。


「私には、分からないよ」


結局。
山口くんの腕を振り切って、私は小走りでその場を後にした。

どうして山口くんが月島くんのことを言ってくるのか。
なんでこんなに月島君の事を考えると苦しいのか。
全部全部、分からないの。




「田中先輩!」
「おーどうした、山口」

苗字さんと別れて、俺はすぐさまその場で踵を返し、体育館へダッシュで戻ってきた。
まだ田中先輩が腰に手を当てて日向や影山に向かって高笑いをしているところだったから、慌てて俺は外靴を脱ぎ捨てる。

息が荒い。
これは走ったからじゃない、苗字さんが酷い勘違いをしているからだ。
どうすればいいのか、どうしたら二人が気付くのか。俺にできることを必死で頭を回転させて考えたのだ。
何とか呼吸を整え、田中先輩の前に来ると俺は懇願するように口を開いた。

「田中先輩、一つお願いがあります」

真剣な思いが通じたのか、田中先輩は片眉をくいっと上にあげて「うん?」と首を傾げる。

視界の隅に移ったツッキーが、興味のないような顔で立っていたけれど、きっとそれは本人にしてみれば完璧なフリなのだ。
ここ最近のツッキーと苗字さんの関係は、今までで一番酷い。
ツッキーなんて、一時はこっちが恥ずかしくなるぐらい、甘々な空気を出していたのに、今は鋭い視線で周りの人を射殺してしまいそうだ。

きっとツッキーのことだから、自分の気持ちを言葉にすることすらしていないんだろうね。
そういう意味では日向は感情に素直だ。思ったことをペラペラと口にする。
ツッキーが日向に負けている部分はそこだ。
勿論、ツッキーが日向に勝っている部分だってあるのだけれど。

「……何だか知らんが、たけーぜ?」

何かを感じ取った田中先輩が、にやりと口角を上げる。
俺は田中先輩に答えるようにこくりと頷いた。


◇◇◇


東京遠征前日。
明日は日向くんたちのテストの日でもあるけれど、それよりもやっぱり気になるのは遠征のことだ。
自分から行かないと行ったくせに、スマホで東京の天気予報を確認したり、練習に参加する高校の情報を調べたりしてしまう。

自分から、言い出したのに。

はた、と思い手を止めるけれど、また気が付いたら指を動かしている始末。
これは無意識なのか。潜在的に遠征に行きたいと思っているのか。
何もかもわからないことだらけで、家にいるのに全く休まる気配がない。
はあ、とスマホ画面を見つめてため息を吐いたその時。

手元にあるスマホから軽快な音楽が鳴った。
メッセージを受信したらしい、慌てて画面を確認すると、送信相手は日向くんだった。

『明日、昼前に荷物を持って学校に集合だって! 田中先輩から』

…え?
つまりは、どういうことなのだろうか。
荷物って何? それから、学校に集合って?

暫く画面を見て固まっていたけれど、もしかしたら、という予想が頭を駆け巡った。
それと同時に山口くんとの会話が頭を過る。

『絶対に、あり得ない』

山口くんの真剣な表情はバレーの時くらいしか見ることがないのに。
それまであんなに嫌われていると酷くショックを受けていた自分が、その言葉でほんの少し救われたのも事実だ。

私は、確かめることすらしなかった。

よくよく考えれば…聞けば良かったのだ、あの陰険なメガネに。
いつものように悪態をついて、わざとらしくメガネを指で上げる。
その仕草すら、心臓が跳ねてしまうようになった、その事実を先手必勝とばかりに宣言してやれば。
そうしたら、あのメガネはどんな顔をするのだろうか。

心底嫌そうな顔で、舌打ちを零すだろうか。
それとも、


「…好き、かも」


恋愛経験は残念ながら全くと言っていいほど無いけれど。
都合のいい妄想で、胸の中で想像した月島くんの表情が穏やかに笑いかけてきたから。
そんな顔がもしも見られるならば、心臓が破裂しちゃうかもしれない。

恋愛の好きかどうかは別として。
取り合えず今は、ちょっと勇気を出そうと、思った。

よっこいしょ、と座椅子から立ち上がった私は、そのまま両親のいるリビングに行くため、部屋を出た。
……怒られることは想定内である。